神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 催眠術師赤塩精と福来友吉

『催眠術医術治病新論』(名古屋心理療院、明治38年8月)なる著作のある赤塩精の正体が判明した。 三村竹清の日記によると、 大正6年5月2日 午前 伊勢赤塩未亡人来過(略)赤塩君は犬山藩家老之家の由 名は精 陸軍中尉にて 肺の為に名古屋へ帰り 伊勢へ来り …

島源四郎物語

島源四郎の名前は幾つかの日記で見ることができる。 大正14年1月9日 春陽堂島源四郎来、鳶魚随筆三百頁以上のもの来る二十日に原稿渡すべきよし談合(略)(三田村鳶魚) 15年2月23日 晡時春陽堂店員島氏来りしかば、荷風文藁と名づけたる旧藁の出版を托す。…

専修大学図書部司書士牛丸茂三郎

丸善丸の内本店における大学図書館の貴重書の展示というと慶應大学が著名だが、専修大学もやるらしい。 6月13日〜19日に「専修大学図書館特選貴重書展 ムーサの神殿」を開催。 ところで、天羽英二の日記に、 昭和11年5月11日 亀井貫一郎、田中新一、毛里英於…

「ざまぁー見ろ、と辰野隆」考

太平洋戦争開戦後、辰野隆が「あの十二月八日の朝、感じたことを一言で言いますと、ざまぁ見ろです」と述べていると、林茂『太平洋戦争』(中央公論社)に書かれている。この出典が不明なことは、小谷野氏が書いていて、わしにもわからないのだが、辰野の発…

教授にはちと無理そうな30代の息子

読売新聞の人生案内「30代の息子 教授になれるか」。笑っちゃいかんが、笑えた。山田昌弘先生も真面目に答えているなあ。

 エヂソンバンド効果あり!

「エヂソンバンド」なる健康器具を坪内逍遥が使っていたことは、一昨年12月27日に言及した。 もう一人使用者を発見したので、報告しておこう。ヨコジュンさん、喜んでくれるかしら。 『青野季吉日記』がそれだが、 昭和14年8月12日 ○夜、姉見舞。姉快活なり…

サンマー英学塾

谷崎潤一郎が通ったというサンマー英学塾。J・サマーズの未亡人エレン夫人、次女キャサリン、三女エレン(リリー)が教師を務めていたのだが、跡見花蹊日記にそれらしい人の名前が出てくる。 明治25年8月6日 (来客)サンマルス母及び両嬢来。 26年8月7日 サ…

反国語国字改良運動家の戦後

平井昌夫『国語国字問題の歴史』巻末の「国語国字問題年表」の昭和17年7月の欄に「島田春雄、鬼塚明治、森本忠、大西雅雄等二十余名は国語国字改良反対の反動団体たる「日本国語会」を発起(十一日)」とある。島田も森本も、戦後、大日本言論報国会理事だっ…

もう一人の女写真師

6月1日午後は、「アンダーグラウンド・ブック・カフェ」の講演会(東京古書会館)。 「モダニスト佐野繁次郎の装幀について+佐野本の集め方」(林哲夫+西村義孝)、「編集者・国木田独歩と謎の女写真師」(黒岩比佐子)。 さて女写真師である。 近代女性…

戦時下の極楽とんぼ(その7)

戦時下の里見紝(さとみとん)の動向について、詳細年譜が書けそうなほどデータが集まってきた。 木下杢太郎の日記によると、 昭和17年12月13日 小川書店十周年の祝賀会にまねかれ、六時日本橋音喜久に之く。安倍、小宮、岩波、宇野、里見、久保田、□[空白]…

武者小路実篤と催眠術実験

今回は本物の催眠術の話。武者小路実篤の自伝小説『或る男』*1によると、 同じ年の十月三日に彼は志賀や木下にさそはれて本郷の中央会堂に催眠術を見に行つた。それは大学の心理学の実験の為めに行はれたので、七時頃から始つた。 (略)彼は術者が三四人の…

戦時下の極楽とんぼ(その6)

里見紝や二楽荘は、『大佛次郎敗戦日記』(文庫版では『終戦日記』)に頻出する。その一日を引用すると、 昭和19年12月12日 夜二楽荘に当地在住の小説家のみ「無事な顔」を会せると云う会、里見久米小島川端島木中山義彦夫妻林永井集る。例の如き乱暴な酒と…

美人のあるところ、谷崎あり

「文藝雑事」(『日本及日本人』大正7年6月1日号)によると、 日向きむ子が一中節をよしたのと入代りに、売文業社堺枯川の奥さんが新たに長歌のお稽古を始めた。(略)或る物好きが其の動機を枯川に訊ねると、枯川哄笑一番、「なアにね、あゝして置けば、あ…

黎明会の解散時期

大正デモクラシー下に存在した黎明会という団体がある。『国史大辞典』によると、 大正時代中期の民本主義啓蒙団体。米騒動のあと、大阪朝日新聞筆禍事件(白虹事件)に代表される反動攻勢に対し、民本主義思想を擁護するため、吉野作造と福田幸三が知人の学…

サロン春

銀座のカフェー、サロン春は有名だったらしい。猪瀬直樹『こころの王国』にも、 美人の女給さんが揃っていると人気のサロン春というカフェが、銀座の交詢社ビルの下にあります。先生は一度、こういう場所も描写に必要だから見ておきなさい、とわたしを連れて…

姉崎正治とアグネス・アレキサンダー女史

『近代日本における知識人と宗教 姉崎正治の軌跡』に姉崎関係書簡の一覧があって、その中にAlexander,Agnes 1924.12.23(消印)というのがある。 アグネス・アレキサンダー、キター。書簡の内容が、奇絶、怪絶、又壮絶! と思ったら、「封筒のみ」だって、シ…

 駒場図書館への差別

東京大学出版会のPR誌『UP』5月号の「大学図書館と出版部」によると、 翻って東京大学と本会との関係を点検してみると、創立以来、刊行物を東京大学図書館に寄贈してきたのは当然として、本郷と駒場で少々バランスを失していた。今回のシンポジウム*1を契機…

宮澤賢治と霊智学

宮澤賢治といわゆる「霊智教メモ」についての先行研究としては、香取直一氏によるものがある。 未見だが「宮沢賢治、その魅力 19」(『東洋の人と文化』45号、平成元年5月)に詳しいらしい。 大正15年1月に開設された岩手国民高等学校における賢治の「農民芸…

 戦時下の極楽とんぼ(その5)

里見紝が漢口会に出席していたことから、漢口に従軍していたと思ってしまった*1が、小谷野氏の教示のとおり、派遣されていなかった。昭和13年8月27日付け東京朝日新聞夕刊によると、「文士聯隊」のメンバー22名は、 菊池寛、久米正雄、吉川英治、白井喬二、…

 吉野作造は西式健康法

吉野作造は西式健康法だったみたい。 日記によると、 昭和6年4月5日 一時から阿佐ケ谷の組合会館に西勝造氏の講演会ある筈 之を聴きに行き兼て今井君のすゝめもあり氏に健康上の指導を得んものと急いで食事をすまし十二時半頃出かけて水道橋から省線電車に乗…

 戦時下の極楽とんぼ(その4)

漢口会の田中軍吉らしき人物が高見順の日記に出てくる。 昭和18年5月2日 五時半より鎌倉、二楽荘の会。中山義秀夫妻、小生の移転歓迎、川上喜久子さんの帰還祝い、鎌倉ペン・クラブ主催。 行くと、小林秀雄と島田晋作がいる、島田氏はすでに酔っている。 里…

改造社の山本実彦とカフェー

山本実彦ブームも一段落したかしら。 阿部次郎の日記に気になる一節がある。 昭和6年3月6日 (略)改造社で本の用件を話し山本に会ふ、夕刻岩波、茅野夫婦と打合をして六時新橋停車場にあひ濱作で夕食をよばれる、話しながら赤坂まで歩いて山本にあひカフエ…

市島春城と藤田霊斎

市島春城(本名・謙吉)の日記に藤田霊斎なる霊術家が出てきた。 大正5年7月9日 今朝、内子みつを連れて高輪の藤田霊斎方へ行く。みつ心霊療法ニより胃腸を治せんと望み、その請求制しかたく個様の事も多少の効果あらんとて、試みしめんとする也。 「内子」…

三井甲之の『神皇紀』批判

『我等』4巻1号(大正11年1月1日)の「最新学説の紹介」の中で、三井甲之が『神皇紀』を紹介・批判している。 次にその批判であるが、その研究資料としての「宮下文書」の成立に就ての研究批判が不足してをることゝ、「神皇紀」があまりに綜合的体系の構成に…

大学に8年もいちゃだめ!

大森望の「本で歩く京都」(『ダカーポ』617号、2007年11月7日)に、 大学に8年通ったというSF研の遠い先輩から突然呼び出されて疎水べりの暗いアパートへ行くと、書庫だという四畳半に通され、「わたしになんの断りもなくSF研の機関誌を復刊したのはどうい…

小説 君美と犬彦

ハイスクール時代に色んな本を乱読した剛己だが、ユングを本格的に読んだのは、東大文Ⅲに進んでからであった。後に秘かに「悪魔的師匠」と名づけることになる君美先生から、2年生の時に夏休みの宿題として、ボーリンゲンから出ていたユングの英訳書を読むよ…

平井金三の教育関係著作

1『中学世界』 「神儒佛」9巻12号(明治39年9月20日) 「答案調べの感想」12巻4号(42年3月20日) 「鳩笛の如き当今の語学生」12巻5号(42年4月10日) 「精神修養と自己催眠の話」12巻8号(42年6月20日) 「試験準備の真意」13巻4号(43年3月18日) 2『成…

 『座談会明治文学史』という名の古本合戦

『座談会明治文学史』を改めて見てみると、 柳田(泉) それから末松謙澄のシェリーの「雲雀の詩」がある。 勝本(清一郎) ところがまた私の持っているものに、外山正一の「新体詩抄」の原稿の一部があるんです。 (略) 柳田 「女学生」はなかなかありませ…

 日露戦争従軍記者としての中山太郎

中山太郎「憶出の人々」(『書物展望』第10巻第12号、昭和15年12月1日)によると、 私が、大阪の新聞へ行くことがきまると、東日の松内冷洋氏から、岩野泡鳴君が樺太の蟹の罐詰で失敗し困つてゐるので入社させてくれないかとの話で、私は泡鳴氏に会ひ月給や…

 紅野敏郎先生の図書館員知らず

『漱石全集』の書簡篇の「人名に関する注および索引」(注:紅野敏郎)を見る。 第23巻(1996年9月)には、「今沢慈海」の注として、「不詳.明治44年当時、日比谷図書館に勤めていたと思われる」とある。明治44年10月7日付け「麹町区日比谷図書館 今沢慈海」…