神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

戦後も存在したベルグ書房

南田辺のベルグ書房については、昨年4月23日に言及したけれど、宮本常一の日記によると、同書店は戦後も存在している。 昭和20年3月3日 途中南田辺のベルグへよつて見る。あまりいいものは出てゐない。『西洋美術の知識』がめぼしいものであろうか。はなして…

カスが作った一橋大学大学院言語社会研究科

田中克彦一橋大学名誉教授が『言語学の戦後 田中克彦が語る1』(三元社、2008年10月)で凄いことを言っている。聞き手は安田敏朗准教授。 田中 (略)だけど小平の語学教師たちみんな私利私欲しか考えてないんだよ。田舎に行くより国立にいたいっていう、も…

戦時下のノストラダムスの大予言

串田孫一の日記に面白げな記述がある。 昭和20年4月13日 この前東京に行った時に山崎正一さんと話をした。そのことで葉書が来る。 「(略)目下のトコロ地下室に書棚を並べ机を据ゑ、ラヂオと電燈をつけて、暴風雨の中で勉強を致します、ノストラダムスの呪…

奇人山田一郎による偽作『鎌倉旅行日記』

山田一郎による偽作については、高島俊男『天下之記者 「奇人」山田一郎とその時代 』(文春新書)に詳しいが、犬養毅講述『木堂談叢』(博文堂、大正11年10月)所収の「偽書と仮説の人物」にも出てきた。 『読売新聞』と覚えて居るが、曾呂利新左衛門の『鎌…

皇國運動聯盟に集う神代文字肯定論者と否定論者

『特高月報』昭和16年9月分の「皇國(すめらみくに)運動聯盟の結成状況」に、「宗教改革運動を展開中なりし信仰新体制協議会(代表下中彌三郎)は国家主義団体と提携した天皇帰一の最高理念に向つて運動を興起せしむべき母体の結成を図らんとなし、高山昇、…

下中彌三郎の信仰新体制協議会

講談社の野間清治については、ミネルヴァ日本評伝選で佐藤卓己氏が執筆されるようだが、平凡社の下中彌三郎については、誰か書いてくれないのだろうか。海野弘氏あたりが適任かもしれない。 下中については、『下中彌三郎事典』が存在するわけだが、すめらみ…

松居松翁の霊気術を受ける岡本綺堂

見逃していたが、『岡本綺堂日記・続』には松居松翁の霊気術が出ていた。 昭和3年8月7日 額田が来て、おえいの足をおさへる。松居松翁君なども頻りに宣伝してゐるもので、片手で病人の患部を押へてゐれば自然に治癒するといふのである。 8月8日 六時ごろに額…

大橋図書館司書大藤時彦と神西清

大橋図書館の司書で、後に民俗学者となる大藤時彦についても、年譜や伝記はないと思われる。略歴については、昨年8月29日を参照してほしいが、詩人神西清ととは親しかったようで、日記*1にしばしば名前が出てくる。そのうちの一部を紹介すると、 昭和12年4月…

井伏鱒二がリポートする大原漁業組合の伝書鳩通信

井伏鱒二の「外房の漁師」*1によると、 ここの大原漁業組合には伝書鳩を飼つてゐる。現在、七十羽ゐるさうだ。漁師は万一必要だと思ふときにはこれを三羽づつ持つて沖に出る。網が岩礁に引つかかつて潜水夫を入用のとき、または魚の大群に遭つて仲間の船を呼…

森銑三の身近にいた竹内文献拝観者

森銑三の『読書日記』は、狩野亨吉による竹内文献批判について言及している。 昭和13年12月28日 午後狩野先生を訪ふ。(略) 一昨年六月号の『思想』に狩野先生の寄せられたる「天津教古文書の批判」の抜刷を借りて直ちに一読す。長慶天皇、後醍醐天皇の宸翰…

高円寺の古本屋にして芥川賞受賞者の寒川光太郎

埴谷雄高「戦争の時代」*1によると、 寒川光太郎はその頃芥川賞をもらつたばかりであつたが、私達は彼を文学者として知つているというより、よく本を売りに行つた高円寺の古本屋の親父として知つていたのである。 古本屋の親父にして、芥川賞受賞者! ほんま…

書籍切手の発案者うさぎ屋誠こと、望月誠(その2)

『近代料理書の世界』には、うさぎ屋誠について、前田愛『近代読者の成立』所収の「明治初期戯作出版の動向」からの引用もあるのだが、当該引用部分以外の所に、書籍切手に関する言及があるので紹介しておこう。 明治の新聞広告史は兎屋の誇大広告にその数ペ…

谷崎潤一郎は山猫だったか、豹だったか

文豪を動物にたとえることは昔から行われていたよう*1で、萩原朔太郎「室生犀星に就いて」*2によると、 たいていの文学者は、何かの動物に譬へられる。例へば佐藤春夫は鹿であり、芥川龍之介は狐であり、谷崎潤一郎は豹であり、辻潤は山猫の族である。ところ…

菊池寛も使っていたタラコン湯

かの菊池寛も村井弦斎ゆかりのタラコン湯を使っていたらしい。 「原稿とタラコン湯」*1によると、 朝起きると、口を洗つてから、タラコン湯を飲む、自分は、顔を洗ふのが、面倒で仕方がない。(略) タラコン湯と云へば、自分位売薬を飲む人間は恐らくあるま…

書籍切手の発案者うさぎ屋誠こと、望月誠

書籍切手の発案者の兎屋については、8月31日に言及したところである。このうさぎ屋誠、本名望月誠については、論文があるらしい。石塚純一「うさぎ屋誠考−明治初期のある出版人をめぐって」『比較文学論叢五 札幌大学文化学部紀要五』(2000年)がそれ。現物…

関東大震災前後の三浦関造

『山村暮鳥全集』所収の年譜によると、 大正12年7月 この月、詩中心の雑誌発刊を計画し三浦関造と連名で宣言書を印刷し知友に配布、会員を募り十月までに百名近く入会者を得たが実現しなかった。 「宣言書」は、『郷土』第10号(大正12年9月)に掲載された。…

永井荷風にも接触していた伊藤武雄

伊藤武雄は、永井荷風にも色々教えてあげていたらしい。『断腸亭日乗』によると、 昭和9年8月26日 晡時伊藤武雄といふ人来り余が旧著下谷叢話百廿六頁中の記事につきて教へらるゝ所あり(瓦雞鳥居氏明治廿三年二月九日歿。法名大保院雄道瓦雞居士。墓在谷中…

金雞学院講師の伊藤武雄

亀井俊郎『金雞学院の風景』によると、同学院の講師であった伊藤武雄の講義内容は、「古事記、日本書紀、万葉集、神器相承論、木下順庵の教学、洗心洞箚記、法忍和尚伝、松本烏涯、興言論、元和偃武以来の人傑談」。宮内省帝室林野局に勤めて、後に同省諸寮*…

幸田露伴を取り巻くムー大陸信奉者

「古本邪鬼」こと横山茂雄氏が大塚英志氏と対談を行っていた*1。 横山 (略)僕がやってきたことを人に説明するのはなかなか難しいかもしれない。本業は英文学なんですけれど、オカルティズムについては十代後半、現場に足をつっこんでいまして。十九世紀に…

聖戦技術協会と下山事件

下山事件に関与したとされる亜細亜産業。その前身はアジヤ産業といったという。柴田哲孝『下山事件』には、アジヤ産業前で撮った社員の記念写真が掲げられ、次のように説明されている。 背景の左右には、二枚の看板が写っている。右側に「聖戦技術協會 アジ…

森銑三の畏友にして掃苔家の伊藤武雄

伊藤武雄も紛らわしい名前である。満鉄の調査屋や独文学者に同名の人物がいるが、森銑三が畏友と呼ぶ*1人物も伊藤武雄である。森の『思ひ出すことども』によると、 なほ『日本及日本人』に、人物に関する短篇を発表したりしたところから、それが機縁となつて…

サンカから石亀を買う三好達治

三好達治は、明治33年8月に大阪で生まれ、39年から四、五年兵庫県有馬郡三田町の祖父母のもとで暮らしていた。この時にサンカの女が売りに来た石亀を祖母に買ってもらった思い出を「石亀」に書いている。 ある晩秋の日暮れ近い時刻であつた。髪をひつつめに…

森茉莉と瀬戸内寂聴

日経の瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』は森茉莉の項。萩原葉子の田村俊子賞授賞式(東慶寺)の時に、寂聴が茉莉に饅頭代を貸してあげたが、結局返してもらえなかったという話。 (参考)萩原が受賞した年ではないが、その前年に秋元松代が阿部光子と同時受賞した…

市河彦太郎と満洲開拓読書協会

図書奉行さんの論文*1によると、昭和18年6月15日に「満洲開拓読書協会設立趣意書」が発表され、発起人は藤井崇治(逓信官僚)、市河彦太郎(外務官僚)、岩松五良(文部官僚)、衛藤利夫、中田邦造の5名であったという。市河は、この頃、戦時調査室委員で「…

井上巡回文庫と井伏鱒二

井伏鱒二の回想*1の中に井上巡回文庫なるものが出てくる。 私は小学校の子供のときから小説家にならうと考へてゐた。(略) 毎月一回づゝ、井上巡回文庫といふのが村役場に到着した。これは東京の井上といふ人が、郷土の人のために設けてくれた移動書庫であ…

総合雑誌『いのち』に注目

「書物蔵」さんも読んだという井上義和『日本主義と東京大学』(柏書房,2008.7)。小田村寅二郎が東大を追われることとなる事件の発端となった寄稿は、光明思想普及会(成長の家)から発行された『いのち』昭和13年9月号掲載の「東大法学部に於ける講義と学…

アトランティス大陸と四方田犬彦

『図書』の岩波新書創刊70年記念号で、四方田犬彦氏が『失われた大陸アトランティスの謎』(E・B・アンドレーエヴァ/清水邦生訳)について書いている。 ソ連の科学啓蒙読みもの。プラトンの『共和国』におけるアトランティス大陸の描写にはじまり、ムー大…

森達也もSFを読み小説を書いてた

『出版ダイジェスト』10月21日号の森達也「最も充実した読書の時期」を見る。 森氏は、高校進学後、ラブクラフトやサキ、ブラックウッドや夢野久作などの怪奇小説ばかりを読み耽ったり、アシモフ、クラーク、J・ティプトリー・ジュニアやラリー・ニーブン、…

エリアーデの『ムントゥリャサ通りで』を凄いと言った男

再び若島正先生に登場してもらう。「マイトレイ」*1に、 今から二十年前のこと、京都にエディシオン・アルシーブというグループがあって、《ソムニウ【夢】》というタイトルの幻想文学研究誌を季刊で出していた。この雑誌は四号出てちょうど一年で廃刊になっ…

佐々木喜善と村井弦斎

佐々木喜善が『岩手毎日新聞』に連載した「紅塵」*1によると、 余等が鍛冶町の新生活が、その心と体に全くの自由と気儘とを与へた。(略) 春であつた。中津川の畔には桜が咲いた。私は、碌に学校にも行かず、六畳の表二階に引込んで夜と昼なく小説を読んで…