2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧
『横浜開港資料館紀要』所収の「太田宇之助日記」に、戦前の神戸市立図書館の職員が出てくる。 昭和16年9月4日 午前九時半三宮着。池田宅を訪ひ、神戸図書館に石川君等三人を訪ひ、久々にて快談す。 19年1月28日 時間が余ったので、久々で橋本正治君を市立図…
東京都内で発生した新たな新型インフル感染者の行動記録。 ○月○日(金) 高円寺の古書展→早稲田の某古書店→神保町*1の古書展→友人と合流して近くの中華料理屋で軽く飲み→千代田図書館で調べ物→お台場でお散歩→帰宅 この人、わすのよく知っている人かもしれな…
ウィキペディアの「栗本薫」の項目への注意書き。 この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。その人物の死の詳細や死者を取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意くだ…
弁護士で衆議院議員だった小川平吉の日記によると、 昭和8年1月12日 八時北一輝氏来訪。福本[ママ]氏著「心霊と神秘世界」を贈らる。哲理を談ずること数刻、遂に政治に及ぶ。司法部不祥事件に関し、陸軍青年将校等憤慨の状況を説くこと詳なり。 福来友吉『心…
主として飛鳥田市長の下で、横浜市の建築行政を担った田村明の『都市ヨコハマをつくる』(中公新書、1983年1月)も品切重版未定となっているようだ。この田村が、フローレンス・ウェルスと面識があった上、実はウェルスの親友吉田信子の甥に当たるというから…
『中公新書の森』の「[思い出の中公新書]アンケート」で、佐藤卓己先生は、竹内洋『教養主義の没落』、瀬木守一『ドイツ近代科学を支えた官僚』、佐藤八寿子『ミッション・スクール』を挙げている。説明中に、「男子校だが、私にもほろ苦いミッション・スク…
武林無想庵が、『サニン』の翻訳をするため、比叡山教王院に籠っていた大正4年。この時、宿坊である社会主義者と出会っている。名前を堀岡良吉といったらしいが、あの本荘幽蘭と関係のある男だった。『むさうあん物語40』によると、 二十四の明大生時代、年…
たまには休刊日にしようかと思ったが、図書館ネタを投入。 柴田宵曲の日記(「柴田宵曲翁日録抄」)に謎の「図書館問題」なる記述がある。 昭和20年2月28日 午後森氏来。けふ日比谷図書館に寄られしよし。 4月1日 午後日本タイムスに校正届け日比谷図書館に…
杉浦重剛の日記「致誠日誌」にも松宮春一郎なる名前が出てくる。 大正10年4月22日 松宮春一郎氏来談。稍参考トスベシ。 4月26日 松宮氏来談。参考トスベキモノアリ。 この松宮だが、杉浦の私塾「称好塾」の会誌『称好塾報』(大正13年12月)*1の「塾友名簿」…
井上芳郎。明治21年生まれ、早稲田大学政治経済科専門部中退後、坪内逍遥主宰の文藝協会研究所第二期生となるも、病気で中退(『慶應義塾図書館史』による。2006年7月8日参照)。「資料翻刻文藝協会研究所日誌」*1に、その井上の名前があった。明治43年7月13…
杉浦重剛の日記「致誠日誌」によると、 大正6年9月12日 (此日、川島浪遠[ママ]氏より仏人ポール・リシャルド氏ノ論文ヲ送リ来ル。大ニ参考スベキナリ) リシャールの論文とは、大川周明が『告日本国』の「序」で書いているが、リシャールが大正6年1月に書い…
昨年12月11日に言及した小松久男『イブラヒム、日本への旅―ロシア・オスマン帝国・日本』に、波多野烏峰が出てた。 それから数年後、イブラヒムの知己の一人、波多野烏峰(一八八二〜一九三六)はアジアの解放を訴える著作『アジア危うし』(オスマン語訳、…
世界文庫刊行会の松宮春一郎らしき名前を再び見かけることができた。それも黒龍会出版部発行の『亜細亜時論』とは、驚きますね。同誌1巻1号(大正6年7月1日)所載の「有志消息」によると、同年6月13日、尾張町松本楼で、国民外交同盟会及丙辰会、国民義会の…
ちょっと前のNHKでネットで知り合った人たちによる喫茶店での朝の読書会を紹介していた。・晩にやるとどうしてもお酒が入ってしまい、非能率である ・本の内容を短時間で紹介できるようまとめるのは、仕事のスキル・アップにもなるというような殊勝なこと…
読んだことがあるような気もするが、記憶になかった久保田文次「孫文・梅屋庄吉とインド革命家の交流−バルカトゥッラー、バグワーン・シン、R・B・ボース、波多野春房をめぐって」『史艸』46号*1によって、次のように幾つかの謎が解けるとともに、新たな謎…
三浦謹之助は大正天皇の診察を行った医師として著名のようだ。その三浦が村井弦斎と親しかった。『三浦謹之助先生』(三浦謹之助先生生誕百周年記念会準備委員会、昭和39年3月)所収の三浦と緒方富雄の対談によると、 三浦 えゝ、語学ができれば予科に入学で…
『木佐木日記第1巻』によると、 大正12年7月9日 樗陰氏は春房という男に会ったことがあるそうで、なんでも、高嶋米峰氏の紹介で、秋子が入社したとき(秋子は当時数え年二十五歳)、春房氏は秋子を連れて樗陰氏に挨拶に来たが、そのとき「どうぞ秋子を可愛…
手塚治虫の父親と手塚ファンと交流があったことについては、二階堂黎人『稀覯人の不思議』にも出ている。梅崎春生の「聴診器」『新潮』昭和37年4月*1によると、梅崎の息子も、手塚邸を訪問した際に手塚の父と会ったようだ。 息子は学校でクラス新聞を編集し…
春房の顔は知らないので、某某先生が養作の写真を見るのを待っておこう。 なお、波多野養作著・皆川初子編『シルクロード明治一人旅−日露戦争末期に外務省の委託により奥地視察した一日本青年の記録−』(新樹会・創造出版、1985年)なる本があるらしい。初子…
本荘幽蘭については猫猫先生もどこか*1で詳しいことを知りたいと書いていたと思うが、既にヨコジュンさんが無き『日本及日本人』*2の「明治快人伝 早く生まれすぎた女傑 本荘幽蘭−抄伝−」で連載したところである(ただし、単行本未収録)。そこで知ったのだ…
柳澤伸司『新聞教育の原点』(世界思想社、2009年3月)によると、 一九二七年四月十日、永代静雄は「新聞通信記者及従業員たるに必要の学理と実際とを教授し併せてその品性を修育する」目的で、日本で最初の新聞専門教育機関である日本新聞学院を創設した。 …
『看産婦画報』なんていう画報が存在すれば、黒岩さんも知らない(?)画報ということになるかもしれない。 『妹尾義郎日記第2巻』によると、 大正8年10月18日 午後当閣にて看産婦画報社主催、殉難看護婦追悼会を開く。 とあって、「看産婦画報社」なるもの…
兎屋誠は本格的な「オオカミ少年」だったようだ。以前紹介した偽閉店広告の後にも「閉店」セールを宣伝していた。織田久『広告百年史 明治』によると、『東京日日新聞』明治21年3月1日に、 驚天動地兎屋書籍店イヨイヨ廃業広告 (略)来る四月三日限断然書籍…
有島武郎と情死した波多野秋子の夫波多野春房と大アジア主義者波多野烏峰の関係については、結局よくわからない。前者の波多野については、『第十四版大衆人事録東京篇』(昭和17年10月)に、 波多野春房 大日本連合火災保険協会 大日本火災保険協会 日本海…
201×年「お忍びブックストリート」が開催された。公式記録で、黒岩審査員の講評を見てみると、 *「書物蔵」 店主のライフワークである大東亜図書館学に関する蔵書のうち不要になったものが放出されていました。図書館員や図書館学の研究者でにぎやかでし…
仙台で6月20日(土)・21日(日)、「古本縁日 in 仙台 〜「わめぞ」の古本・雑貨市〜」があるらしい。宮城県美術館の「洲之内コレクション展」、仙台市歴史民俗資料館の「オールド・グラフィック〜仙台の出版文化の歴史」は6月7日で終了しているが、内澤さ…
早稲田の吉岡信敬彌次将軍は独男だったらしい。『主婦之友』昭和4年5月号の「独身生活者の座談会」によると、同年3月13日帝国ホテルで開催された座談会に、埴原久和代、河崎夏子、高畠華宵、矢崎千代二、藤井達吉、森律子とともに吉岡が出席して、次のように…
『別冊宝島』322号(1997年7月)は、「学問の鉄人」特集。国文学の注目研究者一覧の中世部門の中堅として、当時梅花女子大学文学部助教授だった田中貴子先生が出ている。研究内容の紹介は、 旧来の文学研究ではなく歴史との関わりで文学を問い直す。仏典など…
原武史氏が『本』で連載中の「鉄道ひとつばなし」。5月号の「山陽本線をゆく(下)」で、田布施の神道天行居と天照皇大神宮教を訪れている。 上りきったところに鳥居がある。タクシーから降りて鳥居をくぐり、階段を昇ると、日本神社という神社があった。こ…
『日本の婦人雑誌 解説』所収の「近代婦人雑誌関係年表」(三鬼浩子)の最初に、望月誠編集の『子育の草子』(由己社、明治10.2.20〜10.9.18)が出ていた。我が国で最初の婦人雑誌の編集をしたのは、兎屋誠こと望月誠だったようだ。この人は、やはり出版…