神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版

みやこめっせで拾った満洲冨山房の値札半券が付いた古本

古書展の初日は人も多く気忙しく、ゆっくりと本を調べる時間がない。わしがこのしょーもない棚を見てる間に林哲夫氏や書物蔵さんがトンデモない本を拾ってるかもしれないと考えると、気ばかりあせってしまうのである。その点2日目以降だと客の数も減り、ある…

情報官内山鋳之吉と戦時下の出版社整備

千代田図書館で開催中の企画展示「検閲官ーー戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔」を観て、併せて講演も聴いてきました。講演は、村山龍氏(慶應義塾大学非常勤講師)による検閲官佐伯慎一(筆名・郁郎)に関するものと安野一之氏(NPO法人インテリジェンス…

全集が出るべくして出なかった二人の巨人ーー柳田國男と斎藤昌三ーー

斎藤昌三と三田村鳶魚がどれくらい親しかったかは不明だが、三田村の日記*1には数回出てくる。たとえば、 (大正十二年) 二月九日(金) 崇文堂、斎藤某氏と挈へ来る。(略) 六月八日(金) 崇文堂、八重を一九会へ。◯斎藤昌三氏。 (大正十三年) 一月二十九日(火) …

関西で公職追放になった二人の出版人

戦時中の企業整備による統合後の大雅堂(教育図書が母体)の代表者となった田村敬男だが、戦後公職追放となる。これについて、田村は『荊冠80年』(あすなろ、昭和62年7月)136頁に次のように書いている。 (略)わが大雅堂が、G・H・Qから公職機関に指定され、…

昭和18年における出版社の自主的統合

「「『二級河川』16号の「戦時の企業整備により誕生した出版社一覧(附・被統合出版社名索引)が超便利」」で言及した一条書房(代表者河原四郎。河原書店、臼井書房、スズカケ出版部などが統合)だが、昭和18年1月の企業整備により設立されたという。出版事業の…

『二級河川』16号の「戦時の企業整備により誕生した出版社一覧(附・被統合出版社名索引)」が超便利

『二級河川』16号(金腐川宴游会)をいただいた。特集は「必殺必中グルメ漫画稼業」。特集の他には、堀川秋海「四分割・江見水蔭伝」、トム・リバーフィールド「戦時の企業整備により誕生した出版社一覧(附・被統合出版社名索引)」など。後者の一覧がとても有…

鹿島茂先生もビックラちょ!?新美南吉が見た田沢画房の田沢千代子

大正から昭和戦前期にかけて神保町に田沢画房という名曲喫茶があった。これについては、鹿島茂先生が『ちくま』に連載した「神田神保町書肆街考」で、飯島正、渡辺一夫や玉川一郎が通ったと言及している。そして、鹿島先生が田沢画房の娘で舞踏家だった田沢…

京都共生閣の創立者田村敬男

土屋祝郎『予防拘禁所』(晩聲社、昭和63年8月)に、 私は廃人の群れにも似たその集団のなかに見覚えのあるふたりの顔を見つけた。ひとりはたしかに黒木(重徳)である。昭和六、七年当時、私が三高生だったとき、彼はすでに京大を卒業し、京大北門の百万遍で共…

藤澤衛彦主宰『伝説』の編集者竹内道之助

風俗資料刊行会や三笠書房を創立した竹内道之助は、それ以前に藤澤衛彦の『伝説』(日本伝説学会)の編集をしていた。このことは、『談奇党』3号(洛成館、昭和6年12月)の「現代猟奇作家版元人名録」に書いてあるらしい(金沢文圃閣の復刻版あり)。『伝説』自体…

美術印刷株式会社の皆川省三

股旅堂の目録から『皆川省三君を偲ぶ』(市川憲次、昭和17年10月)購入。非売品、276頁。皆川の略歴は、同書の年譜から要約すると、 明治23年3月24日 長野県飯田町皆川家の二男として生まれる 44年 日本新聞社に入社 45年 日本新聞社を辞し、松下伝吉の雑誌「…

勤労女学校や印刷学校も設立した希望社の後藤静香

長崎県立高等女学校で田代善太郎と同僚だった後藤静香(ごとう・せいこう 1884-1969)。希望社という出版社を創立したということなので、調べたら面白そうな人物であった。『大正人名辞典Ⅱ』下巻(底本は『大衆人事録』昭和3年版)から要約すると、 後藤静香 勤…

『何ごともほどほどに 斎藤雄吉遺稿・回想文集』(日栄社、昭和56年11月)

臨川書店のバーゲンで拾ったもの。臨川のバーゲンには時々出版人、新聞人の伝記や遺稿集が安くでるので、要注意だ。本書は日栄社の創業者斎藤雄吉の遺稿・回想文集。本書中に年譜が作成されていないのが残念だが、『出版文化人物事典』には立項されていない…

出版史料としての『柏木義円日記』

明治31年11月『上毛教界月報』を創刊し、しばしば発禁処分をくらった柏木義円。そのため飯沼二郎・片野真佐子編『柏木義円日記』(行路社、1998年3月)は、出版史研究にも参考になると思われるので、日記から幾つか拾ってみる。 まず、口絵に大正期に発出さ…

『精神統一』も『太霊道之教義』も持ってた創刊号コレクター神原甚造

『太霊道』創刊号(宇宙霊学寮、大正6年11月1日初版・同月20日51版)を入手。発行兼編輯人は、伊藤延次。CiNiiで検索すると、香川大学図書館神原文庫と東京大学明治新聞雑誌文庫が創刊号を持っていた。神原文庫って何だっけなあとホームページを見てみると、…

『健康之研究』(健康之研究社)の出版広告がオモシロ

某所で『向上』9巻5号(修養団本部、大正4年5月)を300円で。発行兼編輯人は蓮沼門三。ググったら、修養団は現在も公益財団法人として存在しているようだ。 さて、本誌をパラパラめくっていたら、『健康之研究』という雑誌の広告が載っていて、とても面白そ…

『紙ノ話』(富士洋紙店、昭和13年11月)内務省検閲原本

これも東京古書会館でゲット。内務省印は、「内務省/13.11.21/(普通出版)」。昭和13年11月18日印刷、同月23日発行。発行所の富士洋紙店は大阪市東区備後町に所在。非売品、18頁。同年9月5日大阪中央放送局ラジオ第二放送で「厚生講座 商品ノ智識」の「紙ノ…

土田誠一『伊勢神道と尊皇思想』(大倉精神文化研究所、昭和10年5月)検閲官コメント付き内務省検閲原本

日本精神講習会叢書の第12輯で、昭和9年10年に大倉精神文化研究所が開催した日本精神講習会の講演筆録第二集の一冊である。『千代田図書館蔵「内務省委託本」関係資料集』を入手してから、検閲官のコメントが書かれた内務省警保局図書課による検閲原本(正本…

『蝦夷野』7巻7号(蝦夷野社、昭和15年11月)内務省検閲原本

これも昨日のアイヌ関係の袋の中に入っていたもの。ガリ版10頁の句誌。表紙の内務省印は、「内務省/15.11.29/[新聞紙]」 。その右に内務省印と同じく赤インクで「納本/新|無」。後者も内務省が押印したものだろうか。「新|無」の意味は不明。奥付は、昭和15…

米村五郎蔵『アイヌの墓標』(西川俊康、昭和14年10月)内務省検閲原本

オタどん改めハツどん(ウソ)が西部古書会館で拾った内務省の検閲原本。アイヌ関係一式として千円で売られていた中の一冊。15頁のガリ版。一番前の雑誌に内務省印があったので購入。本書の内務省印は、「内務省/14.9.30/(普通出版)」の記載。その下に、内…

続報:八重樫旱

八重樫旱については、「『婦人公論』編集長八重樫旱」に書いたが、尾崎秀樹『夢いまだ成らず 評伝山中峯太郎』にも出てきた。 普通社という出版社だ。この出版社の社長は八重樫旱といった。昭和初期に『婦人公論』の黄金時代をつくった名編集者である。八重…

マルクス書房の終焉

『短歌前衛』(プロレタリア歌人同盟の機関誌、昭和4年9月創刊)の発行を昭和5年3月号から引き受けた難波孝夫(難波英夫の弟)のマルクス書房*1だが、相次ぐ発禁処分で経営は危機に陥ったようである。発禁年表によると、単行本の発禁は同年3月に1冊、4月に1…

手に負えない男だった紅玉堂書店の前田隆一

金子光晴『どくろ杯』に紅玉堂書店の前田隆一に関する記述があった。 松村(英一)さんは、別に、神田の紅玉堂という出版屋を世話してくれた。主人は、前歯が出て、凶悪犯人の顔写真のような顔をしていたが、果せるかな、吝嗇で、狡猾で、手に負えない男だっ…

プロレタリア出版社自然社の梅津英吉

前田河広一郎の『三等船客』を大正11年10月に刊行した自然社の創業者梅津英吉の孫という方から、「自然社と三浦関造」(2008年9月20日)にコメントをいただいたことがあった。その後、小川未明の紹介で大正12年2月から8月まで同社で勤務したという壺井繁治が…

第一公論社副社長上村勝彌の出版人生

上林暁の「改造社時代」に、昭和2年4月改造社に入社し、佐藤績と共に山本實彦社長に秀英舎(のち大日本印刷)へ連れていかれた時の様子が書かれている。 秀英舎の「改造」校正室へ行つてみると、編集主任であごひげを伸してゐた上村清俊氏*1(改名勝彌、後「…

アナーキスト林政雄につぶされた聚芳閣

『日本アナキズム運動人名事典』には、林政雄について、 林政雄 はやし・まさお 1901(明治34)−? 東京市本所区(現・墨田区)に生まれる。雑誌『壊人』の同人、評論「芸術の本質と階級芸術」を執筆。23年5月『赤と黒』4輯から同人となる。(略)24年10月南…

聚芳閣の編輯者松本清太郎についても調べただす!

小谷野敦氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」の「久米正雄伝補遺」に出てくる『現代文藝』昭和2年3月号所収の座談会「文壇近頃のこと(二)久米正雄氏剽窃事件批判」の出席者四人(安藤盛・松本清太郎・鳴海四郎・金兒農夫雄)のうち、鳴海の経歴につい…

日本青年外交協会と理事長原勝

『婦人公論』編輯長だったという八重樫昊(筆名・林秀)が常務理事を務めた日本青年外交協会は、昭和13年3月に創立された。協会の概要は、『昭和十八年版日本文化団体年鑑』によると、 日本青年外交協会 所在地:東京市麹町区六番町三ノ四 役員:理事長原勝…

金児農夫雄の素人社と『現代文藝』

西村陽吉等『第一短詩集』(素人社、大正15年3月)にある金児農夫雄の「小伝」によると、 金児農夫雄 明治27年3月北海道余市町生 札幌中学在学中、家産傾き自活の道を得んとして師範学校に転ず 出てて塩谷小学校を振出しに、小樽稲穂女子、同堺等の小学校を…

『婦人公論』編集長八重樫昊

中央公論社の社史から八重樫昊に関する記述を拾うと、 昭和5年11月 八重樫昊、婦人公論編集主任となる 7年6月 八重樫昊、婦人公論編集部長となる 10年2月 婦人公論編集長八重樫昊、事業部長に転ずる 八重樫はこの後、同社を辞めたようで、同姓同名の人が、昭…

エロ・グロ雑誌編集の三冠王田中直樹

田中直樹については、武侠社で『犯罪科学』の編集長、四六書院で『犯罪公論』の編集長、実用雑誌社で『犯罪実話』の編集長をしていたことや、文化公論社*1を創業したことが判明している。ネット上には詳しい経歴が出ていないが、「「娯樂雜誌」の編輯・其他…