神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『見世物研究 姉妹篇』を読む

10月4日に言及した帝国図書館員朝倉無声について、不明であった出典*1は書物奉行氏(の友人)の教示(同日の「書物蔵」参照)により解明された。出典が記されていたという、川添裕編『見世物研究 姉妹篇』の「序」(延広真治)を見ると、朝倉が明治44年5月1…

ヨコジュンもビックリ!?岩野泡鳴の日記に薄井秀一登場

ヨコジュンさんが、『明治時代は謎だらけ』などで、夏目漱石に山中峯太郎を紹介した人物として、その足跡を探求した東京朝日新聞記者薄井秀一。 その薄井を岩野泡鳴の日記*1大正6年4月3日の条に発見。 新潮、小此木、前島、天弦、中央新聞を訪ふ。薄井(秀)…

続・柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−

10月10日言及した柳田國男の幻の妻に関する手紙について、森洋介氏からコメントをいただき、手紙の謎が多分解決した。「多分」というのは、若干疑問がなくもないから。 過去の日記のコメント欄なので、奇特な人しか見ていないと思われるので、ここに掲げると…

“永遠の処女”原節子は汚れていたか?

「書物蔵」の「珍しく畏友を援護」によると、原節子がスメラ学塾に協力していたようだ。 これは、初耳と思っていたら、小島威彦の自伝『百年目にあけた玉手箱』第5巻に、原の名前が出ていた。 その翌日、末次誠子*1が次女をつれて訪ねてきたところへ、珍客が現れ…

スメラ学塾より筑摩書房編集顧問を選んだ唐木順三

昭和15年創業の筑摩書房。塩澤実信『古田晁伝説』(河出書房新社、2003年2月)によれば、編集顧問として西田幾多郎の門下生、唐木順三を編集顧問として招くために古田らが成田を訪問している。 出版社創業の挨拶状*1を発送すると、晁は伊那谷から上京した臼…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その3)

3 決戦!カフェーパウリスタ ここまで1勝1敗の両者の戦い。いよいよカフェーパウリスタで決戦。 鴎外は、 大正6年3月24日 與類往銀座。Café Paulistaに立ち寄る。 小泉は、 明治45年1月19日 阿部、久保田の二人と小山内さんの時間が済んだあと、はじめて…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その2)

2 カフェーライオンで第2戦 森鴎外は、 明治44年12月26日 築地精養軒にて陸軍省忘年会を開く。予も往く。始てCafé Lyonに往きて見る。 小泉信三は、 明治44年9月1日 三河屋から銀座に廻ってカフェライオンに入って見た。 これは、明らかに小泉の勝利である…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その1)

明治44年銀座に相次いで、オープンしたカフェー、プランタン、ライオン、パウリスタ。当時の日記が残る森鴎外、小泉信三の日記を使って、どちらが先に入店したか調べてみた。 1 初戦はカフェープランタン 鴎外*1は、 明治44年5月20日 亀井伯夫人洋行の途に…

黎明期の日比谷図書館(その2)

市島春城の日記(『早稲田大学図書館紀要』34号、1991年3月)によれば、 明治39年10月18日 伊東平蔵来訪、東京市図書館の評議員を嘱託して去る。 明治39年10月31日 尾崎市長より市立図書館評議員を嘱托する旨通牒あり。 明治39年11月20日 三時より市役所ニ至…

黎明期の日比谷図書館(その1)

黎明期の日比谷図書館が登場する日記を見てみよう。 まずは、正木直彦(東京美術学校長)の日記(『十三松堂日記』第1巻)から。 明治41年2月7日 午後東京市役所内に開会の日比谷図書館評議員会に出席す 此評議員は肥塚龍 林謙三 中鉢美明 稲茂登三郎 坪谷善…

月の輪書林と丸山真男

丸山真男の安田つたゑ(故安田武夫人)宛書簡(1994年8月25日消印)*1によると、 貴信をいただいて間もなく、私の書いたものの目録をつくっている若い友人から来信があり、「古書目録八−’94年7月号」*2に、安田君宛封書四通、ハガキ二枚(昭37)が二十万円と…

後藤象二郎の孫とメディアの支配者

小島威彦の回想*1による、後藤象二郎の孫である川添紫郎の昭和9年のフランスへの旅立ちの様子。 早春を迎えて、川添紫郎の渡仏送別会を牛込合羽坂の深尾邸の二階で催した。山本薩夫や谷口千吉や水木洋子、長谷川紀兄妹ら早大仏文の仲間で飲みあかした。初夏…

京都学派と弘文堂

竹田篤司『物語「京都学派」』(中央公論新社、2001年10月)によれば、 三木[清]以後の、下村のいわゆる「若い層」の労作の出版を、弘文堂は一手に引き受け、彼らを世に出すために絶大な貢献をした(「西哲叢書」に次いで「教養文庫」創刊)。いわば「京都学…

鎌倉に読書はあったか −西田幾多郎と東田平治の接触−

「東田平治って何者だ?」って・・・ わしも知らん(笑 知らんが、最近の「書物蔵」に頻繁に出てくるから、図書館界では偉い人に違いない。 日比谷図書館長中田邦造の弟子だったみたいだが、その中田と共に、西田幾多郎の日記*1に出てきた。 昭和20年4月22日…

麻布の古本屋小川書店と柳田國男

柳田國男の『炭焼日記』には古本屋さんも登場する。 昭和20年7月18日 古川橋の古本屋小川勝蔵来、色々の本をもたせてかへす、よき商人と見ゆ。 念のため、反町茂雄『一古書肆の思い出』を見ると、第2巻に麻布の小川書店の小川勝蔵として、出ていた。 追記:…

森茉莉のために一肌脱いだ吉野作造

吉野作造の日記*1に、森茉莉に関する記述があった。 昭和4年6月16日 森鴎外夫人より電話あり 遇ひたいと云ふ 夜来て貰ふことに返事して九時内を出る(中略)七時過帰宅す 鴎外夫人来て居られる 山田珠樹君の所へゆかれた令嬢翻訳ものをされ岸田国士君に見て…

西田幾多郎教授の総回診

唐木順三の回想「西田門下の人々」*1の次の一節。 読者諸君、こころみにかういふ情景を頭に浮べてみたまへ。 西田教授から四五歩距てて田辺元、和辻哲郎、天野貞祐といふ助教授たちがついてゆく。教授は午後三時からの講義に臨むためである。(中略) 教授、…

中村正直を食いつぶした神保町珊瑚閣の息子

南方熊楠の大正8年9月3日上松蓊宛書簡*1で、中村一吉という面白そうな人物に出会った。 中村一吉氏(珊瑚閣と申す表神保町辺の書肆主人、中村正直先生を世話せしことあり。その恩を謝するため先生一女あるに約束通り珊瑚閣の悴を婚わせ嗣子とせしなり。この…

折口信夫の見た金尾文淵堂

折口信夫「詩歴一通」*1によれば、 同じ月*2に薄田泣菫の『暮笛集』も出た筈だが、これは翌年になつて仲兄に教はつて、当時南本町にあつた金尾文淵堂で求めた。今から思へば、出版史の上に書いてよい当時としては豪華な本で、而もこれが自分の手で最初に購う…

柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−

三村竹清の日記(『演劇研究』掲載)については、山口昌男『内田魯庵山脈』で言及されているところである。その三村の日記には、榊原芳野についての詳細な記述があるほか、柳田國男についての瞠目すべき記述*1がある。 大正7年9月21日 此間柳田にて買ひし 木…

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!? 弥吉光長・吉村貞司兄弟

図書館界のビッグネーム、弥吉光長ネタがとうとうキターだす。 あるジャーナリストの日記に、弟で文芸評論家の弥吉三光(かずみつ。吉村貞司)とともに登場するのである。 昭和6年5月15日 午前、彌吉三光氏*1来訪。 昭和6年7月12日 彌吉*2氏午後来訪。三光氏…

大いにやせた国文学者鈴木棠三君

柳田國男の『炭焼日記』には、多彩な人物が登場して楽しめる。 横山重『書物捜索』で「序に代えて」を書いている、鈴木棠三も登場する。 昭和20年11月16日 鈴木棠三君大いにやせて来る、今諏訪の富士見の山に在り、書物疎開の手伝、内閣文庫の本の中に自分の…

丸山真男と水島爾保布

丸山真男については、「未来」で没後十周年特集をしていたが、とっつきにくいイメージがどうしてもつきまとう。しかし、そんな丸山にも面白いエピソードを発見した。 「如正閑さんと父と私」(『丸山眞男集』第16巻)によれば、 まず、水島爾保布。この人は…

四天王寺べんてんさん青空大古本祭は今年も雨(かと思ったが晴れた)

けふはダレゾも来るかもしれぬ。古本祭。 昨年、雨に泣かされたが今年も雨だすね。普段「台風よ、来い!」と言ってたバチかもね(笑 追記:ダレゾの執念か、晴れただす(笑 でも、またどんより曇ってきた・・・ ところで、古書店は掲載されていないが、大阪…

新聞学の小野秀雄に関する噂

戦後、東大新聞研究所所長、日本新聞学会会長を務めた小野秀雄。 ベストセラー『旋風二十年』の著者、森正蔵の日記*1に彼に関する噂が記されている。 昭和21年9月6日 「東京日日」のための新聞用紙配給が否決されたことについては、まだいろいろ折衝が続いて…

帝国図書館員朝倉無声の図書破壊疑惑(その3)

初代早稲田大学図書館長市島春城の日記(『早稲田大学図書館紀要』)によれば、 明治39年10月31日 朝倉亀三より円光寺活字若干を贈らる。 明治40年9月15日 朝倉亀三より名家書翰二軸を示さる。直ちに購入。 明治40年9月18日 朝倉亀三より馬琴の手柬壱通を贈…

帝国図書館員朝倉無声の図書破壊疑惑(その2)

もちろん、この記述だけでは朝倉の破壊行為の証拠にはならないけどね。 さて、帝国図書館の蔵書の切取り行為について、識者の声を聞いてみよう。 まずは、柳田國男*1から。 日本に唯一つの国立図書館、しかも帝都の大公園と併存する図書館の中にも、駆除し難…

帝国図書館員朝倉無声の図書破壊疑惑

最近、日本人のモラル低下の例として、図書館の本の切取り行為や無断持出し行為が挙げられているという。「書物蔵」参照。 単に図書館員による感覚的なものなのか、データによる裏づけがあるのか、知らないが、昔から図書破壊行為などがあったことは間違いな…

北京近代科学図書館長山室三良

岡村敬二氏によれば、国際文化振興会の北京駐在員でもあった、北京近代科学図書館長山室三良。 さすがの日記好きのオタさんでも、日記には登場しないだろうって? 見つけたのだ! 東京美術学校長(明治34年8月〜昭和7年3月)であった正木直彦(文久2年−昭和1…