神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

催眠術

明治30年杉村楚人冠と三島海雲が京極で見物した快楽亭ブラック?の催眠術

一柳廣孝『催眠術の日本近代』(青弓社、平成9年11月)によると、明治30年前後催眠術ブームが一時期途絶えていた。 明治二十年以降を通観するかぎり、催眠術はかなりの隆盛を誇っていたといっていいだろう。しかしそのブームも、明治三十年前後になって、い…

大正9年麻布に出現したインド帰りの怪しい精神統一会の術者

高橋箒庵(義雄)の日記『萬象録』巻8にとうとう民間精神療法家がデテキター\(^o^)/ (大正九年) 十月十四日 (略) [印度伝来の精神統一法] 食後、麻布我善坊山本栄男方に赴けり。今夕は印度に十七ヶ年間滞在して精神統一法を研究し、帰朝後精神統一会なる者を…

桑原俊郎『精神霊動第壱編催眠術』(開発社、明治36年9月4版)

知恩寺の古本まつりで三密堂200円。背と表紙の一部が欠け、数ヶ所に線引きがあるが、それでも安い。実は、明治38年9月13版は相当昔に購入して持っている。数千円したと思う。両者を比較してみると、前者の120頁から129頁まで「附説」として、第二編精神論、…

超能力者山中峯太郎と観相家船井梅南

尾崎秀樹『夢いまだ成らず 評伝山中峯太郎』によると、山中は小さい時から透視力や予知能力を備えていた。そして、船井梅南に会ったことがあるという。 阿南の父は、大いに関心を示し、牛込に住む観相家の船井梅南を紹介してくれた。峯太郎と阿南は、この船…

平井金三に学んだのは英語か心霊学か

第一高等学校で英語を教えていた平井金三。教え子には、明治43年9月同校二部甲類に入学した森田浩一もいた。森田の日記が影印復刻されている*1。 明治44年2月27日 井川君が何か盛んに牛耳つているので聞けば同君は平井先生の所へ行つて催眠術にかゝつて来た…

吉田巌の催眠術修行前史

『吉田巌日記』は索引もないので、使い勝手が悪い。吉田と催眠術については、今月12日に言及したが、そのきっかけはどうやら明治39年に遡ることが判明した*1。 明治39年7月17日 まっしぐらに中村町をわって木崎叔父さんの宅についた。(略)二階で休みながら…

アイヌ研究者吉田巌の催眠術修行日記

いやはや、明治・大正期に催眠術にチャレンジした人の日記や回想を幾つか紹介してきたが、それらがかすんでしまうような吉田巌日記第六、第七が出現した。 明治45年7月25日 東洋出版協会より本月二十日郵送の催眠術警報七月号を入手一読、所感ななめならず。…

古屋鉄石の孫弟子、北一輝

北一輝・北署吉兄弟と、古屋鉄石の催眠術の試験台だった行者永福なる人物とは親しかったようだ。稲邊小二郎『一輝と署吉 北兄弟の相剋』(新潟日報事業社、2002年6月)によると、 また署吉の記録にも次のように書いてある。 「兄がどうして霊的人物になった…

穂積陳重の法理研究会と催眠術

穂積歌子の日記には、催眠術ネタも出てくるのじゃ。 明治37年1月21日 旦那様午前大学、夕より法理研究会へお出。医会と連合にてメスメリズムの実験を行はれしよし。 原注:「メスメリズム」。前年「催眠術」と称する詐欺事件が頻発。当局が取締法規を検討中…

バチェラーの催眠術の弟子だったか、赤司繁太郎

赤司繁雄『自由基督教の運動 赤司繁太郎の生涯とその周辺』(朝日書林、1995年8月)から。 なお余談になるが繁太郎はアイヌ救主バチェラーから地下水を探り当てる秘術を伝授されている。このことは筆者にもしばしば語ったエピソードだが、野間海造も次のよう…

山口三之助の催眠術講義

久し振りに催眠術ネタ。小林一三の日記に出てきた。 明治35年10月29日 三友クラブに哲学博士山口三之助氏の心理学的サイ眠術の講義があつた 中々面白い、そして不思議なものだつた 12月10日 三友倶楽部ニ高橋某ノ骨想[ママ]学ノ話が存つた、余り感心シナイ …

新聞記者にはならなかった催眠術師足助素一

大正4年4月10日付け足助素一の源二郎・義雄宛書簡(『足助素一集』所収)によると、 催眠術が頗る上手となつた。先年札幌に来て居た坂本某などのしたことは幼稚なものだよ。 プランセツトを使つて僕将来の運命を卜せしに僕ハ五月より神戸にて新聞記者たるこ…

人相見(にんそうみ)船井梅南

船井梅南を『木下杢太郎宛知友書簡集 下』で奇跡的に発見。 河合錦子(神戸市北長狭通五ノ一九)の昭和2年1月5日付け書簡に、 それは船井梅南といふ人相見、昨年の六月ニ精神病をなほして上けました、其後東京へ帰つて自分か無心ニなつて念すれハ其人ハ自分…

 朝日新聞記者西村真次を訴えた催眠術師

森銑三の恩師であった西村真次。森の「渋川玄耳の夢想した学校」『明治人物閑話』にも登場する。 玄耳が社会部長だった頃の「朝日新聞」には、社会の各方面の問題を連載記事として取上げて、有力な記者をして取材執筆に当らせている。評判のよかったそれらの…

幸徳秋水と福来友吉の催眠術書

大逆事件により拘留中の幸徳秋水の堺利彦宛明治43年11月21日付け書簡*1に、福来友吉博士のものと思われる催眠術書*2が出てくる。 △字書は二つ同時に来た。一つは早速君を宛て宅下郵送を願つてある。同時に福来博士の心理学とアナトールフランスのペンギンア…

 宮崎滔天と太霊道 

晩年、大本教に関心を持ったり、大宇宙教の信者となった宮崎滔天は、太霊道についての文章を書いたことがある。 上村希美雄『宮崎兄弟伝 完結篇』によると、 そうした中で「お直婆さん」の神観はしぜん一家の評判となり、『大本教批判』*1は家族の手に廻し読…

尾崎紅葉に化けた山崎増造

岩波文庫の『明治文学回想集』の索引を見てたら、奇人、山田一郎の名前を発見。早速上巻の市島春城「明治文学初期の追憶」(『早稲田文学』大正14年7月)を見る。 この亭のお福という娘が大の紅葉崇拝で、山人の小説といえば、ナンデモ精読している。私の亡…

心象会の催眠術実験

松村介石「心象研究会を回顧して」(『変態心理』催眠術革新号)を見てたら、 第一回例会は同年[明治41年]五月二十一日、本郷壱岐殿坂の上宮教会に於て開催し、予の開会の辞に次で平井氏の講演あり、村上氏のサイコメトリー、コツクリ等を試みる者あり、最後…

 巣鴨プリズナーも最後は神頼み?

『続・巣鴨日記 笹川良一と東京裁判1』(中央公論新社、2007年12月)306〜308頁に、年月日も宛先も不明な笹川の獄中からの手紙が掲載されている。そこには、神田区神保町三ノ十一興風書院発行の書籍を至急購入してくれと、31冊の書名が挙がっている。この一…

戦時下の極楽とんぼ(その11)

戦時下に里見とんがあやす〜ぃことをしていた。 高見順の日記によると、 昭和20年5月16日 今日は終日店番を勤めた。里見紝、長田秀雄氏等が来た。里見さんはもう六十近いはずだのに艶々した顔色をしていて、小柄な身体に精力が漲っている感じだ。弁当を持っ…

 福来友吉と五十嵐光龍の催眠術実験

復刻もある五十嵐光龍『自働療法』(婦女界社、大正9年2月)によると、 催眠状態になつて居る時に、何の位計算が正確に敏捷に出来るかを実験した事がある。それは明治四十一年十月九日に東京の帝国大学で実験したので、被術者は廿五歳位の青年で平素算盤など…

ねらわれた学院

三村竹清の日記によると、 大正6年11月29日 山中翁之話に 大学之古典科を出てゝ基教を奉し 青山学院之漢文教師を勤め居る桜井氏とかいへる人あり 予に紹介せんとて此間知人ニ尋ねたるに 近頃岸本某の大[ママ]霊道といふものを信して 家に在りても自分上座に…

 催眠術師赤塩精と福来友吉

『催眠術医術治病新論』(名古屋心理療院、明治38年8月)なる著作のある赤塩精の正体が判明した。 三村竹清の日記によると、 大正6年5月2日 午前 伊勢赤塩未亡人来過(略)赤塩君は犬山藩家老之家の由 名は精 陸軍中尉にて 肺の為に名古屋へ帰り 伊勢へ来り …

武者小路実篤と催眠術実験

今回は本物の催眠術の話。武者小路実篤の自伝小説『或る男』*1によると、 同じ年の十月三日に彼は志賀や木下にさそはれて本郷の中央会堂に催眠術を見に行つた。それは大学の心理学の実験の為めに行はれたので、七時頃から始つた。 (略)彼は術者が三四人の…

 吉野作造は西式健康法

吉野作造は西式健康法だったみたい。 日記によると、 昭和6年4月5日 一時から阿佐ケ谷の組合会館に西勝造氏の講演会ある筈 之を聴きに行き兼て今井君のすゝめもあり氏に健康上の指導を得んものと急いで食事をすまし十二時半頃出かけて水道橋から省線電車に乗…

市島春城と藤田霊斎

市島春城(本名・謙吉)の日記に藤田霊斎なる霊術家が出てきた。 大正5年7月9日 今朝、内子みつを連れて高輪の藤田霊斎方へ行く。みつ心霊療法ニより胃腸を治せんと望み、その請求制しかたく個様の事も多少の効果あらんとて、試みしめんとする也。 「内子」…

平井金三の教育関係著作

1『中学世界』 「神儒佛」9巻12号(明治39年9月20日) 「答案調べの感想」12巻4号(42年3月20日) 「鳩笛の如き当今の語学生」12巻5号(42年4月10日) 「精神修養と自己催眠の話」12巻8号(42年6月20日) 「試験準備の真意」13巻4号(43年3月18日) 2『成…

太霊道で卒論を書いた学生

勝本清一郎というと、『座談会明治文学史』、『座談会大正文学史』だが、後者に太霊道が出てきた。 柳田(泉) それよりも新興宗教の方をいうと、一時勢力のあったのは大[ママ。以下同じ。]霊道の田中守平、これは一代を風靡したもので、学生も信仰したもの…

 宮澤賢治と霊術家佐々木電眼

宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の初稿にあったテレパシー実験の記述が削除されたことは、よく知られているところである。賢治に催眠術を教えたかもしれない人物が、盛岡中学校寄宿舎付近で霊磁療法院を開設していた佐々木電眼である。賢治の大正元年11月3日付け…

平井金三と『新小説』

平井金三の「大きな怪物」(『新小説』明治44年12月1日)については、2月15日に言及したけれど、他にも同誌に執筆していた。 「家庭と催眠術」(怪談百物語)(明治43年8月1日) 「気海丹田吸気法」(明治43年10月1日) 「千里眼の能力」(明治44年3月1日) …