神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎

兵庫古書会館の均一台で見つけた『新家庭臨時増刊 山水巡礼』に水島爾保布

ナンダロウさんが6月21日の『新潟日報おとなプラス』に画家水島爾保布(みずしま・におう)に関する記事を書いたらしいので、読みたいと思っていた。しかし、地元以外では国会図書館ぐらいにしか無いだろうなあとくさっていたら、何と記事にも登場するかわじ氏…

『京都人物山脈』(毎日新聞社)に万屋主人金子竹次郎

何年か前の京都古書会館の古本市で『京都人物山脈』(毎日新聞社、昭和31年12月)を見つけた。毎日新聞京都市内版の連載をまとめたもので、京都の産業、文化、芸能などの各界の人々の群像を描いている。戦後の京都に興味はないし、広く浅い本はダメと思った…

京都の文人宿万屋主人金子竹次郎が残した日記

最近こっそりと追いかけているのが、京都にあった文人宿万屋の主人金子竹次郎である。谷崎潤一郎が初めて京都に来た時に知り合った人物でもあって、小谷野敦『谷崎潤一郎伝:堂々たる人生』(中央公論新社、平成18年6月)にも藝妓磯田多佳女の愛人岡本橘仙の甥…

谷崎潤一郎が頼りにした京都の古書店京阪書房

谷崎潤一郎が命名した東一条の新刊書店春琴堂書店が3月末で閉店。さすが谷崎縁の店ということで谷崎のコーナーがあった。驚くことには、平成27年から29年にかけて刊行された『谷崎潤一郎全集』(中央公論新社)まで置いてあった。大書店でも置いてない方が多い…

第五高等学校出身だった谷崎潤一郎の友人小野法順

谷崎潤一郎の友人で知恩院の僧侶や後藤新平の秘書を務めた小野法順については、「まさか、あの小野法順か!?」や「後藤新平の秘書小野法順」で言及したところである。本おや(本は人生のおやつです!!)で入手した長田幹彦『青春時代』(出版東京、昭和27年11…

『文學界』7月号の安藤礼二論文にもオタどん

『文學界』7月号の安藤礼二「表現のゼロ地点へ 三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹と神秘哲学」に、わすのことが出てくる。 それでは一体誰が谷崎に、神智学的かつ仏教的なスウェーデンボルグ神学を教授したのか。そこには複数のチャンネルが考えられる。神智…

『神保町が好きだ!』5号の「芥川龍之介と谷崎潤一郎」への補足

『神保町が好きだ!』5号(本の街・神保町を元気にする会、2011年10月)が出た。目次は、 [特集]作家が語る・わたしと神保町 ・ぼくのふるさと神保町 浅田次郎 ・学生の街だった神保町 奥本大三郎 ・神保町が世界遺産になる? 角野栄子 ・映画と酒の街 出久…

「谷崎潤一郎訳『源氏物語』を発禁にしろ」と、小川平吉

小川平吉の日記を見てたら、谷崎訳の『源氏物語』を発禁にしろという運動があったようだ。 昭和14年2月1日 日本社午餐会、源氏物語俗訳禁止に努力する事を議決す。 2月6日 夜浜町蔦毛登に首相秘書太田耕造氏の招宴に臨む。池田、入江、岩田、葛生、横矢等志…

今東光に生田長江を紹介したのは誰だ?

「今東光の文壇巷談 谷崎先生にだけは頭が上がらなかった」(聞き手:梶山季之)*1によると、 今 そもそもはね、久米(正雄)さんと知り合ったわけだ。これはたぶん、関根正二だの、上野の連中だのの絵描き仲間として知り合ったんだな。それから久米さんに、…

谷崎潤一郎が描いたRussian Barの開店時期

谷崎潤一郎が大正4年11月『新小説』に発表した「獨探」に「Russian Bar」が出てくる。「露西亜生れの魔性の女が銀座の裏通りに怪しげなバアを開いたと云ふ事を新聞で知つた」とか、パウリスタに寄った後、そこに向かったという記述がある。この店について…

黒岩比佐子さんが追いかけようとしていた奇術研究家阿部徳蔵

『出版ニュース』2007年1月上・中旬合併号の「今年の執筆予定」に黒岩比佐子さんが書いた執筆予定の中に結局執筆されなかったと思われるものがある。 (4)奇術研究家の阿部徳蔵という興味深い人物のことを知り、調査中。近代の「奇術と霊術」に新しい切り口が…

久米正雄の噂をする谷崎潤一郎

宇野浩二の昭和28年11月18日付広津和郎宛書簡*1によると、 昨日(略)ちかくの『米村』に行つて、カンタンな食事をしたところ、新橋演舞場の文学祭の話が出て、その晩に来た火野君に一枚だけキツプをもらつたからといつて、夫婦に同伴をさそはれたので、第一…

慶應卒業を控えた竹田龍児の就活

相変わらず就職戦線は厳しいようだが、昭和9年慶應義塾大学卒業の竹田龍児も、苦労したようだ。昭和8年12月24日付け三好達治の桑原武夫宛書簡によると、 これは少し私的のことになりますが、貴兄の友人で天理外語(?)に勤めてゐられる方(略)は、何といふ…

姉崎正治の講義「神秘主義」を聴いていた武林無想庵

磯前順一・深澤英隆『近代日本における知識人と宗教 姉崎正治』所収の年譜によると、姉崎はドイツ留学からの帰国の帰り、明治36年3月マドラスの神智学協会本部に、アニー・べサントを訪問。同年6月神戸着、9月には、東京帝国大学文科大学助教授を休職し、講…

谷崎潤一郎のラーマとのランデヴー

私が、初めてラーマーヤナというインドの古代叙事詩を知ったのは、恥ずかしながらデニケンの『未来の記憶』ではないかと思う。 ラーマヤーナには、空中飛行機のヴィマナが水銀と強風の力で高空を走ることになっているが、それを読んでもわれわれはべつに驚か…

そのとき谷崎潤一郎はスウェーデンボルグに開眼した

大正4年6月、ある雑誌に山村暮鳥の「曼陀羅解」が載った。これは、フィランジ・ダーサのSwedenborg the Buddhist(仏教者スウェーデンボルグ)の抄訳である。著者名は書かれていないが、同書によるものであることは、末尾に記されている。一部を紹介すると…

谷崎潤一郎「晩春日記」はどこまで真実か

安藤礼二氏が『すばる』の連載で、『谷崎潤一郎伝』の次の一文を引用したので、猫猫先生もお喜びのようであった。 特に谷崎潤一郎をかわいがらなかったこの実母の死について、谷崎が衝撃を受けたという資料は見当たらない。 谷崎の実母が丹毒にかかり、大正6…

弟精二の再婚披露宴に出席する谷崎潤一郎

猫猫先生が言及していたが、青野季吉の日記に谷崎精二の再婚披露の会が出てくる。 昭和16年11月3日 ○午後、谷崎精二君の結婚披露のお茶の会に赴く。大隈邸(会館)の庭を散歩、式場にて来賓を代表して一寸挨拶す。 11月4日 ○文展を観に行く。会場にて廣津和…

中央公論社の雨宮庸蔵と六人社の戸田謙介

六人社の戸田謙介は、早稲田大学時代から雨宮庸蔵の友人だった関係で、雨宮の『偲ぶ草』に名前が出てくる。 だから本当に人を紹介しようとする場合、私は本人と同行するか、前以て相手にあって話しておくかを原則とする。例えば友人の戸田謙介の場合。谷崎潤…

あれもSF、これもSFだった時代

かつて、「あらえっさっさの時代」、じゃなかった、「あれもSF、これもSF」と称された時代があった。SFの「浸透と拡散」を迎える前の時代で、市民権を得るためか、あの文学者のこの作品は、実はSFなのだとされた時代である。たとえば、『世界SF全…

『新演藝』の合評会と鴎外の通夜

さて、「谷崎潤一郎詳細年譜」の大正11年7月11日の項を見ると、 11日、日本橋若松で「お国と五平」合評会。谷崎、荷風、小山内、岡田八千代、万太郎、周太郎、伊原青々園、岡鬼太郎、久保田米斎。 これは『新演藝』の合評会だが、このメンバーのうち、荷風、…

栗本薫の愛した谷崎潤一郎

亡くなられた栗本薫が森茉莉の影響を強く受けたことは本人が何度も書いているが、谷崎潤一郎の著作も愛好していたらしい。『翼あるもの』(文春文庫、1985年5月)の「文庫版のためのあとがき」によると、 私の中には、健全と頽廃、剣と魔法、西洋崇拝と日本…

思想なき藝術家筒井康隆

筒井康隆『乱調文学大辞典』によると、 たにざき-じゅんいちろう【谷崎潤一郎】佐藤春夫に「思想なき芸術家」と評されて以来、それが彼への世評となってしまった。ぼくが作家になったのはこのことを知り、ぼくの大嫌いな「思想」がなくても芸術家にはなり得…

高村光太郎と木村荘太の決闘に立ち会う谷崎潤一郎

明治43年11月20日の「パンの会」では、色々事件が起きている。小谷野氏の「谷崎潤一郎詳細年譜」によると、 日本橋大伝馬町の三州屋で開かれた「パンの会」の集まりに出席し、永井荷風に会う。ほかに、与謝野鉄幹、蒲原有明、小山内、木下杢太郎、久保田万太…

谷崎潤一郎の偕楽園の会と里見とん

鏡花全集別巻(岩波書店、昭和51年3月)に収録されている山内英夫(里見とん)宛の書簡下書によると、 今朝谷崎君より電話にて例の階[ママ]楽園の会今夕相催したくあなたと阿部さんの御都合きゝあはせくれとの事にて唯今会社の方へ電話にてたづね申候ところ…

谷崎潤一郎は山猫だったか、豹だったか

文豪を動物にたとえることは昔から行われていたよう*1で、萩原朔太郎「室生犀星に就いて」*2によると、 たいていの文学者は、何かの動物に譬へられる。例へば佐藤春夫は鹿であり、芥川龍之介は狐であり、谷崎潤一郎は豹であり、辻潤は山猫の族である。ところ…

里見とんの原稿料

『モダニズム出版社の光芒 プラトン社の1920年代』からの孫引きだが、西口紫溟『五月廿五日の紋白蝶』(博多余情社、昭和42年)に、プラトン社における作家の原稿料(一枚当たり)が載っているらしい。 15円 幸田露伴 10円 田山花袋、佐藤春夫、里見とん、菊…

一番手のかかる患者

大岡昇平の『成城だより』にも谷崎ネタあり。 昭和54年12月11日 中沢徳弥君はもと熱海国立病院の副院長、退職後、清水町にて開業していた。文学にかかわることを記せば、熱海居住中の谷崎潤一郎、志賀直哉、広津和郎の主治医なり。もうみんな故人だから書い…

谷崎潤一郎と福井久蔵

藤原学「「昔の東京」という京都イメージ 谷崎潤一郎の京都へのまなざし」*1を見てたら、目新しい事が書いてあった。 従来、築地精養軒主人の北村家に谷崎を斡旋したのは、府立一中教師の渡辺盛衛とされてきた。しかし、藤原の発見によると、福井久蔵「教壇…

藤村会の発起者

『文章世界』10巻11号(大正4年10月1日)中の「文界消息」によると、パリ滞在中の島崎藤村後援のため、田山花袋、中澤臨川、馬場孤蝶、戸川秋骨、蒲原有明、小山内薫、有島生馬らが発起者となって、藤村会が設立された。また、「藤村会清規」によると、藤村…