神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

1978年に2回あった古本まつり

第31回秋の古本まつりへトチゲキすべく体調を整えたはずが、お腹の調子が悪く朝から四回もトイレに。 用事もあって、10時になっても、ようやく京都市内の某駅を通過したていたらく。初日は古本供養で開会が遅いはずだと、気を落ち着かせる。 会場の知恩寺…

市河彦太郎と女流作家

外交官だった市河彦太郎については、小谷野敦『日本の有名一族』で、鶴見祐輔の姉の娘かよ子の夫として言及されているので、今後知名度がアップすることだろう。既に紹介したように、市河はスメラ学塾の講師だったし、藤澤親雄、谷川徹三、大佛次郎らと共に…

古本に群がる都筑道夫!植草甚一!!大橋健三郎!!!

都筑道夫『推理作家の出来るまで』下巻(フリースタイル、2000年12月)によると、 早川書房に入って間もなく、知らない古本屋から、電話がかかってきて、そういう図書館本を、大量に見せられたときのことを、いまでもおぼえている。古本屋ではなく、廃品業者…

町田久成失脚の真相

町田久成については、関秀夫『博物館の誕生―町田久成と東京帝室博物館』(岩波新書)に詳しい。しかし、同書に書かれていない町田に関するネタが三村竹清の日記*1に記されていた。 明治43年1月31日 町田久成氏の不遇となりしはしめは 大久保公の死もさる事な…

中之島公会堂のレストラン

NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」を見てたら、中之島公会堂のレストランが登場。前作の「どんど晴れ」に比べると、今一つのドラマだが、今後盛り上がるか。 追記:「どんど晴れ」効果か、中公文庫から佐々木喜善『遠野のザシキワラシとオシラサマ』…

ショップガールも論じた北澤秀一

日本で最初にモダンガールという用語を使用したとされる北澤秀一の名前をみかけた。 吉見俊哉「帝都とモダンガール」(バーバラ・佐藤編『日常生活の誕生−戦間期日本の文化変容』柏書房、2007年6月)によると、 このような都市の百貨店における女性店員の急…

左京系オタ

アキバ系オタに対抗して、神保町系オタが存在する。 日本橋がアキバ化して、ポンバシ系オタも出現しているらしい。そうなると、関西版神保町系オタの呼び名が欲しくなる。 大阪には梅田、難波や天神橋筋といった、古本屋が一定まとまった地区もあるが、ここ…

童貞論のパック

岡崎武志氏の書棚には、童貞論の書物がパックされているらしい。 「古本屋の棚から見た新書あれこれ」(『古本生活読本』ちくま文庫、2005年1月)によると、 例えば、私が秘かに目をつけているのが、ちくま新書の押野武志『童貞としての宮沢賢治』、小谷野敦…

明治の御世からモテていた早大生

創立125周年記念事業に沸く早稲田大学。 現代のハンカチ王子に限らず、昔からモテていたようだ。外骨の『滑稽新聞』第89号(明治38年2月1日)によると、 蝦茶式部の跋扈は益々甚しく候(中略)苟しくも良妻賢母と成るには、夫無かるべからず、そこでと言ふ所…

読書人協会と建設社

スルメみたいに読めば読むほど味が出てきて、発見がある柳田國男の『炭焼日記』。こんな記述もあった。 昭和20年12月26日 有坂与太郎氏始めて来る、読書人協会の発起人になつてくれといふこと、建設社阪上真一郎といふ人の為といふ。 書物奉行氏や森洋介氏の…

やはり山口昌男は偉かった

さすが、山口昌男先生。とっくにポール・リシャールに言及していた。 『はみ出しの文法 敗者学をめぐって』(平凡社、2001年3月)所収の谷沢永一との対談(「「日記」こそ歴史をひもとく最適のメディアだ」)で、 山口 秋田雨雀の日記も、ちょうど第一巻が大…

均一小僧と類似宗教学者の接近遭遇

再び岡崎武志氏の著作から。 一番よく通ったのが、銀閣寺参道から今出川通りを西進し、京大前から鴨川を越えて、本を質に取ることで知られた「善書堂」周辺までのコース。これらの店では、一時期凝った美術の本や、詩集、文芸書、それに文庫をチビチビ買って…

堀田善衛とサンカ

堀田善衛の「奇妙な一族の記録」(『文藝春秋』1956年6月号)*1にサンカ関係の凄いネタがあった。 その頃、私の家に、碁石という奇怪な姓の女中さんがいた。十七、八の若い娘であったが、これが、母の話によると、なんでも山窩の娘だということで、選挙が近…

西脇順三郎と柳田國男

柳田國男の『炭焼日記』中の西脇順三郎。 昭和19年2月20日 西脇順三郎氏来、疎開の家をさがしにと也。 4月23日 西脇順三郎君来、慶応研究所の計画を話せらるゝ。 5月5日 慶応義塾の研究所へ方言集類を寄贈することになり、けふ西脇順三郎氏小使二人をつれて…

植草甚一も古川橋の小川書店に通っていた

古川橋の小川書店には、宮本常一や岡本綺堂が通っていたけれど、植草甚一も通っていたようだ。 植草の日記*1によると、 昭和20年4月22日 午後、六本木をぬけ古川橋の小川書店へゆこうとして渋谷ゆきのBusが来たので、渋谷へ出る。 4月27日 本社ゆき。帰途古…

世には童貞日記なるものもあるみたい

南陀楼綾繁さんが書いた『童貞小説集』の書評が載った『COMIC Mate』は今日発売みたい。 なんせ××漫画雑誌だから、コンビニでこーそり読もうかしら。 小谷野敦氏の「童貞と学歴」(『ちくま』10月号)によると、『童貞小説集』は、 ほかにも筒井康隆の「喪失…

高山宏の仮性図書館本?

高山宏氏の『世紀末異貌』(三省堂、1990年6月)は多分持っていない。 同氏の『奇想天外・英文学講義』(講談社選書メチエ、2000年10月)によると、 その過程でできた本が、今は絶版になった『世紀末異貌』である。世紀末をオスカー・ワイルドやビアズリーな…

行ったつもりの一箱古本市

退屈男さんが一箱古本市のリンク集(「退屈男と本と街」10月14日分参照)をまとめてくれました。ひたすら、感謝。 過去2回お客として行ったことがある。でも、いつかは店主として参加するのが私の夢。 - 岡崎武志『古本病のかかり方』の次の一節。 読書に飽…

船内で独歩全集を読む大川周明

大正11年7月、神戸から満洲旅行に旅立つ大川周明。船内で読書をしている。 大正11年7月23日 舩の文庫から独歩全集を借りて読む。独歩は弱い。併し清い。清くして弱きが故に、常に悲しい。読み耽るうちに、此頃になき静かな物哀しい心地になり知識欲やら意…

神保町「ワンダーランド」終焉の謎(その2)

わしも書物奉行氏に負けじと、書店のガイドブックを見る。 本の探偵団編『最新版・本を探す本』(フットワーク出版、1997年5月)によると、「ワンダーランド」は新刊書店に分類されていて、 洋書ワンダーランド(洋書/趣味) 神田神保町1−9 大雲堂ビル3…

最初の露探容疑者長田秋濤(その3)

外骨の『滑稽新聞』56号(明治36年9月5日発行)によると、長田と同時期にもう一人露西亜の犬と疑われた人がいたらしい。 露国の犬 是は其一名を売国奴ともいふ(中略)夫に近頃長田秋濤といふハイカラ文士や、恒屋盛服といふデモ政治屋等が、いつも露国公使…

千里眼実験立会人達の噂話

ジョン万次郎の長男中浜東一郎の日記*1に面白い記述があった。 明治43年9月16日 (前略)午後六時より神田の宝亭にて委員会を開く。予は鎌倉より帰途、新橋より直ちに参会。小池男爵其他二十余人参会。衛生学会に残余の金を寄付する事を決議す。千里眼との評…

最初の露探容疑者長田秋濤(その2)

10月9日に紹介した市島春城の日記の明治36年11月4日の条に「就寝後早川[早治]、秋濤事件ニ関し被告ニ無罪之判決を与へし始末を云々す」とあった。素直に読めば、早川という人は、権藤震二を被告とする事件で無罪判決を下した人と読めるのだが、まさか裁判官…

たまには新本あれこれ

創元社編集部編『BOOKMAP関西図書館あんない』(創元社)という新刊を見る。毎年出たりして(んな、わけないか) 少し前だけど、藤巻一保『吾輩は天皇なり 熊沢天皇事件』(学研新書)。熊沢天皇が新書で読めていいのだろうか。いいのだろう。 小谷野…

最初の露探容疑者長田秋濤

日露戦争期に露西亜(ロシア)の軍事探偵(スパイ)のことを「露探」と呼んだが、その疑惑を受けた最初の人物は、長田秋濤であった。長田や秋山定輔など露探の容疑をかけられた人達については、奥武則『露探』(中央公論新社、2007年8月)に詳しい。 同書の…

神保町「ワンダーランド」終焉の謎

「本の街日記」さんの御教示により、蟻二郎の古書店ワンダーランドの閉店年が1999年と判明。同店が営業を開始したの1979年10月、当時早稲田大学第一文学部の二回生で、その後大学院に進み、英米文学を学び、晶文社大好きオジサンとなる(もはや過去形とすべ…

失って改めて分かる書肆アクセスの居心地のよさ

残念ながら行けなかったけれど、東京古書会館での「本屋さんの現在とこれから」の様子について、「黒岩比佐子さん」、「晩鮭亭さん」が報告してくれている。 南陀楼綾繁さんが『路上派遊書日記』の畠中理恵子さん(書肆アクセス店長)との対談で、「当然のよ…

お仕事をしつつ『古書をとりまく視点』を見る

遊んだ後は、お仕事。のつもりが、拾った『古書をとりまく視点』(大阪府古書籍商業協同組合、平成19年4月)をちらちら見る。「林哲夫さん」(5月15日分)や「南陀楼綾繁さん」らが紹介していた本だね。 岡崎武志さん、南陀楼さんの他、あじましでお、唐沢俊…

今日は森見登美彦

今日の夜11時からNHK教育の「トップランナー」に森見登美彦登場。写真でない森見を見るのは初めて。下鴨神社の古本市にこだわる理由について語ってくれないかしら*1。→9月30日参照 何年も前、賀茂大橋を渡るバスから下を見ると、亀の形をした飛び石に横たわ…

 外務省情報部事務嘱託としての小野秀雄

小野秀雄の『新聞研究五十年』には、 ところが、昭和十二年七月には、第一回洋行の時、イタリアの日本大使館で知り合った矢代重徳君の紹介で私は外務省事務嘱託となった。 外務省情報部長だった天羽英二の日記を見ると、 昭和11年9月19日 昼 小野賢一郎秀雄…