2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧
大正期に存在した東京国際倶楽部については、2月4日に言及したが、『満川亀太郎日記』には既に紹介したもののほかにも同倶楽部に関する記述がある。 大正15年3月14日 東京国際クラブ(欠席) 6月13日 国際クラブの会 伊太利大使館員のフアシスチ談 馬伯援君…
朝日新聞の社説は「一冊の本とボールの力を」。被災を伝える多くの写真の中で、印象に残った2枚の写真。一枚は、避難所のストーブを明かりに本を読む子の落ち着いた表情。もう一枚は、サッカーをする少年たちの笑顔の写真だという。さて、「本を送ろう」茶話…
学校法人亜細亜学園理事長(昭和29年5月〜31年8月)・亜細亜大学学長(昭和30年4月〜56年11月)だった太田耕造の日記*1に茂木久平を発見。 昭和29年10月14日 十二時、陶々亭に赴き、彭、田、藤原君と会談(略)了て同所にて早川君、丹羽喬四郎、五郎丸、茂木…
売文社の社員だった茂木久平について、黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)は、 早稲田の学生時代には大杉栄に心酔し、『近代思想』を愛読していた茂木が、その大杉を虐殺した犯人とされている甘粕と深い関係を持つよ…
昨年亡くなられた黒岩比佐子さんは筆まめな人で、日本ペンクラブの会報の「会員短信」で近況報告を見ることができる。 ・最近、古本蒐集にはまってしまい、部屋中古本に占領される日も遠くなさそうです。それにしても、百年も前の本の方が装幀などすばらしい…
「本やタウン」に小谷野敦『久米正雄伝 微苦笑の人』(中央公論新社)の案内が出てた。 「作家久米正雄の人生と作品分析をとおし、明治・大正・昭和の、日本における純文学と大衆文学、私小説と通俗小説の成立と相克を描く」4月25日税込価格3,045円久米正雄…
昨年、岡崎市立図書館である事件*1が起きたが、戦前にもちょっとした事件があった。 昭和18年から同図書館に勤務した福岡寿一の『風塵録』(武蔵野書房、1990年4月)によると、 「罪 万死に値いす」 館長の中村和之雄という人物のことは、以前「ある奇人伝」…
佐々木味津三の年譜*1によると、 大正12年6月6日 「呪はしき生存出版記念の会」が田端の自笑軒で開かれ、徳田秋声、近松秋江、菊池寛、宇野浩二、久米正雄、芥川龍之介、佐々木茂索、横光利一、川端康成、直木三十三等二十数名の他、五来素川も来会、それぞ…
吉備路文学館で4月24日まで「吉備路近代文学のさきがけ 百輭・譲治・捷平展」開催中。同文学館は2003年の森田思軒展の時に行ったくらいかな*1。 *1:2009年6月17日には、「何回か行っている」と書いてた。
大正期コスモ倶楽部なる団体が存在した。堺利彦が主宰していたようで、『大正十年四月十五日調 思想団体表』(内務省警保局)*1による*2と、 コスモ倶楽部 会員数:計76名 創立年月日:大正9年11月25日 主幹者住所・氏名:東京市麹町区麹町8丁目 堺利彦 明治…
宋斗会『満州国遺民 ある在日朝鮮人の呟き』(風媒社、2003年6月)に、板垣なる満鉄の図書館長が出てくる。 営口の新市街には、満鉄の図書館があった。田舎の町だからそんなに大きなものではなかったが、その図書館の館長であった板垣さんという人が、どうし…
地震の発生で延期されていた「ETV特集 思い出の街が甦る 写真家・井上孝治の世界」が今日NHK教育午後10時から放送だ。 井上の写真集『こどものいた街』(河出書房新社、2001年4月)に黒岩さんは、「音のない記憶」と「井上孝治年譜」*1を執筆してい…
穂積歌子の日記が「情報の宝庫」(黒岩比佐子さんのコメント)であることは、「婦人交際会とお近づき」(2009年2月26日)や「穂積陳重の法理研究会と催眠術」(2009年2月27日)で示したところである。この日記の中に、更に平井満寿の夫となるポール・ケート…
堺利彦と早稲田大学・明治大学の学生の交流があったことは、3月6日に書いた。尾崎士郎の「学校騒動」『早稲田大学』でも少し言及されている。 現在の西方は堺枯川の経営する、売文社に出入して、ひとかどの革命家を気取つてゐた。(略)その頃、堺枯川を中心…
『春秋』2・3月号所収の高橋巌「無縁社会の中で」で、高橋氏は、1950年代の後半、学生生活を送りながら、自分の意識が少しも変化してくれないことに違和感を感じ、また、どうしようもない孤独感にさいなまれていたという。そして、 その頃の一時期、都立北園…
「ジュンク堂の思い出」の第三弾。 2005年1月24日 しまった!。京都店の思い出を忘れていた。昭和63年のオープン時、京都一の繁華街にある河原町で始まった書店戦争はマスコミにもとりあげられた。迎え撃つ丸善、駸々堂、ブックストアー談などは、内心戦々…
河田惠昭『津波災害』(岩波新書、2010年12月)に、日本の津波常襲地帯と一例として、三陸海岸があがっており、 (前略)津波防波堤のある大船渡、久慈(工事中)や釜石を除いて、世界屈指の津波危険地域であると言える。 とある。大船渡、久慈、釜石は想定…
東京堂書店は14日にリニューアルオープンだったはずだが、14日と15日は「計画停電 地震余震等の影響により臨時休業」とのこと。16日のオープンになってしまった。→「http://tokyodoshoten.co.jp/blog/」
そろそろ筑摩選書による復刻『筑摩書房の三十年』が出る頃だ。亡くなった谷沢永一は、平成9年3月16日付毎日新聞の「この3冊」で、「出版社の社史」から次の3冊を選んでいる。 ・『講談社の歩んだ五十年』(木村毅監修、1959年) ・『新潮社七十年』(河盛…
引き続き「ジュンク堂書店日記」の引用。 2005年1月23日 阪神淡路大震災と言えば、サンパル店(正確には平成3年からブックセンター店と言ったようだ)に加えて、センター街の三宮店も壊滅した。 当時、新聞で「地震によるスプリンクラーの作動で地階が水没」…
「ジュンク堂書店日記」を掘り起こしてみた。 2005年1月22日 あれは、十年以上前の事だったろうか。筆者にとってジュンク堂ショックとも言うべき、最初の経験は、サンパル店からだった。 今思うと、少し薄暗い感じの店だったが、充実した専門書のラインアッ…
中村稔『文学館を考える』(青土社、2011年2月)に、 さいたま文学館のばあい、学芸担当の専門職員が任命されたのは開館の数カ月前、すでに建物は完成していた。展示室は外面が総ガラスであった。そのような展示室に肉筆資料を展示すれば資料がたちまち劣化…
戦時下における雑司ヶ谷の怪人について2010年6月20日に書いたが、大正期の怪人を一人発見した。野口存彌『沖野岩三郎』に、 佐藤耶蘇基に関しては加藤一夫『穴仙人の手記』(大正十四年刊)*1に描かれているが、『新公論』大正八年九月号に掲載された月岡か…
「とりあえずググる」世代ではなく、「とりあえず事典を見る」世代なので、「yukunoki-a」さんに聞かれた小口みち子(平民社の常連客、『へちまの花』の執筆者)の読み方を色々事典類などで調べてしまった。*「おぐち」とするもの 『日本近代文学大事典』、…
黒岩比佐子さんが、『パンとペン』で茂木久平について早稲田大学中退としている*1のは、尾崎士郎の「売文社員」『青春記』の次の記述が根拠かもしれない*2。 小石川の護国寺裏に住んでいる江木久太は、六十すぎた母親と妹との三人暮しで、一次郎と同じ二十才…
『トルストイ全集第51』(トルストイ全集刊行会、昭和3年)で翻訳をしている西川松子さんて、赤旗事件で管野すがらと共に検束された神川松子さんだったのね。神川は、同事件について無罪で釈放となった後、台湾に渡り、西川末三と結婚して、西川松子となって…
『WiLL』の「天地無用」が休載されていたので心配していた人も多かっただろうが、谷沢永一が亡くなられた。かつて、谷沢は、「読ませる出版社史」で、「筑摩書房が創業三十年にあたり、記念事業のかわりにと配布した物語風社史『筑摩書房の三十年』は、執筆…
松山光伸『実証・日本の手品史』(東京堂出版)は、昨年9月発行。黒岩さんが目にする機会はあっただろうか。もし、もっと生きておられたら本書を書評にとりあげていたのではなかろうか。 天海と同年の明治22年(1889)に生まれ、天勝と同年の昭和19年(1944…
篁白陽を満川亀太郎に紹介した秦学文*1の略歴が判明した。『近代朝鮮文学日本語作品集(1901〜1938)評論・随筆篇3』によると、 秦学文(チン・ハンムン) 一八九四−一九七四。ソウル生まれ。作家、ジャーナリスト、実業家。号は瞬星。一九〇八年、東京慶応…
知らない間に『中央公論アダージョ』が先月で休刊。最後の特集は「田中角栄と大門を歩く」。角栄と神保町の関係もあり。 →「http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/news/subway/2011/sub_i_201102254_h.html」 - 『春秋』2・3月号の奥山直司「多重化す…