神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「ざまぁー見ろ、と辰野隆」考


太平洋戦争開戦後、辰野隆が「あの十二月八日の朝、感じたことを一言で言いますと、ざまぁ見ろです」と述べていると、林茂『太平洋戦争』(中央公論社)に書かれている。この出典が不明なことは、小谷野氏が書いていて、わしにもわからないのだが、辰野の発言を聞いた人を発見した。


伊藤整の『太平洋戦争日記』によると、

昭和16年12月24日 昨夜翼賛会文化部から、今日文学者愛国大会の由通知あり。(略)
(略)十二時半也。大急ぎで、電車にて大政翼賛会もとの東京会館に行く。二百人もいるらしく、盛会。(略)
向側に川端、深田、島木、亀井、太宰等の顔が見え(略)
国民礼をしてから、勅諭奉読。いい声なり。後で聞くと高浜虚子の由。それから安藤副総サイ(軍人)や谷情報局総サイの話があり、それから会に移り菊池寛司会にて、色々と指名、徳田秋声、その他喋る。(略)水原秋桜子辰野隆(下らないザマを見やがれという話をする)、高田保(これは、文学は時代を反映するもの故、文学に悪い所が若し出たら時代そのものに政治家は気をつけてほしい、と言う。つまらぬ)、また戸川貞雄(略)、白井喬二等、つまらぬ。菊池寛の指名は、変によごれた所が出ている。白井、高田、辰野、戸川等それである。外に横光、高村光太郎、富安風生等それぞれに面白かった。後方に白髪の青野氏がいる。


辰野隆(下らないザマを見やがれという話をする)」とあるね。「下らない」の部分は、辰野の発言ではなくて、伊藤の感想と思われる。林が前掲書で挙げている他の発言者である青野季吉亀井勝一郎斎藤茂吉もこの文学者愛国大会に出席していたようだが、青野は『青野季吉日記』によると、「参加者発言の予定に僕の名があったが、気おくれと、羞恥のため遠慮」したという。また、茂吉は日記に、「文学者愛国大会ニノゾム、歌一首ツクル」とあるが、この「一首」は林が挙げた歌*1ではなく、「短歌拾遺」にある、「開戦直後作」で「文学者愛国大会に際して朗読」した「絶待に貫かむ目的さだまりてうち挙(こぞ)りたるひとつだましひ」と思われる。

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猫も杓子も源氏物語のようだが、日経の連載「源氏物語千年の波紋」で昨日分は、谷崎潤一郎旧訳の源氏と山田孝雄による「検閲」の話だった。

*1:「何なれや心おごれる老大の 耄碌国を撃ちてしやまむ」