神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

大正期には日本に上陸していたホメオパシー

新聞の一面にホメオパシーに関する記事が昨今載るようになった。このホメオパシーがいつ日本に上陸したかは知らないが、少なくとも大正6年にはその薬を飲んでいた人物がいる。エロシェンコ像で知られる中村彝である。大正6年10月19日付小熊虎之助宛書簡*1に…

田端の天然自笑軒に集う文人(その3)

あっ、自笑軒を利用しそうな文人を調べていたのであった。谷崎潤一郎の「晩春日記」(『黒潮』大正6年7月号)にも田端の天然自笑軒を見つけた。 五月三日。 (略) 山本露葉、武林無想庵二氏の発起なる「たべる会」と云ふもの、午後四時ごろより田端の自笑軒…

そのとき谷崎潤一郎はスウェーデンボルグに開眼した

大正4年6月、ある雑誌に山村暮鳥の「曼陀羅解」が載った。これは、フィランジ・ダーサのSwedenborg the Buddhist(仏教者スウェーデンボルグ)の抄訳である。著者名は書かれていないが、同書によるものであることは、末尾に記されている。一部を紹介すると…

本郷菊富士ホテルに潜伏するあやす〜ぃインド人シャストリー

大正期の秋田雨雀を取り巻いた外国人の神秘家は多数いたが、インド人のシャストリーもその一人である。秋田の日記によると、 大正5年11月25日 夜、リシャール訪問。印度の大学教授、ミスタ・シャストリイにあう。この人は早稲田で“On ahtma”の講演をした人…

戦前既に国立国会図書館の設計図が書かれていた

昭和14年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業した生田勉の卒業設計は国立中央図書館だったと、7月21日に書いた。しかし、『立原道造と生田勉』(立原道造記念館、1998年3月)に、卒業設計として「国立国会図書館 透視図」の写真があがっている。戦前、帝国議…

まだ『もてない男』すら読んでいなかった頃のオタどん

昔やってた別のブログを見てたらこんなことを書いてた。 2005/08/15 世田谷文学館ニュースで日焼けした小谷野敦氏を見る (略) そこで、再びもてない男の仲間になった小谷野さんの話題にしよう。 世田谷文学館ニュースで、館長の佐伯彰一氏と、小谷野敦氏の…

紅葉門下篠原嶺葉の末路

黒岩比佐子さんの『古書の森 逍遙』で書籍コード083は、篠原嶺葉『家庭小説 新不如帰』(大学館、明治39年8月初版、40年4月6版)。嶺葉については、ヨコジュンさんも「近代日本奇想小説史 または、失われたナンジャモンジャを求めて」の「第68回 奇想小説の…

戦時下鈴木大拙のある一日

『鈴木大拙研究基礎資料』所収の年譜昭和19年1月9日の条に「午後外出、あるグループに禅について話す、夕食を饗された後遅く帰る」とある。「あるグループ」ってなんだろうと思って、人間グーグルを稼働したら『神西清日記』がヒットした。 昭和19年1月9日 …

なんて間がいゝんでせう

大逆事件百年特集の『初期社会主義研究』22号(2010年6月)で、黒岩比佐子さんの「なんて間がいゝんでせう」を読んだ。管野すがが獄中から堺為子に宛てたハガキの文面に出てくる「なんて間がいゝんでせう」という当時の流行語が、ある所にも出てくるという「…

大正期早稲田大学の三大オカルト教師

オカルトネタが好きだと猫猫先生に低学歴者扱いされてしまいそうだが、今回は広い意味でのオカルト路線。 大正5年7月11日三渓園滞在中のタゴールを訪問した武田豊四郎、中桐確太郎、北昤吉*1。この三名は早稲田大学の教師であったが、同年9月29日付読売新聞…

図書カウンターの職員は、雑誌カウンターの職員より偉いのか?

「書物蔵」に、図書館の職員は雑誌カウンターよりも図書カウンターの職員になっていい格好したがるというようなことが書いてあったと思う*1。確かに私も週刊誌なんかは読んだら捨ててしまうが、文庫本や単行本は捨てられない。その意味では、雑誌よりも雑誌…

赤い帽子の会主催のタゴール訪問

大正5年7月11日秋田雨雀やエロシェンコらで組織された「赤い帽子の会」*1の主催で、タゴールとの会見が実施された。秋田の日記によると、 朝十時ごろに家を出た。十一時ごろに東京駅へゆく。まだだれもきていなかった。中桐、吉田、北、其他二、三の人がきた…

姨捨山だった日本女子大学校

正体不明の自笑軒主人による『秘密辞典』(千代田出版部、大正9年6月)を見ると、 [おばすてやま 姨捨山] 小石川豊川町の日本女子大学の異名。不美人が多い処といふ意より来る。 とある。日本女子大学(戦前は「日本女子大学校」)は、昔ブスが多かったらし…

巨大組織国会図書館に幻滅した長尾真国会図書館長

ミネルヴァ書房シリーズ自伝の長尾真『情報を読む力、学問する心』で、長尾館長が嘆いとる。 情報処理技術に携わって来た私から見ると、たとえばある種のシステムの改良は博士課程の学生であれば、三カ月程度でできると思われるものも、図書館では外部発注を…

田端の天然自笑軒に集う文人(その2)

明治末から戦前にかけて田端に存在した天然自笑軒について色々情報が集まってきた。 まずは、「天然自笑軒引札」*1を書いた森鴎外の日記。 大正7年5月13日 月。驟雨。参館。往天然自笑軒。修賀古啓小祥也。 「賀古啓」は賀古鶴所の妻で、一年前に亡くなって…

気紛れマリアと疎開先のお嬢さん

『世田谷文学館ニュース』46号(2010年8月1日)の小島千加子さんと菅野昭正館長の対談。森茉莉が喜多方に疎開していた時に仲良くなったという幼いお嬢さんの話が出てくる。 小島 (略)戦争も終わって、いよいよ東京に引き揚げるという時には、きっとお嬢さ…

堀多恵子の祖父土屋彦六

堀多恵子の『雑木林のなかで』に、多恵子の祖父に関する記述がある。 私の母方の祖父、土屋彦六は日本メソジスト教会の最初の牧師であり、教会を退いてからは静岡県の見付町で小さい集会をしたり、日曜学校を開いたりしていた。その頃、私は両親が海外にいた…

『東洋画報』創刊披露宴

『東洋画報』は明治36年3月10日創刊。同月16日付東京朝日新聞によると、発行所の敬業社の社長柴田、主幹の国木田独歩、後見役の矢野文雄が主人役となって、同月14日日本倶楽部で、創刊の披露宴が開催された。文学家、美術家50余名が出席したという。出席者と…

静坐の師岡田虎二郎より長生きした坪内逍遥

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード122は、『岡田式静坐法』(実業之日本社、明治45年3月初版、6月18版)。これは、クレス出版から復刻版が出ている。私が、岡田式静坐法の岡田虎二郎の名前を覚えたのは、久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』(岩波新…

堀多恵子と東大名誉教授加藤俊彦

室生犀星の日記に、堀辰雄夫人多恵子の弟が出てくる。 昭和26年8月13日 加藤夫妻、中村真一郎夫妻来る。堀君にちもとの菓子を加藤俊彦に持つて行つて貰ふ。加藤は堀夫人の弟さんなり。 8月28日 堀夫人来訪、堀は畳の上を這ふやうになり、便器で一人で用を足…

タゴールの第1回目来日講演

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード170は、タゴール著、和田富子訳『タゴール有閑哲学』(東京朝日新聞社、昭和4年9月)。これは、タゴールの第3回目来日時の講演を刊行したもの。タゴールの第1回目来日は大正5年6月だったが、その時の講演の様子につ…

芥川龍之介と田端の天然自笑軒主人宮崎直次郎との深い関係

芥川龍之介と宮崎直次郎の関係について、まとめておこう。 まず、関口安義編『芥川龍之介辞典』によると、宮崎の娘つるは、芥川の異母弟である新原得二(父は芥川と同じ新原敏三、母は芥川の母ふくの妹ふゆ)に嫁いでいる。 その他、『芥川龍之介全集第二十…

堀多恵子と生田勉

生田勉の日記に堀辰雄夫人堀多恵子が出ていた。 昭和14年12月9日 鎌倉行き。堀辰雄さんの奥さん、家の前に出ていて呉れる。小林秀雄がいる。いろいろのはなし。立原の日記。堀さんの家の設計。立原のこと思い出されて、彼が我々の前から消えて了ったことによ…

報知新聞記者佐瀬酔梅こと佐瀬得三

黒岩比佐子さんが、佐瀬得三について、「どこかで見たような記憶がある」とし、同じ著者の『当代の傑物』を読んだことがあったのを思い出したと書いておられた。この「どこか」としては、もう一つ江見水蔭の『自己中心明治文壇史』の可能性もある。同書によ…

田端の天然自笑軒の創業者宮崎直次郎

天然自笑軒を利用した著名人の追加。数を集めて何か意味があるのかわからないが、とりあえず記録しておこう。小林一郎作成の田山花袋年譜によると、大正13年12月25日夜、田端の自笑軒で『源義朝』の出版記念会が開催され、島崎藤村、徳田秋声、上司小剣、正…

中山忠直の父中山忠愛=中山忠也だった

浦西和彦編著『石川近代文学事典』の中山忠直の項に、「父の中山忠也は漢方医学者」とあって、ヨコジュンさんは父は小学校教師の中山忠愛としているので、この項を書いた浦西氏は間違いが多いなあと思ってしまった*1。しかし、よくよく調べると中山忠愛=中…

告別式で亡き久米正雄を感じた室生犀星

室生犀星の日記*1に久米正雄が出てきた。 昭和27年3月1日 久米正雄が脳溢血で逝去した。六十歳。ラジオで録音した談話を聞いてゐても、死んだといふ感じがしなかつた。賑やかな好漢だつたが、したしく膝を割つて話すことがなかつた。十年も会はず、時々会ふ…

田端の天然自笑軒に集う文人

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』書籍コード144は自笑軒主人『秘密辞典』(千代田出版部、大正9年6月初版)。黒岩さんは、明治41年に田端で開店した会席料理店「天然自笑軒」の主人宮崎直次郎が『秘密辞典』の著者ということなのだろうか、としている。これを肯…

南木芳太郎と『食道楽』の時代

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』に熱中しすぎて、熱中症になりそう。さて、書籍コード176は第二期『食道楽』(食道楽社、昭和6年5月)。黒岩さんによると、 (略)少し間を置いて、同じ『食道楽』という雑誌が、昭和二(一九二七)年九月に食道楽社から創刊して…