大森望の「本で歩く京都」(『ダカーポ』617号、2007年11月7日)に、
大学に8年通ったというSF研の遠い先輩から突然呼び出されて疎水べりの暗いアパートへ行くと、書庫だという四畳半に通され、「わたしになんの断りもなくSF研の機関誌を復刊したのはどういうわけか」とくどくど詰問された記憶がある。
8年通った「大学」とは学部のことだろうけど、1浪1留まではザラ(汗)として、学部に8年(学部の修学限度だ)もいる人はそうはいないのだろう。京大SF研の機関誌というと安田均の『中間子』だが、安田のことではないのだろうね。よく知らないけど。
大学というのは、一般社会にとても出せない人を隔離する場だと時々思ったことがあるが、この8年いた人はその後どうしているのだろう。
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書物奉行氏が「セドリ御殿」(笑)を建てたらしい。
中学・高校→「生徒」、大学→「学生」の様に、高校までは「〜年生」、大学は「〜回生」というのが正式な呼称だと思っていた・・・