神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

美人のあるところ、谷崎あり


「文藝雑事」(『日本及日本人』大正7年6月1日号)によると、

日向きむ子が一中節をよしたのと入代りに、売文業社堺枯川の奥さんが新たに長歌のお稽古を始めた。(略)或る物好きが其の動機を枯川に訊ねると、枯川哄笑一番、「なアにね、あゝして置けば、あれのヒステリイが活[ママ]るかも知れないからさ、何うです、一つ君も稽古に来ては」と、其の男曰く、「至極結構ですが、何時か谷崎潤一郎、長田秀雄、田中純なんと云ふ手合ひが、日向きむ子の所へ押懸けたやうに、貴君の奥さんの所へ押懸けて来たら、奥さんのヒステリイは治つても、今度は貴君が男のヒステリイになるかも知れないから、まア止しませう」


谷崎、長田、田中の三人が揃って押しかけたとは、書いていないが、谷崎と長田は親しかったし、田中*1も谷崎と面識があった*2から、バラバラではなく、三人連れ立って行ったとしても不思議ではなかろう。


(参考)森まゆみ『大正美人伝 林きむ子の生涯』

                                                                                  • -


読売ウイークリー』の「独身20代女性がグッとくる 40代「モテ男」像」。わすも猫猫先生みたいに、ミソジニスト(三十路ニスト)から、20代へ方針転換するか(笑

*1:大正4年早稲田大学英文科卒業後、春陽堂に入社し、『新小説』の編集主任を務めていた。

*2:西原大輔『谷崎潤一郎オリエンタリズム 大正日本の中国幻想』の211頁の注