今回は本物の催眠術の話。武者小路実篤の自伝小説『或る男』*1によると、
同じ年の十月三日に彼は志賀や木下にさそはれて本郷の中央会堂に催眠術を見に行つた。それは大学の心理学の実験の為めに行はれたので、七時頃から始つた。
(略)彼は術者が三四人の子供に催眠術をかけて、水をのまして、砂糖水だと云つたり、唐辛の水だと云つたりした。砂糖水だと云はれるといかにもうれしさうにのむ、唐辛の水だと云ふと辛がつて大さわぎをする。皆笑ふ。彼は一寸いやな気がした。そのあとで、ぬひ針を子供達の頬にさして見せた。子供達は平気でゐたが、見てはならないものを見せられた気がした。
明治41年のこととされているので、福来友吉による実験だったかもしれない。
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中央公論新社から水上勉・千葉俊二編著『谷崎先生の書簡 増補改訂版 ある出版社社長への手紙を読む』が出てた。単なる文庫化の予定が、単行本による増補改訂になったらしい。またまた、猫猫先生の詳細年譜に追記作業が必要となるか。
出久根達郎「続・作家の値段」(『小説現代』6月号)にようやく谷崎潤一郎登場。
*1:『改造』に大正10年7月〜12年11月連載