神保町系オタオタ日記

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矢崎千代二の金曜談話会における談話が載る『大阪ユーラン新聞』とは:伊達俊光とパステル画家矢崎千代二


 伊達俊光らが開催した金曜談話会については、「伊達俊光の金曜倶楽部とオカルティスト達ー福来友吉・浅野和三郎・関昌祐・間部詮信らー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。この金曜談話会をどこかで見た覚えがあると思ったら、「パステル画家矢崎千代二と近角常観を繋ぐネットワーク - 神保町系オタオタ日記」で使った横田香世『パステル画家矢崎千代二:風景の鼓動を写す』(思文閣出版、令和5年6月)でした。人名索引によると4回ほど出てくるが、たとえば282頁の次のような記述である。

 矢崎は、一九三六(昭和十一)年の暮れに開催された伊達俊光主催の「金曜談話会」で、肖像画制作について講演している。伊達が講演のテーマを「私の描いた五千余人の肖像」と勝手に決めて発表してしまったために、矢崎は五千枚描いたというのは自慢話ではないと語りはじめた。「(略)私は一枚の肖像画を他人の五十分の一、百分の一の時間で描く、それを五十年續けたから、この大數に上つたといふだけの事(1)」と、肖像画を描くことは日常であると説明している。

(1) 矢崎千代二「肖像画五千枚」(『大阪ユーラン新聞』第一二二号、発行年月日不明)。なお、『大阪ユーラン新聞』は週刊で、関西の観光・文化関係のニュース記事を掲載していた。発行人は久松博一。

 伊達『大大阪と文化:長春庵随想録』(金尾文淵堂、昭和17年6月)の「金曜(錦燿)談話会二百二十五回記事」によれば、この談話会は、第154回(昭和11年12月28日)である。出典の『大阪ユーラン新聞』が「発行年月日不明」とあるのは、横須賀美術館所蔵のスクラップブックに貼られた切り抜きのためと思われる。「週刊」や「発行人は久松博一」とあるのは、『全国新聞雑誌通信社名鑑』(全国新聞雑誌通信社聯盟、昭和7年12月)が典拠だろう*1。「ユーラン」は「遊覧」の意だろう。注目すべきですね、『大阪ユーラン新聞』。横田著234・235頁は、矢崎の略伝や金曜談話会の講演録を発行する矢崎会の所在地である「大阪市住吉区田辺本町五丁目六〇番地、久松方」の久松を久松博一と推測している。
 最近矢崎の名前を目にする機会が複数あった。4月4日まで開催中の星野画廊「明治・大正・昭和名作発掘品展」で《ヒマラヤ遠望ーダージリンにて》(大正9年)を観た。3月2日の国文学研究資料館のシンポジウム「明治の人文学ネットワークー書簡にみる文化人の交流ー」では、紹介された新収の中澤弘光宛書簡群の中に矢崎の書簡が含まれていた。あと、池田威が発行していた『文藝新報』*2第9号(文藝新報発行所、昭和2年4月)の「個人消息」に「矢崎千代二氏 東区大川町西照館に滞在中」とある。これは、横田著の「年譜」昭和2年4月の条に「「矢崎千代二パステル画展覧会」(10日~15日、大阪朝日新聞楼上)を開催する」とある関係だろう。

*1:金沢文圃閣から『帝国日本雑誌新聞総カタログ:紙メディアの昭和戦前期1932年版』として復刻版あり。

*2:『文藝新報』については、 北村兼子のスキャンダルと池田威の『文藝新報』(大正15年12月創刊) - 神保町系オタオタ日記」参照