神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小説 君美と犬彦


ハイスクール時代に色んな本を乱読した剛己だが、ユングを本格的に読んだのは、東大文Ⅲに進んでからであった。後に秘かに「悪魔的師匠」と名づけることになる君美先生から、2年生の時に夏休みの宿題として、ボーリンゲンから出ていたユングの英訳書を読むように言われたのが、その時のことである。第9巻の第1分冊と、第11巻を読むように言われたのだが、第9巻の第2分冊とか、第10巻あたりの宗教象徴論は、君にはまだ難しいから、大学院に入ってから読みたまえと、言われたのには少しムッとした。しかし、宗教学科に進んでから読んでみると、確かに先生の言うとおりであった。


この宗教学科だが、当時「底なし」などと揶揄されていて、要するに2年生までに必要な点数が低くて誰でも入れる学科だった。心理学科進学も考えた剛己だったが、映画の世界にもどっぷりはまり込んでいたため、80点以上ないと入れない心理学や文化人類学への道には進めず、50点以上だったら誰でも入れた宗教学科へと進むことになった。例年2、3人しか選択しない学科だが、その年は大当たり(?)の年で、16人も同期生がいた。某教団事件のあおりをくらい女子大を追われることとなる島田裕巳や『チベットモーツァルト』で名を売る中沢新一とかがその仲間だから、「底なし」学科も大したものである。


宗教学科でエリアーデバシュラールなども学んだ剛己だが、結局卒論のテーマに「C.G.Jungと円環の象徴」を選んだのは、恩師由良君美に課された夏休みの宿題で出会ったユングの世界にいつまでも魅せられていたからだろう。


(参考)四方田犬彦(本名・剛己)の著作、対談を基にしました。教養課程での全学共通ゼミとか、専門課程への進学手続とか、東大の仕組みがよくわからない。


参照:四方田犬彦「CONSTELLATION」(『航海の前の読書』)、坪内祐三との対談「1968と1972」(『新潮』平成16年2月号)、『時と人と学と−東京大学宗教学研究室の七十五年−』。『先生とわたし』における記載と異なる内容がある。