神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

カフェー

昭和8年スチーム暖房に惹かれて北白川に引っ越した京都帝国大学植物学教室の北村四郎ーー下鴨納涼古本まつりで竹岡書店から見つけた年譜からーー

下鴨納涼古本まつりが無事開催された。雨で2日間中止というハプニングもあり、主催者・参加店は大変だったと思う。お疲れ様でした。恒例の竹岡書店の3冊500円台は、従来の1冊売り不可から3冊まで500円(1冊でも2冊でも500円)になり、3冊揃わないと家に帰れな…

中原中也が通った京都のカフェーとエラン・ヴィタール小劇場

木股知史先生の「瞬間と全体ーー晶子・啄木と生命主義的発想ーー」が載った『国文学解釈と鑑賞』別冊の『「生命」で読む20世紀日本文芸』(至文堂、平成8年2月)に、鼎談「日本の近・現代文学と生命観」も掲載されている。出席者は、平岡敏夫(城西国際大学)・吉田凞…

慶應義塾幼稚舎同窓会が日本初の喫茶店可否茶館で開催されていた

林哲夫氏の好著『喫茶店の時代:あのとき こんな店があった』(ちくま文庫)に、「明治二一年(一八八八)に上野(東京下谷西黒門町)に開店した「可否茶館(ルビ:カヒーさかん)」を日本最初の珈琲店だとするのが定説である」とある。この可否茶館は、明治21年4月に鄭…

「喫茶店のリストの本」としての林哲夫『喫茶店の時代』(ちくま文庫)

6月にある人の蔵書処分に参加させていただいた。ありがとうございます。3月の時とは違い、所蔵者本人による処分なのでしばしば解説付きだったのも面白かった。遠慮して数冊に留めたが、そのうちの1冊を紹介しよう。三木正之『ドイツ詩回想・高知』(三木正之…

ナチスの退廃美術展を見たドイツ文学者谷友幸が旧制広島高校時代に通った音楽喫茶ムシカとは

旧制広島高等学校卒のドイツ文学者というと富士川英郎がいるが、京大文学部教授だった谷友幸も忘れてはいけない(追記:谷は、昭和6年第六高等学校理科乙類卒業でした)。書砦・梁山泊で入手した『谷友幸先生追想録』(谷友幸先生追想録刊行会、昭和63年9月)の…

カフェープランタンで天狗倶楽部と喧嘩した永井荷風

大河ドラマ「いだてん」に押川春浪らの天狗倶楽部の面々が登場し、話題になっているらしい。テレビを持ってないので、どんな感じなのか分からないがバンカラの雰囲気はうまく出ているだろうか。天狗倶楽部については、「押川春浪率いる天狗倶楽部が立てた天狗塚…

前衛画家前田藤四郎の喫茶エピナール

先月橋爪節也先生の講演「大大阪の時代と前衛絵画ーー前田藤四郎の場合」*1を聞いてきた。その中で前田が喫茶店を経営していたという話が出た。架蔵の大阪市立近代美術館建設準備室編『前田藤四郎ーー‘‘版’’に刻まれた昭和モダニズム』(東方出版、平成18年2月)…

青山光二が描いた京都学派の奇人土井虎賀壽と『鹿野治助日記』

青山光二『われらが風狂の師』(新潮文庫、昭和62年4月)は、京都学派の奇人とも言うべき哲学者土井虎賀壽(どい・とらかず)をモデルに三高時代の教え子だった青山が書いた小説である。土井が「土岐数馬」、青山が「菊本辰夫」のほかは、関係者の多くは概ね実名…

古本屋だった川柳家麻生路郎

『麻生路郎読本』(川柳塔社、平成22年9月)を読む機会があった。川柳家として著名な人らしいが、知らなかった。年譜を見ると、古本屋葵書店を経営するなど面白い経歴だったので、一部を抜き書きしてみよう。 明治21年7月 広島県尾道市生。本名幸二郎 43年3月 …

日本喫茶店史の重要史料『井泉水日記青春篇』(筑摩書房)

グーグルブックスで「帝国図書館 満員」を検索して見つけた『井泉水日記青春篇』上下巻(筑摩書房、平成15年11・12月)。まだ上巻しか読んでいないが、久しぶりにゾクゾクするような日記だった。次のような点が色々使えそうな日記である。 ・話には聞いていた…

山中貞雄とくろふね喫茶店の牧野月城

『京都新聞』6月8日朝刊の連載「即位と改元の舞台裏」第1部第3回は「昭和大礼警備」。昭和3年の「三・一五事件」の思想弾圧が京都でも吹き荒れたとして、美術監督久保一雄の逮捕、拘留を紹介。久保は、5年の刑期を終えた後、次々と傑作映画の美術を担当。戦…

小島威彦をしきりに気にする『風車』同人の相良次郎

永松定『二十歳の日記』(河出書房新社、昭和35年6月)に小島威彦が出てくる。 (昭和五年)七月五日 (略) ヴァーニジア・ウルフの本が、三省堂に来ていることをきく。相良、早まった結婚生活に少しあきたらぬようすで、「風車」をやっている連中のことや、小島(…

あやすーぃ雑誌『夜の神戸』の編集者山本周五郎と寺田新社長

山梨県立文学館で4月29日(土・祝)から6月18日(日)まで「特設展歿後五十年 山本周五郎展」開催。ということで、山本周五郎ネタを。木村久邇典『山本周五郎の須磨』(小峯書店、昭和50年9月)に、大正期山本が須磨に下宿し、夜の神戸社で観光ガイド誌『夜の神戸…

京都精華大学公開講座ガーデンで斎藤光先生の「幻のモダン文化 京都の「カフェー」史を味わう」

2017年度京都精華大学公開講座ガーデンのパンフを見てたら、斎藤光ポピュラーカルチャー学部教授による「幻のモダン文化 京都の「カフェー」史を味わう」を発見。5月27日(土)12時ー16時、レストラン菊水集合で食事の後、「いまも形を変えて存在する「カフェ…

ツイン21古本フェアではどんだけ?こんだけ!

ツイン21古本フェアも今日で終了。最近急成長中の「ゆずぽん」なる強敵が油断してる(?)間に色々ゲットぢゃ。 池崎書店出品では 『本箱』(本箱編集室、平成14年9月)・・・大阪古書会館の古本大学でモズブックスさんが大阪の古書店マップが載っていると紹介し…

原始藝術品蒐集者にして幼年美術研究者だった宮武辰夫のもう一つの顔

ツイン21の古本市で見つけた『民族と郷土』陽春号(民族と郷土社、昭和22年4月)。28頁、500円。民族と郷土社は、大阪府箕面牧落に所在。所蔵する図書館は皆無か。表紙は雪原にうづくまる裸の女性の写真。キャプションには「春の流水に祈るアラスカの娘」とあ…

鹿島茂先生もビックラちょ!?新美南吉が見た田沢画房の田沢千代子

大正から昭和戦前期にかけて神保町に田沢画房という名曲喫茶があった。これについては、鹿島茂先生が『ちくま』に連載した「神田神保町書肆街考」で、飯島正、渡辺一夫や玉川一郎が通ったと言及している。そして、鹿島先生が田沢画房の娘で舞踏家だった田沢…

大塚正基文庫目録に『夜の大東京』創刊号

『大塚正基文庫目録 播磨ゆかりの文人の資料』(姫路文学館、平成11年3月)の「雑誌Ⅰ(NDC別)」を見ると、創刊号は80冊ほど。その中に『夜の大東京』創刊号(夜の大東京、大正14年10月)があった。副書名は「社会研究雑誌」とあり、どんな雑誌かと思っていた。…

本郷カフェー条項

斎藤光論文*1が出た後では、本郷カフェーについて語る意味も薄れた感があるが、とりあえず発見したことを報告しておこう。最近柏書房から刊行された芦田均日記だが、 明治38年2月6日 夕方前田中君と本郷カフエーに行く。 3月4日 帰つて本郷カツフエー行。 と…

山田正紀に出会える横浜の喫茶店

『新刊展望』5月号の「読書日記」に山田正紀氏が書いていた。 某月某日 本を読むのに、関内の「上島珈琲」がいいか、みなとみらいの「スターバックス」がいいか、これはいまの私にとって重要問題であって、とりわけ『音楽の科学』(河出書房新社)のような部…

斎藤光論文に本郷カフェー登場

「神保町系オタオタ日記」でググったら、わすのブログに言及している論文を発見。『京都精華大学紀要』39号、2011年9月に掲載された斎藤光「ジャンル「カフェー」の成立と普及(1)」がそれだが、「文献と註」の7に本郷カフェーに関する拙ブログが紹介されて…

柳瀬正夢日記に見る鈴蘭

武蔵野美術大学柳瀬正夢共同研究から発行された『柳瀬正夢研究』には、柳瀬の日記が翻刻されていて重要な資料だと思うが、国会図書館には納本されていないようだ。同誌 1から柳瀬の日記を引用すると、 大正12年6月10日 鈴蘭まで行くと前田河と松本淳三が居…

篠懸の花さく下に珈琲店かな

芥川龍之介が高浜虚子に俳句の指導を請うた書簡が発見されたとのニュースがあった。大正8年6月27日付で「篠懸の花さく下に珈琲店(カツフエ)かな」という句もあったという。大正8年6月というと、その前月の5月26日に芥川は谷崎と神保町のカフェーに行ってま…

『神保町が好きだ!』5号の「芥川龍之介と谷崎潤一郎」への補足

『神保町が好きだ!』5号(本の街・神保町を元気にする会、2011年10月)が出た。目次は、 [特集]作家が語る・わたしと神保町 ・ぼくのふるさと神保町 浅田次郎 ・学生の街だった神保町 奥本大三郎 ・神保町が世界遺産になる? 角野栄子 ・映画と酒の街 出久…

阿佐ヶ谷会が開かれたピノチオの喫茶店時代

昭和2年2月10日付『文藝時報』に阿佐ヶ谷のピノチヨという喫茶店が出てくる。近傍に住む文士連のヒイキで頗る繁昌しているという。 その繁昌の源はその喫茶店に常に出入する通称洋妾○○子と呼ぶ女の魅力だといふから耳寄りであらう。○○子は派手な洋装のたくま…

昭和版可否茶館の閉店

8月18日付朝日新聞東京版*1によると、明治21年に開業した日本最初の喫茶店「可否茶館」の流れをくむ、阿佐ケ谷ゴールド街2階の「可否茶館」が、8月末に閉店するという。日本最初の喫茶店とのゆかりは、昭和42年5月開店当初の共同経営者の一人が、明治の「可…

阿佐ヶ谷のモナコと徳田耕作

光成秀子『戸坂潤と私』(晩聲社、1977年10月)に昭和5年のこととして、 阿佐ヶ谷駅北口前の「モナコ」は、羽目板にコールタールを塗った簡単な外装で、ステンド・グラスの小窓が二つついていましたが、特別興味を持ったのは入口のドア一ぱいの豪華なステン…

昭和初期の仙台カフェー文化

『仙臺文化』創刊号(2005年5月)、2号(同年11月)に連載された、「マッチラベルで見る昭和初年 見つけた!仙台の昭和モダン」に登場したレストラン・喫茶店・カフエー・バーは、 紅谷、早坂フルーツパーラー、フルーツパーラーやま平、ヒロセ喫茶店、仙台…

永井荷風が見たカフェーの久米正雄

『断腸亭日乗』は索引があるのですぐ調べられるのだが、荷風がカフェーで目撃した久米正雄をまとめてみた。 大正15年10月5日 銀座太牙楼にて瀬戸英一、久米正雄、俳優高橋義信等に会ふ昭和2年7月6日 邦枝日高*1の二子来訪、改造社全集本編纂のことにつきてな…

燕楽軒開店初期の状況

大正7・8年に燕楽軒で開催されたり、開催予定だった会合の状況をまとめてみた。 大正7年5月12日 本郷三丁目燕楽軒開業披露広告(同日付東京朝日新聞) 6月5日*1 龍土会(本郷四丁目燕楽軒)・・・徳田秋聲・岩野泡鳴が幹事。白鳥正宗、前田晁、長田秀雄、有…