神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

一番手のかかる患者

大岡昇平の『成城だより』にも谷崎ネタあり。 昭和54年12月11日 中沢徳弥君はもと熱海国立病院の副院長、退職後、清水町にて開業していた。文学にかかわることを記せば、熱海居住中の谷崎潤一郎、志賀直哉、広津和郎の主治医なり。もうみんな故人だから書い…

東大ではSFの講義

巽孝之「SF研究の現在」*1によると、 わたし自身は、本務校である慶應義塾大学では一九八八年、日吉の一般教養課程にてSF講義を行ったのみだが、それ以外では、二〇〇五年と今年二〇〇八年、東京大学文学部西洋近代語近代文学専修課程講義として「SF−…

奇絶、怪絶、又壮絶!戦時下の天狗倶楽部

ヨコジュンさんは、『[天狗倶楽部]快傑伝 元気と正義の男たち』(朝日ソノラマ、1993年8月)で、天狗倶楽部について、次のように書いている。 [天狗倶楽部]は、昭和初期まで名前は残っていたようだが、その最盛期は明治末から大正初期で、メンバーは大正四年…

三田村鳶魚とその時代

安食文雄『三田村鳶魚の時代』は、「牧野元次郎のニコニコ主義と雑誌『ニコニコ』」も収録されていたりして、楽しめる本である*1。同書の「三田村鳶魚と知の交遊圏」によると、鳶魚が知的な交遊関係を持った人物としては、 山中共古 林若樹 三村竹清 寒川鼠…

らんぼおと壺井栄

昭和24年2月、神保町の「らんぼお」で、多喜二祭の二次会が開かれていた。 壺井栄「袖ふりあう」*1によると、 一九四九年といえば、戦後の混乱の中からようやく秩序が生まれてきかかったころではなかろうか。おそらく戦後はじめて公けにもたれた多喜二祭だっ…

谷崎潤一郎と福井久蔵

藤原学「「昔の東京」という京都イメージ 谷崎潤一郎の京都へのまなざし」*1を見てたら、目新しい事が書いてあった。 従来、築地精養軒主人の北村家に谷崎を斡旋したのは、府立一中教師の渡辺盛衛とされてきた。しかし、藤原の発見によると、福井久蔵「教壇…

手塚治虫『新寶島』四十万部発行伝説の謎

中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』は、手塚治虫『新寶島』の初版・再版について、刷れば刷るほど磨耗し、四、五千部も刷ると使い物にならなくなる描き版で印刷されているから、四十万部も発行できたはずがないと疑問を呈した。これは、「書物蔵」でも言…

癩伯爵の扱いー大島渚と栗本薫ー

大島渚もグイン・サーガを読んでいたりする。「癩伯爵のからっぽ」(『栗田勇著作集第十一巻』付録、昭和55年1月)によると、 栗本薫のヒロイックファンタジー『豹頭の仮面』は近頃私をもっとも興奮させてくれた読みものだが、その中にスタフォロス砦の城主…

関根喜太郎と高橋新吉

「書物蔵」で引用されていた、『宮沢賢治全集』第7巻月報(1973.5)所収の高橋新吉(ダダイズム詩人)の一文*1。高橋は、関根喜太郎について、より詳しいことを『ダガバジジンギヂ物語』(思潮社、昭和40年7月)に書いている。 素人社へ行くと、体格のいい金…

春陽堂の編集者島源四郎

春陽堂の編集者だった島源四郎については、5月30日、6月1日に言及したところであるが、岡本綺堂の日記*1でも発見したので紹介しておこう。 昭和3年10月15日 午後、近所を散歩して帰ると、春陽堂の島源四郎君が来て、日本戯曲全集十二月発行の分は岡本綺堂編…

神楽坂の食道楽げん喜

ありますた。 昭和5年12月10日 牛込神楽坂食道楽(惣菜)げん喜にて惣菜を買ひ帰る 日記の筆者は坪内逍遥。食道楽と言っても、食堂ではなく惣菜屋さんみたいだから、もしかしたらおとわ亭の支店とは無関係かもしれない。 - 植田康夫『自殺作家文壇史』(北辰…

甲鳥書林といふ素人の本屋

わしも甲鳥書林のネタを。『岩波茂雄への手紙』所収の昭和15年5月31日付け中谷宇吉郎の書簡によると、 実は小生の第二随筆集を纏めてをきたいと思つてゐましたのですが 四月一寸小林[勇]君に其の意向を漠然とつたへて見たところ御店の方では大分紙に難渋して…

 世界文庫刊行会の箱木一郎さん

長男十蔵を亡くした江渡狄嶺は、大正9年、同じく幼児を亡くした人達が遺骨を祀る場所を持ちたいとして、石田友治、松宮春一郎、水野盈太郎(水野葉舟)とともに、「可愛御堂」の建造を呼びかけた。この御堂の「建築設計に就いては、特に高村光太郎氏を煩は…

山田珠樹は最期に誰を思ったか

伝記も年譜もなさそうな仏文学者の山田珠樹。その最期が、神西清の日記に書かれていた。 昭和18年11月24日 この日の午前山田珠樹氏、小坪の療養所に於て急逝さる。廿六日午後東御門の邸にて告別式あり、由里子*1出向きたる旨を後に知れり。先日「仏蘭西中世…

松宮春一郎と西川文子

『新真婦人』102号(大正10年11月1日)は、西川光二郎・文子の次男和の追悼号である。葬儀・会葬・慰問・香典を賜った人として、与謝野寛、与謝野晶子、高島圓(高島米峰)、高島平三郎、中里介山、羽仁もと子、石田友治、野口復堂、中山泰昌といった名前が…

高村光太郎の音痴に驚く酒井勝軍

酒井勝軍について、相馬黒光(一昨年4月5日参照)、竹久夢二(9月11日参照)との意外な関係に続いて、高村光太郎との関係も発見した。 高村の「回想録一」*1によると、 青年になつてからも、本郷の中央会堂の椽の下のところでやつてゐた酒井勝軍のもとに通つ…

山田珠樹・森茉莉夫妻の帰国

従来大正12年8月とされてきた森茉莉の帰国だが、同年7月以前が正しいようだ。 大正12年7月27日付けと推定される与謝野寛の森潤三郎宛書簡(『与謝野寛晶子書簡集成第二巻』)に、 山田珠樹様御夫婦がめでたく御帰朝になりましたので、千駄木の奥様、電話にて…

大槻憲二の発禁本

発禁年表にて大槻憲二の発禁本を拾う。 『冷感症とその治療』(東京精神分析学研究所、昭和14年5月5日)、処分:5月29日、処分理由・摘要:性行為に関する記述、四二−四九頁削除 『日本の反省』(道統社、昭和16年10月25日)、処分:17年1月21日、処分理由・…

関根喜太郎の幻(補足)

「書物蔵」で言及されていた大澤正道「関根康喜の思い出」*1に、関根が戦時中埼玉県吹上町に疎開していたことや、同町の地主の生まれと推定できることが書かれている。また、大正初年に既に土岐哀果の『生活と芸術』や堺利彦の『新社会』に「不平満々の短歌…

『西洋の没落』と少女マンガの格差

中央公論新社の『哲学の歴史』シリーズは、別巻『哲学と哲学史』で完結。「これまでに最も感銘あるいは影響を受けた書物、または最も知的興奮を味わった書物」というアンケートに対し、佐藤卓己氏が、シュペングラー『西洋の没落』村松正俊訳(五月書房、197…

関根喜太郎の幻

宮澤賢治『春と修羅』(関根書店、大正13年4月)の発行人である関根喜太郎については、その生涯がかなり判明してきたところである。これまでに次のような研究がなされている。 『日本アナキズム運動人名事典』の「荒川畔村」の項(大月健氏執筆) 小田光雄氏…

堀内庸村と日本読書サークル

庄司徳太郎氏(筆名・庄司太郎)の『私家版・日配史』に昭和22年の事として、 十月十日(小雨) ・・・・新井氏*1の紹介で読書研究家の堀内庸村氏と会い、読書サークルの問題につき懇談した。 堀内庸村が出てきただす。「読書サークル」とは、同年11月11日に…

三浦関造と松宮春一郎のつながり

出口一雄の『読書論の系譜』(ゆまに書房)所収の「「読書論」文献解題」は読書論に関する文献766冊を取り上げている。その中には、松宮春一郎編『読書論』*1(世界文庫刊行会、大正12年11月)も含まれていて、「九篇のうちソローの「読書論」は三浦関造氏の…

乱歩の土曜会でポーを語る島田謹二

島田謹二先生が山田風太郎の『戦中派闇市日記』に登場。 昭和22年3月8日 第一相互ビル旧館七階東洋軒の土曜会に出席。(略) 江戸川、大下、木々、渡辺、城氏らを始め会員四十人余り。一高教授英文学者島田謹二氏(終戦前まで台湾帝大教授、比較文学専行のポ…

その後の榊原芳野旧蔵書

明治期の奇人榊原芳野の旧蔵書のその後について、国会図書館の朝倉治彦が書いてくれていた*1。 蔵書は、芳野の歿した年の大体一年後の明治十五年十二月(芳野の命日は十二月二日)に、東京図書館へ寄贈の手続きがとられ、今残っている文書類中の『図書贈進願…

 「銀シャツ党」首領ペリーと古賀政男の弟古賀治朗

ナチスのアメリカ版「銀シャツ党」の首領にペリーという男がいた。三浦関造が在米中に出会っていたらしい*1が、古賀政男の弟治朗も接触している。 眞崎甚三郎の日記*2によると、 昭和15年8月29日 古賀九時半に来訪、米国より帰朝し其の状を報ず。米国には神…

モダンガール嫌いの柳田國男

大正12年に北澤秀一によって使い始められたという「モダンガール」*1。柳田國男はこの言葉が嫌いだった。 『日本』昭和2年8月14日掲載の「国語純化運動(下)」によると、 近頃は又洋語の奴隷となつて、盛んに流行語の為めに追ひ廻されてゐる。例へば『モダ…

石田幹之助が記録した日比谷図書館の図書買上げ事業

『文藝』2巻6号(昭和20年8月1日)の「学藝彙報」欄に石田幹之助が「東京都の民間重要図書買上疎開」を執筆していた。これによると、6月14日現在で既に買取の話の固まった図書として、 故井上哲次郎博士、加賀豊三郎、諸橋轍次博士、河田烈、小西重直博士、…

人相見(にんそうみ)船井梅南

船井梅南を『木下杢太郎宛知友書簡集 下』で奇跡的に発見。 河合錦子(神戸市北長狭通五ノ一九)の昭和2年1月5日付け書簡に、 それは船井梅南といふ人相見、昨年の六月ニ精神病をなほして上けました、其後東京へ帰つて自分か無心ニなつて念すれハ其人ハ自分…

著作権違犯事件に連座して東大を追われた田山花袋の兄

小林一郎先生作の田山花袋の年譜によると、 明治35年3月31日 兄実弥登が、岡谷繁実の自著『皇朝編年史』の出版に当り、史料編纂所の資料を無断で借用したと称し「著作権違犯」に問われた際、岡谷の仕事を直接幇助したと断定され、連座の形で免職になってしま…