平井金三
国会図書館のホームページの「電子図書館」の「デジタル化資料(貴重書等)」で「森茉莉」を検索(「館内限定公開資料を含める」にチェック)すると、全集未収録エッセイがザクザク見つかる。ついでに、「平井金三」も検索すると、精神学院の『心の友』とい…
第一高等学校で英語を教えていた平井金三。教え子には、明治43年9月同校二部甲類に入学した森田浩一もいた。森田の日記が影印復刻されている*1。 明治44年2月27日 井川君が何か盛んに牛耳つているので聞けば同君は平井先生の所へ行つて催眠術にかゝつて来た…
安成貞雄が平井金三の「日本語=アーリヤ語説」を批判したことは、2007年9月1日に紹介したところである。この説は、批判ばかりされたわけではなく、吉田巌などには参考になったようだ。『吉田巌日記第五』に、 明治41年11月29日 先日来拝借して来たまま遂一…
森銑三『明治東京逸聞史』には、明治43年に結成された「日本言葉の会」も出てくる。 日本言葉の会(『早稲田講演』四十四・五) 外来語はなるべく使用しないで、わが国固有の言葉を使はうといふ主旨の下に、日本言葉の会といふが出来て、神田一橋の帝国教育…
日本一かと思うほど、あちゅ〜い。 百年ほど前の日本も暑かったようで、大正3年8月13日、高島米峰主催の忘暑会が、神田淡路町多賀羅亭で開かれた。 高島米峰「広長舌荘放言」『新仏教』15巻9号(大正3年9月)によると、 平井君だけは、菜食実験中とあつて、…
1『中学世界』 「神儒佛」9巻12号(明治39年9月20日) 「答案調べの感想」12巻4号(42年3月20日) 「鳩笛の如き当今の語学生」12巻5号(42年4月10日) 「精神修養と自己催眠の話」12巻8号(42年6月20日) 「試験準備の真意」13巻4号(43年3月18日) 2『成…
平井金三の「大きな怪物」(『新小説』明治44年12月1日)については、2月15日に言及したけれど、他にも同誌に執筆していた。 「家庭と催眠術」(怪談百物語)(明治43年8月1日) 「気海丹田吸気法」(明治43年10月1日) 「千里眼の能力」(明治44年3月1日) …
泉鏡花の年譜を見ていると、谷崎潤一郎の名前を幾つか発見。そのうちの一つに、大正3年7月12日の条があって、画博堂主催の「怪談会」に、鏡花の他、長谷川時雨、喜多村緑郎、吉井勇、長田秀雄・幹彦、谷崎潤一郎、岡本綺堂、坂本紅蓮洞、松山省三、鈴木鼓村…
恒藤恭と同様平井金三に英語の教えを受けたと思われる久米正雄が、次のように書いている*1。 豊島君は日常茶飯の間にも、彼の小説に現はるゝ如き、妙な神経から来る神秘の世界が実際あるらしい。其の点に於いて、彼はメエテルリンクの一面とひどく共鳴するら…
恒藤恭(大正5年11月までは井川恭)の日記(『向陵記』)に面白い記述がある。 明治43年12月30日 千里眼、千里眼。このごろの新聞ハ、千里眼と飛行機で持ち切って居る。誰にも出来相だが、さて僕にハ出来そうに無ひ。片桐の奥さんハ、あんな風な事が得意だか…
平井金三については、8月15日に言及したところであるが、『漱石研究年表』の記載の出典を示しておこう。 「漱石全集月報」14号(昭和4年4月)の松浦嘉一「漱石先生の詞」に、松浦の大正5年1月6日の日記が引用されていて、そこに漱石が次のように発言したとあ…
伊多波英夫『安成貞雄を祖先とす』に平井金三が出てきた。 『黒潮』創刊号(大正5年11月)の安成貞雄「「南洋の土人」の為に」で、貞雄は、<日本語はアリア語なり>と日本人の人種的優位性を主張した平井金三を批判し、その対極にあるポリネシア人について…
『漱石研究年表』。これを労作と言わずして何を労作と言うべきか。 しかし、同書にしても不詳とされる人物がいる。 大正5年1月6日の条によると、 野上豊一郎・内田百輭・松浦嘉一連れ立って来る。野上豊一郎、胡桃だけで十二年生きている男の話をする。平井…
1 大川周明と小谷部全一郎(承前) 大川の自伝『安楽の門』によると、 私は頭山[満]翁に於て真個の日本人を、押川[方義]先生に於て真個の信神者を、八代[六郎]大将に於て真個の武人を見た。 とある。押川は、ヨコジュンのファンの方には押川春浪の父として…