大正デモクラシー下に存在した黎明会という団体がある。『国史大辞典』によると、
大正時代中期の民本主義啓蒙団体。米騒動のあと、大阪朝日新聞筆禍事件(白虹事件)に代表される反動攻勢に対し、民本主義思想を擁護するため、吉野作造と福田幸三が知人の学者・思想家によびかけて、大正七年(一九一八)十二月二十三日に結成した。企画したのは大庭景秋(柯公)で、その背後には堺利彦がいたと推定される。
この黎明会の解散時期だが、従来から大正9年8月とされ、新刊の猪木武徳編著『戦間期日本の社会集団とネットワーク デモクラシーと中間団体』(NTT出版)所収の武藤秀太郎「戦間期日本における知識人集団—黎明会を中心に」でも踏襲されている。
しかし、同会の会員だった阿部次郎の日記には、
大正9年10月4日 中目尚義、田中通商局長初対面、
(略)如水館の黎明会に出席す。福田吉野堀中目四氏と余のみ、田中通商局長の談をきく。
とある。「福田」は福田幸三、「吉野」は吉野作造、「堀」は堀光亀と思われる。中目も含めて、いずれも黎明会会員。また、「田中」は田中都吉外務省通商局長(任期:大正9年5月〜10年10月)と思われる。この阿部の日記の記述によって、黎明会の解散時期については、見直す必要があるのではなかろうか。
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す、すまった。誰ぞはもう早稲田の古本市に行ってしもうたか。
會津八一記念博物館では「市島春城印章コレクション展」開催中だす。6月7日まで。
ちょっと、渋すぎる展覧会だ。「早稲田大学と岡田式静坐法展」なんてのをやらないかしら。
『dankaiパンチ』6月号は「いまこそ理想の書斎を手に入れる。」特集。坂崎重盛氏などが登場。書物蔵は着々と理想の書斎になりつつあるかすら。