神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-01-01から1年間の記事一覧

寺田寅彦と編集者独歩の時代

1年の最後は、独歩にしようか。 寺田寅彦の日記*1によると、 明治38年8月26日 電車にて神田中西屋迄行く 帰りに新古文林求め帰りて読む。 9月4日 宅へ婦人画報送る。 9月26日 独歩集求め帰りて読む 10月 3日 婦人画報求め帰る。 10月 4日 夜夏目先生訪ふ 新…

今年の明暗二様

古い話だが、『SPA!』10月2日号の書店員へのアンケートで、信用できる文藝評論家の4位が小谷野敦で、信用できない文藝評論家の4位が坪内祐三だったらしい。坪内氏は、『本の雑誌』12月号の「坪内祐三の読書日記」9月27日の条で、 『SPA!』…

堀一郎と偽史運動(その3)

『新若人』は戦前発行された国粋雑誌だから、堀一郎が威勢のよいことを書くのはもっともなことだが、省略された部分も含め、竹内文献やムー大陸などのトンデモ系の話は残念ながら出てこない。 そこで、発想を変え、堀の蔵書目録を見てみた。『増補改訂 堀文…

堀一郎と偽史運動(その2)

戦前小島威彦らスメラ学塾のメンバーが盛んに著作活動の拠点としたのはアルスや欧文社(旺文社)であった。アルスにおいては、ナチス叢書や世界戦争文学全集を刊行している。藤澤親雄『戦時下のナチス獨逸』(アルス、昭和16年1月)の巻末には、ナチス叢書と…

 堀一郎と偽史運動(その1)

そろそろスメラ学塾ネタや偽史運動ネタをせい、という声が聞こえる(笑)ような気がするので、久しぶりに話題に。 柳田國男と偽史運動の関係については、大塚英志先生が盛んに紹介しているのだが、偽史運動との関わりで言えば、むしろ柳田の三女三千の婿、堀…

司書官山田珠樹

山田珠樹の東京帝国大学附属図書館司書官としての在職期間は、大正14年6月12日〜昭和11年3月30日。 当時の図書館長は姉崎正治が大正12年11月29日〜昭和9年3月30日、高柳賢三が同3月31日〜15年6月14日。 山田と同時期の司書官は、鈴木繁次昭和7年2月20日〜18…

 サトウハチローと食道楽おとわ亭

書物奉行氏も読んでいる黒岩比佐子『食育のススメ』に出てくる村井弦斎『食道楽』ゆかりの「おとわ亭」。拙ブログでも店に出入りした著名人について何度か言及したが、またまた発見した。 サトウハチロー『僕の東京地図』(春陽堂文庫出版、昭和15年5月)に…

悪の枢軸

豊島与志雄「交遊断片」*1に森茉莉いうところの「悪い仲間」が書かれている。 或るレストーランの二階、辰野隆君と山田珠樹君と鈴木信太郎君と私と、四人で昼食をしていた。この三人は立派なプロフェッサーで、私はその中に交ると、一寸変な気がするのである…

独歩ゆかりの亀屋とは

『木山捷平全集』第2巻所収の木山の日記に独歩ネタがあった。 昭和15年4月25日 溝口行。一時高円寺集合。石浜(中略)、平島、村上、小田、新宿駅で倉橋と熊平、合流して「よみうり遊園地」で下車。独歩にゆかりある亀屋でのみ、七時帰途につく。 独歩にゆか…

森茉莉と豊島与志雄

昨年10月14日*1に言及した森茉莉が山田珠樹と離婚後、翻訳の件で岸田国士に相談したときに紹介されたという「近くに住んでゐた貴志讃次」。岸田と親しいフランス文学者としては、豊島与志雄がいるのだが、豊島は当時千駄木に住み、岸田は阿佐ヶ谷。「近く」…

志賀直哉と国木田独歩

志賀直哉の日記*1には独歩に関する面白い記述が幾つかある。 明治37年5月24日 小山内君の話によれば文学者も随分腐敗してる 第一姉崎さん初め、紅葉でも鏡花でも水蔭でも風葉、国木田、−生田でも 驚いた 「小山内」は小山内薫で、国木田の「腐敗」とは黒岩さ…

国立国会図書館副館長酒井悌

秦郁彦『昭和史の謎を追う 下』の「第27章熊沢天皇始末記(上)」によると、 CICが「偏執狂的」と評価したのは、必ずしも的外れではなかった。二十二年に入ると、熊沢一派の対GHQ運動は一段と高揚する。八月十日付で、マッカーサー元帥あてに第二の請願文が…

東大仏文学教室の若き群像(その2)

前川堅市は中島健蔵の回想(『疾風怒涛の巻 回想の文学1』)に出てた。 東大のフランス文学科の学生名簿の中に小川泰一の名を発見した時、そして彼が、小学校以来わたくしの同級生だった市原豊太と同じ年度の入学と知った時、およそ五年間にわたる空白を感…

坪内逍遥の国木田独歩への思い

黒岩比佐子『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)によると、坪内逍遥は明治41年6月の独歩の葬儀に会葬している。 そこで、逍遥の日記を見てみると、 明治42年7月13日 独歩の「欺かざるの記」前後二巻、過日より読始め読了(荒庭の参考) 故ありて荷風のア…

わしも図書館系ヨタぐらいに

書物奉行氏にネット上で出会ってから3年ぐらいだろうか。 おかげでそれまで全然知らなかった図書館人の名前を覚えることができた。 例えば『図書館人物伝』(日外アソシエーツ、2007年9月)で、紹介された日本人10名のうち、佐野友三郎、松本喜一、森清、…

跡見花蹊と村井弦斎

黒岩比佐子『食育のススメ』(文春新書)の刊行を記念して、弦斎ネタを投入。 跡見学園の前身跡見女学校の創設者跡見花蹊の日記*1に弦斎が出てくる。 大正4年7月22日 来客、姉小路延子、村井弦斎氏細君、石井まよ子、其子たま子。 5年8月17日 村井弦斎氏より…

ブータン王妃の来日

ブータン王妃と小島威彦、ガブリエル・マルセルとの出会いについては、昨年9月24日に言及したところ。 桑原武夫も王妃の来日に関与していた。「ブータン入国記」(1970年2月20日『朝日新聞』『桑原武夫集』第8巻)によると、 ブータンとの因縁は古い。一九五…

独歩に続いて弦斎

長山靖生氏はいつも的確な記述をしている。 「日本SFは百五十年になる」『文学』(7・8月号)で 弦斎は一般的に通俗小説の作家とみなされており、『小猫』(明治二十四)は家庭小説の走りとされている。たしかに弦斎の小説は恋愛や家庭生活を扱ったものが…

早稲田よい処、目白を受けて魔風恋風そよそよと

『滑稽新聞』151号(明治40年11月20日)中の「鋏と糊」は『神戸新聞』を転載している。 ・星菫党の本部 (前略)試みに俚謠子の歌ふ所を聞け「早稲田よい処、目白を受けて魔風恋風そよゝゝと」多言するを須(もち)ゐず、此一首中に早稲田の特色は、実に余薀…

独歩と落葉と福次郎

『日本古書通信』に連載された柴田宵曲の日記(「柴田宵曲翁日録抄」)は、ぜひ索引付きで刊行してほしいもの。 黒岩さんが『編集者 国木田独歩の時代』で引用している独歩の友人岡落葉も出てくる*1。 昭和28年8月4日 午後、岡落葉氏を訪ふ。独歩の話いろい…

志賀直哉と露探

志賀直哉の日記『志賀直哉全集』第11巻に「露探」が出てきた。 明治37年5月25日 此日、very bad newsを得たり それは磤菊の不品行にて無節操にて、門左九といふ露探と関係したりなど 又金にいやしきことなどあらゆる悪口百花新報*1に出たりと立花持ち来る、…

独歩にドポドポ

黒岩さんの『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)刊行記念として独歩関係のネタを。 明治41年7月30日 読売新聞掲載の文豪国木田独歩逝去(原注・・・一九〇九[ママ]年六月二十三日)の記事を見る。痛ましきかな独歩の死。吾は独歩の文を愛したりき。独歩…

 角田柳作と吉野作造

早稲田大学での角田柳作展が好評につき今月20日までに延長された。私が紹介(11月3日)したからではなく、たぶん日経新聞で取り上げられたからだろう。ググると角田の研究者って存在しているみたいだね。参考になるかわからないけれど、吉野作造の日記*1に角…

オタどんのオールタイムベスト

新聞も雑誌も2007年の回顧モードに入っているが、まだまだ黒岩さんの本が今月2冊も刊行されるのだから、1年を回顧するにはちと気が早い。 そこで、オタどんはオールタイムベストということで思いついた本を挙げてみた。本来は、ジャンル別にして、選びたい…

志賀直哉もすなるコックリさん

コックリさんをしていた著名人について既に何名か紹介したが、志賀直哉もその仲間と判明した。 志賀の日記によると、 大正元年9月13日 武者と柳来る。終日ゴロゝゝしてゐる。コックリ様とプランセットをする、 9月17日 平一来る 武者来る、黒木来る、児島来…

東大仏文学教室の若き群像

「森茉莉街道をゆく」11月27日分で紹介されていたジイップ『マドゥモァゼル・ルゥルゥ』の翻訳(崇文堂、昭和8年1月)に協力したという東大仏文出身の前川堅市。 『日本近代文学大事典』などによると、 前川堅市 まえかわけんいち 明治35年1月7日〜昭和40年3…

「AKB48」対「JIMBOU16」

紅白歌合戦に出るとかいうAKB48は全然知らなかったが、確かに可愛い子が多い。 しかし、神保町系女子もアキバ系に負けていられない。 岡崎武志氏が『ちくま』で紹介した女性古書店主13名にノンフィクション作家黒岩比佐子さん、元書肆アクセス店長畠中理…

おしゃべりな坪内祐三

坪内祐三の母方の祖父が柳田國男の次兄井上通泰であることはよく知られているところ。 父方の祖母梅子の弟が織田正信という英文学者であることは、坪内本人も書いている*1し、『日本の有名一族』でも紹介された。 この織田と東大英文科時代に友人だったのが…

東京新聞の大波小波

東京新聞は滅多に読む機会はないのだが、「大波小波」という匿名者によるコラム欄があるらしい。 篠田一士が「「大波小波」の五十五年」*1で次のように書いていた。 まあ、時効だから書いてしまうが、ぼくがこの欄の筆者だったのは、昭和三十年代後半から四…

春陽堂の番頭木呂子斗鬼次

木呂子斗鬼次は志賀直哉の日記にも出てくる。 大正15年3月2日 三月堂の前にて甘酒を呑み武者 浜本と別かれ、日暮れて帰宅、東京より春陽堂の番頭(木呂子斗鬼次)来てゐる 「或る朝」を四六版にして増版したしといふ、承知する。番頭九時半頃かへる 木呂子に…