神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

催眠術師が多すぎる!

三村竹清の日記は、山口昌男氏や中野三敏氏は読んでいるようだが、ma-tango氏や書誌鳥さん(森洋介氏のこと)が読んでも面白い発見があるかもしれない。 大正10年5月9日 午後はしめて笄町之岡本昆石翁にゆく 雷嫌之為神経衰弱之療治ニゆく也 11年4月25[ママ…

板垣鷹穂と阿部次郎

阿部次郎の日記にも板垣鷹穂が出てくる。でも、どういう関係かよくわからない。 大正9年10月6日 午後坂[板]垣に誘はれて丸善に行き独乙書数冊を買ふ。 12月15日 午後坂[板]垣鷹穂来訪美学会少壮連の雑誌の話をする。ムーターを譲つた金を受取る。 10年3月4日…

板垣鷹穂とフロイト

美術史家板垣鷹穂については、昨年『彷書月刊』で特集されたところ。 斎藤茂吉の日記にその板垣の名前が出てくる。 昭和7年3月25日 大橋松平、板垣鷹穂、湯川親戚、浅野利三郎、下山等ノ諸氏来ル。午後ニワタル、板垣氏ハフロイドノ精神分析ニツイテナリ。 …

谷崎潤一郎の義兄小林倉三郎

『日本の有名一族』に、谷崎潤一郎の最初の妻にして、後に佐藤春夫夫人となる千代の姉妹として、初子・せい子が挙がっているが、倉三郎という兄もいる*1。谷崎の弟終平の「回想の兄・潤一郎」によると、 兄嫁の兄に当る人で小林倉三郎という人がいました。太…

 フンドシが見える。

井上章一と三田村鳶魚で思い出した。 三田村の日記に次のような記述がある。 大正6年12月22日 ○二十一日薬王町ノ井戸ヘ投身セシ若キ女ガ赤木綿ノ男褌ヲナシ居タルニ付キ、神楽坂署長ハ、昔ハ必ズ死後ノ用意ヲナセシハ現代ノ女ニハ全クサルコトナシ、是ハ士族…

山田珠樹と辰野隆のつかのまの火遊び

『新政』第2巻第1号(昭和29年1月5日号)の「新春放談」(辰野隆、湯沢三千男、矢次一夫)が面白い。 辰野 (略)僕が初めてヨーロツパへ行つた時ちようど湯沢も一緒だつた。 湯沢 あの時は大正十年、俺が三十何才、課長の頃だつた。 辰野 四十日間も船で一…

 江戸風俗研究者岡本昆石の没年

旧幕時代に御留守居与力であった岡本昆石(本名・経朝)には、二つの顔がある。一つは江戸風俗研究者、もう一つは東洋性心学会長としての霊術家である。 この岡本について、鈴木棠三先生は「岡本昆石の世界」(『江戸・東京風俗史料 上巻』秋山書店、平成3…

催眠師五十嵐光龍登場

坪内逍遥の日記に催眠師が出てきた。 明治42年8月10日 玄太郎板橋行、五十嵐某よりあづかりし金魚を持行く 11月29日 西村来、玄太郎を催眠師五十嵐方へ遣す 逍遥の年譜によると、明治42年秋比から二葉亭の長男玄太郎を寄食させたが、幾ばくもなくして肺を病…

永代静雄らの遊蕩

谷沢永一『紙つぶて―自作自注最終版』で加わった自注に金田志津子『紅燈情話 私娼の叫び』(大正5年)の紹介があって、 花よしという待合は、女将が如才ないのと気が張らないので大繁昌、馬場孤蝶、永代静雄、吉井勇、和気律次郎、秋場[ママ]俊彦、大杉栄、…

宮本百合子と黒田礼二

中條百合子、後の宮本百合子は、朝日新聞ベルリン特派員の黒田礼二(本名・岡上守道)とのモスクワでの出会いについて、自伝的小説『道標』で次のように記している。 名刺には比田礼二とあり、ベルリンの朝日新聞特派員の肩がきがついていた。比田礼二−伸子…

大阪の奇人岡田播陽(その2)

奇人岡田播陽に再び出会った。 秋田雨雀の日記。 昭和10年7月22日 歴史の研究家前川君につれられて大阪城へいった。(略)帰路、大塩中斎の岡田播陽という人にあった。前にあったことのある人だ。おもしろい人物で西川光二郎なぞの友人だ。近所のバアでごち…

ダンテ研究者大賀寿吉の蔵書

大賀寿吉については、昨年9月19日に言及したけれど、大正11年1月4日付け会津八一の市島春樹宛書簡にも出てきた。 こゝにまた大阪には珍しき人物あり、即ち大賀寿吉とて其商店の顧問にて伊太利ダンテ学会の正員たる人に有之候。(略)ダンテにつきてはともか…

岸田國士大政翼賛会文化部長を激励する会

秋田雨雀日記によると、 昭和15年12月12日 ファッショの動員。 午前十時ごろ上野精養軒の大政翼賛促進の会へ行く。岸田、菅井、上泉(秀信)の三君の部長、副部長激励の意味の会らしかった。(略)食事後久米正雄の司会で柳田国男さんが開会の辞をのべ、各方…

戦時下早稲田のトンデモ科外講義

『早稲田大学百年史』第3巻に、「非常時下の科外講義と校外教育」という一覧があって、幾つかのトンデモなさそうな講義を見つけた。 昭和15年12月11日 キール師範大学教授・伯爵デュルクハイム 「独逸魂に就て」 16年12月23日 内閣情報局・陸軍中佐鈴木庫三 …

谷崎潤一郎と怪談会

泉鏡花の年譜を見ていると、谷崎潤一郎の名前を幾つか発見。そのうちの一つに、大正3年7月12日の条があって、画博堂主催の「怪談会」に、鏡花の他、長谷川時雨、喜多村緑郎、吉井勇、長田秀雄・幹彦、谷崎潤一郎、岡本綺堂、坂本紅蓮洞、松山省三、鈴木鼓村…

 芸術家兄弟を生んだ伊藤為吉

近代建築史に興味があったので、昔、千田是也ら芸術家兄弟の父である伊藤為吉の評伝、村松貞次郎『やわらかいものへの視点 異端の建築家伊藤為吉』を読んだことがある。再度、見てみると、為吉には、喜美栄夫人とは別腹で三人の子供(貞亮、翁介、愛子)がい…

ミネルヴァ日本評伝選への期待

ミネルヴァ日本評伝選については、猫猫先生も言及していたことがあったけれど、わしもあらためてリストを見てみる。 (期待してよさそう) 円観・文観(田中貴子)、西郷隆盛(草森紳一)、小林一三(橋爪紳也)、辰野隆(金沢公子)、宮武外骨(山口昌男)、…

催眠術師 国木田独歩の時代

独歩にオカルティックな要素はないのかと思っていたら、中桐確太郎の「早稲田時代の獨歩」(『趣味』明治41年8月号)に次のような記述があった。 催眠術の研究などもやつた。突然に大きな声をして「其処は開かない!」といふと、弟の収二君が幾ら開けようと…

弦斎に負けた男、福士政吉

「歌う記者」石川啄木の日記に驚くべき記述がある。 明治41年9月16日 三十四年の頃、日報社は呉服町の川越といふ酒屋の隣りにあ[つ]た。主筆はその時から神川福士政吉氏、その昔報知新聞が初めて懸賞小説を募集した時、村井弦斎が一等で此人が二等だつたとい…

斎藤茂吉の見た徳田秋聲・山田順子カップル

斎藤茂吉の日記も索引がなく不便。そのためかあまり活用されていないみたい。 次の出来事も従来の徳田秋聲や田山花袋の年譜には記されていない。 昭和2年2月19日 夕ヨリ歌舞伎座ニ改造社ニ招ガレテ行ク。芝居ハナカナカ面白カツタ。佐藤春夫。久米正雄、芥川…

薄井秀一の婦人論

薄井秀一の書いた婦人論を幾つか見つけた。 「新しい女と卵細胞」『中央公論』大正2年5月号 「近代婦人思想の出発点」『中央公論』婦人問題号(大正2年7月15日発行) 「近代婦人の貞操観」『太陽』近時之婦人問題号(大正2年6月15日発行)・・・薄井長梧名義…

『婦人画報』記者列伝(その6)

坪内逍遥の日記には、小佐井という名前の『婦人画報』の記者らしき人物も登場する。 大正12年8月10日 「婦人画報」の東京社へ「道風」を送る約をす(小佐井へ) 8月23日 「婦人画報」の小佐井来 この年の『婦人画報』11月号に逍遥の「歌劇小野道風」が掲載さ…

『小説永井荷風傳』上の澤田卓爾

佐藤春夫の『小説永井荷風傳』を見る。 この瀬沼氏といふのは荷風よりは少し年長なほどのわたくしの畏敬する老友で、荷風よりも早く、と云つて禾原翁*1ほども舊くはないが、家庭を悪んでひとり海外へ飛び出し、あめりかで苦学して、文学の造詣も浅くないから…

後藤末雄と村井弦斎

後藤末雄(明治19年10月生)も村井弦斎の小説を愛読していた。 『生活と心境』(第一書房、昭和14年11月)所収の「僕の読書行路」で、 僕は中学に這入ると盛んに現代小説を読みだした。村井弦斎の小弓の御所・両美人・小猫、中でも小説家を読んで作家の境遇…

市河彦太郎と阿部次郎

阿部次郎の日記になぜか、市河彦太郎が登場。 大正7年1月24日 日暮市河彦太郎その二友を伴ひて来訪、賑かな空想を話して帰る 3月20日 仕方がないので市河の「小さい[ママ]芽」を百頁ばかりよむ。 8年4月29日 晴天、午前午後目白行、二三人の相談を受け、市川…