神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧

奉天図書館長衛藤利夫が吼える

『木下杢太郎日記』第4巻(1980年5月、岩波書店)によると、 昭和14年7月25日 九時に一旦宿にかへり、斎藤君を伴ひ奉天図書館にゆく。衛藤館長まだ出てゐず、五分ばかり待つうちに来る。バツクの小説とクリステイの記録のこと。在満州の日本の中等為政者にな…

松竹の女優霧島黎子の謎

今、ある女優に興味がある。 彼女の名は無名だが、松竹の女優霧島黎子。 『日本映画人名事典 女優篇』(キネマ旬報社、1995年8月)によれば、 本名:島田愛子、1912年8月11日生まれ 虎の門の東京女学院を中退して家事に従事していたが、1929年6月に松竹蒲田…

帝国図書館員朝倉無声の図書破壊疑惑(その4)

帝国図書館員朝倉無声に関するよくない噂をまた発見した。林若樹から又聞きの内田魯庵の話。 大正7年12月5日 午後 林君を訪ふ (略) 魯庵又曰 此間 不忍之稀書複製会にて 是非出品物のカタロクを作ろうといふ相談あり 市島は金を十円だすといふ 自分は…

“永遠の処女”原節子は汚れていたか?(その2)

原節子とスメラ学塾について、もう一つ文献があった。 本地陽彦『原節子「永遠の処女」伝説』(愛育社、2006年6月)によると、 熊谷久虎は『指導物語』以降、映画を離れ、この年[昭和17年]の夏頃までには国粋主義思想団体である「スメラ学塾」を作り、教祖に…

8年かかったヨコジュンさんへの回答

ヨコジュンさんへ ヨコジュンさんは、覚えていらっしゃるでしょうか。ヨコジュンさんは、『明治の夢工房』(潮出版社、1998年7月)で、『実業之日本』(昭和10年12月1日号)に掲載されているエジソンバンドなる記憶増進器の広告について次のように書いておら…

谷崎潤一郎・精二兄弟と劇作家秋田雨雀

細江光先生に「キター」と言わせるようなネタは、中々見つけられそうもないが、とりあえず小谷野敦版谷崎潤一郎詳細年譜に未記載のネタを見つけたので報告。 劇作家秋田雨雀の日記は、様々なカフェでテンコ盛り状態の日記。林哲夫氏向きであるが、谷崎兄弟も…

ロシア文学者片上伸の海外逃亡?

片上伸。年譜によると、明治17年2月生まれ、大正9年4月早稲田大学文学部ロシア文学科創設とともに主任教授、大正12年12月文学部長に選出される。大正13年6月教授の職を退き、再度ロシアに遊ぶとされている。昭和3年3月没。また、小谷野敦版谷崎潤一郎詳細年…

カフェー好きの秋田雨雀

『秋田雨雀日記』第1巻から。 夜、生方敏郎君がきて、二人で銀座にでて、カフエ・ロシアへゆき、クリスマスデナーをすました。童話劇の俳優といっしょにお鯉のカフエ・ナシヨナルへいった。お鯉は桂公の愛妾だった。 お鯉と桂太郎については、黒岩比佐子『…

谷崎潤一郎と坪内逍遥の出会い

谷崎潤一郎の『青春物語』には、坪内逍遥との出会いについて、文藝協会が北濱の帝国座へ「マグダ」を持って来ていたので、ある晩中井浩水に連れられ見物に行き初めて坪内にあったとある。『坪内逍遥事典』によれば、大阪帝国座での「マグダ」の上演は明治45…

カフェー発祥の地としての本郷(その2)

昭和の初期、「本郷カフエー」が日本最初のカフェーであることに気がついた文人がいる。その証言を見てみよう。 ・・・・・・それは、私が中学に入つたか、入らなかつたかの時分だつたから、かれこれ二十年近く前にはなるのだらう、今日ではアスフアルトの立…

カフェー発祥の地としての本郷(その1)

「日本において最初にカフェーを名乗った店が登場したのは、明治44年の銀座プランタンである」という定説に反して、それ以前に「本郷カフエー」が存在したことについては、「寺田寅彦と謎の本郷カフエー」で紹介したところである。 寺田の日記だけでは、確…

山本鼎が渡航中に出会った人々

山本鼎の「渡航日記」*1には、どこかで聞いたことのあるような人名がずらりと登場する。 明治45年7月16日 此処で米国産の手品師の一行や、臭いきたない支那人共がのり込むだので、阪田、沢木*2の両君は甲板のスモーキング・ルームに逃け出した。予も床…

岩野泡鳴日記にトンデモネタが!

岩野泡鳴の日記*1は一度紹介したけれど、作家・画家との交流だけでなく、トンデモ系のネタも載っている。 大正7年5月12日 小野崎が蒙古熱心家の西岡士郎氏をつれて来た。 大正7年5月14日 西岡氏より手紙(これによると、西蔵のラマ経文中にジンギス…

『食道楽』、『酒道楽』ときたら、次は何道楽だろう?

岩波文庫の村井弦斎『酒道楽』の実物はまだ見ていないのだが、刊行を祝して同書に解説を書かれた黒岩さんに、弦斎ネタを贈ろう。と言っても、酒道楽そのもののネタはなく、食道楽関係のネタ。 秋田雨雀の日記*1によれば、 大正5年3月10日 生田葵山君とい…

中央公論社社史で谷崎潤一郎を読む

劇作家秋田雨雀の日記*1中昭和30年11月4日の条には、 今日午後五時から歌舞伎座で中央公論七十年記念の招待会があった。緒方、正宗、谷崎(潤)、山川菊栄、佐々木茂索なぞのあいさつがあった。 とある。念のため、『中央公論社の八十年』(中央公論社…

谷崎潤一郎が柳田國男に贈った真紅のバラ

岡茂雄『本屋風情』を読んだ多くの人は柳田國男が嫌いになったのではないだろうか。私もその一人である。もっとも、自分も歳をとってきた今では、人間にはいろんな側面があるから、しょうがないか、と許容しているけどね。 それはさておき、かの分厚い『柳田…

戦時下に偽書『上記』を読む西田幾多郎先生

西田幾多郎の日記*1によると、昭和18年4月分の日記の扉に 神日本魂三月号ウエツフミ全釈 現津御神 天野辰夫 、前田虎雄 とある。 また、昭和18年4月9日付け堀維孝宛葉書*2には、 佐藤信淵難有御座いました 暫く拝借致します ウエツフミとは如何なる書ですか …

谷崎潤一郎・谷崎精二兄弟と坪内逍遥

「書物蔵」の再開を祝して、「宮本常一と××本」なる面白ネタを投入しようかと思ったけど、宮本ファンの顰蹙を買いそうなので、やめておいて、谷崎ネタにしよう。 谷崎精二『明治の日本橋・潤一郎の手紙』(新樹社、昭和42年3月)によると、 坪内先生で思い出…

今年も後わずかだね

このブログを始めて1年以上経過した。当初は、メモがわりに、読んだ本の一節を記録しておいたのだけど、そのうち、「スメラ学塾」という面白いテーマを見つけた。各種の文献に断片的に登場する戦前のスメラ学塾について、どういうわけかまともな研究がなされ…

谷崎潤一郎『青春物語』続編

ある人の明治45年の日記の一節。 七月一日 六月三十日 追記 朝、漸く起きたところへ、山本鼎君来る。(略) 山本君が仏蘭西へ行くといふことが自分の感情に与ふる影は何であらう。 七月二日 (前略)そこへ正宗得三郎君に出逢ひ、所詮山本君は青木町にはゐは…

GHQ言語将校ハーバート・パッシンの見たお札博士スタール

岩波講座『帝国日本の学知』の第6巻『地域研究としてのアジア』中の中生勝美論文(「日本占領期の社会調査と人類学の再編」)によると、GHQの民間情報教育局「世論および社会調査部」にアメリカから人類学者が派遣され、ハーバート・パッシンという人物が…

谷崎潤一郎と小泉信三

『青年小泉信三の日記』(慶應義塾大学出版会、2001年11月)には、谷崎潤一郎自身は出てこないが、名前は登場する。 明治44年10月4日 「三田文学」の「飆風」(谷崎潤一郎)を読んだ。大変面白いものだと思った。単なる性欲描写よりもよほど詩に近いところが…

戦争と古書業界

岩村正史『戦前日本人の対ドイツ意識』(慶應義塾出版会、2005年3月)は、日中戦争下におけるヒトラー人気として、 事実、新聞の社会面には、ヒトラーに贈り物をする一般日本人の記事がしばしば掲載されるようになっていた。 とし、注として、 たとえば、あ…

村井弦斎と若山牧水

若山牧水「おもひでの記」*1によると、 いま一人の叔父は村の寺の住職であつた。(中略)私が生れて初めて小説といふものを読んだのはいつもこの叔父の持つて来る絵入郵便報知新聞に載つてゐた村井弦斎作『朝日櫻』といふものであつた。振仮名を拾つて駒雄静…

神戸文学館の開館

神戸にも文学館ができた。うらやましい。→神戸文学館

明治45年新橋発特急備え付けの列車文庫

畏友にして盟友の書物奉行氏の「書物蔵」(12月2日分参照)が10万アクセスに達したとのこと。お祝いとして、ズショカンネタをアップしよう。といっても、ズショカンそのものとはちと違うけど。 『青年小泉信三の日記』(慶應義塾大学出版会、2001年11月)か…

宮本常一と谷崎潤一郎その他

宮本常一の日記に、谷崎潤一郎本人は出てこないが、関係する話が出ていた。 昭和21年7月11日 朝七時四十分の汽車で大阪へ向ふ。(略)車中谷崎の『吉野葛』をよむ。いいものだと思ふ。 昭和23年1月7日 昨日今日よんだ本。『橡ノ木の話』『女性改造』1月、『…

「三丁目の夕日」は、ダメか、よくできているか?

小谷野氏はダメと言い、書物奉行氏はわりとよくできていると言う。 どっちが本当か?(どっちも本当だろうけど・・・) 最後まで眠らずに見ることができるかすら。