神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

与謝野寛の親友だったパリ在住の変人内藤丈吉

グーグルブックスで「内藤丈吉」を検索すると、拙ブログの「岡本太郎を小僧呼ばわりした元第一高等学校教授の内藤丈吉」のみがヒットする。今回、『木下杢太郎宛知友書簡集』上巻(岩波書店、昭和59年7月)所収の(大正10年)5月26日付け与謝野寛の木下宛書簡中…

『小山完吾日記』に見る昭和天皇の憲法観

神津真人の迫水久常宛献呈署名入の『小山完吾日記』(慶應通信、昭和30年11月)を入手。小山は、「著者略歴」によると、明治8年生、34年慶應義塾卒、時事新報記者、衆議院議員を経て、明治生命常務、時事新報社長等を歴任。大正8年パリ講和会議には首席全権西…

桑原天然の弟子だった(?)日本心霊学会の渡辺藤交

その昔天下茶屋にあった井村宏次の生体エネルギー研究所には何度か行ったことがある。場所柄から帰りに怖い目に会ったのも今ではいい思い出である。さて、井村の名著『新・霊術家の饗宴』(心交社、平成8年12月)266頁によると、 天然の死後、彼の影響をうけた…

星新一が『祖父・小金井良精の記』に書かなかったこと

届いたばかりの『盛林堂の本棚 盛林堂書房古書目録』第3号のトップは星一『三十年後』(新報知社、大正7年5版)12万円である。だからというわけではないが、星一の妻と息子でSF作家の星新一の話を。『小金井良精日記 大正篇』(クレス出版、平成27年12月。以下…

藤澤衛彦主宰『伝説』の編集者竹内道之助

風俗資料刊行会や三笠書房を創立した竹内道之助は、それ以前に藤澤衛彦の『伝説』(日本伝説学会)の編集をしていた。このことは、『談奇党』3号(洛成館、昭和6年12月)の「現代猟奇作家版元人名録」に書いてあるらしい(金沢文圃閣の復刻版あり)。『伝説』自体…

美術印刷株式会社の皆川省三

股旅堂の目録から『皆川省三君を偲ぶ』(市川憲次、昭和17年10月)購入。非売品、276頁。皆川の略歴は、同書の年譜から要約すると、 明治23年3月24日 長野県飯田町皆川家の二男として生まれる 44年 日本新聞社に入社 45年 日本新聞社を辞し、松下伝吉の雑誌「…

レイキ・ハンドで(ウソ)『臼井霊気療法及公開伝授説明書』を発見

山本善行氏が善行堂を開店して古本行脚を引退(?)する前は、その掘り出し物を見つける神業をゴッド・ハンドと呼ばれていたものである。これに対して、同じ『sumus』同人で僧籍を有する扉野良人氏はブッダ・ハンドと言われたりしていた。では、善行氏に代わっ…

松竹を追われた病弱な美人女優及川道子

戦前の女優及川道子については、「忘れられた美人女優及川道子と堺利彦夫妻」などで言及したところである。『新派名優喜多村緑郎日記』第3巻(八木書店、平成23年3月)にも晩年の及川が出てきたので紹介しておこう。 (昭和十一年) 十月二十九日 晴曇雨 (頭注欄…

西式強健術で健康維持に努めた獄中の蔵原惟人

蔵原惟人『藝術書簡』(青木文庫、昭和27年9月)は「瑞香書房」の値札が付いているので、西部古書会館で買ったのだろう。蔵原の署名入り。読んで見たら、獄中の蔵原が西式強健術をやっていた。昭和7年7月21日付け蔵原惟郭宛書簡によると、 昨日身体検査の時目…

戦時下における諸岡存の評判

諸岡存が古在由重の「戦中日記」*1に出てきた。 (昭和十九年) 七月二十二日(土) (略) 午後から諸岡存氏(医学博士)が茶についての話をしにきた。あまり品のない老人だ。 この頃、古在は四王天延孝の大日本回教協会に勤めていたので、諸岡はそこに来たのだろう…

森茉莉の帰還

山田珠樹と妻茉莉の帰国については、「山田珠樹・森茉莉夫妻の帰国」で茉莉の年譜にある大正12年8月ではなく同年7月だろうと推測したところである。これは『小金井良精日記 大正篇』(クレス出版、平成27年12月)でも確認できた。 (大正十二年) 七月二十六日 …

寸葉会で『温知図書館図書目録』(温知図書館)を

250円で見つけた図書目録。と言っても冊子ではなく、縦23cm、横61cmの一枚物。温知図書館は名古屋市東区蒲焼町四丁目の東洋倶楽部内に所在。発行年の記載はないが、「温知図書館新刊図書紹介(大正四年七月)」として36冊挙げているので、同年中の発行か。新刊…

文庫櫂で『檸檬』第一輯(檸檬社、昭和7年11月)を

檸檬社は京都市夷川川東秋月町に所在。発行者は同住所の五十川隆三、印刷者は京都市丸太町油小路東の竹田信郎。24頁、府立総合資料館も含め、所蔵館はないようだ。 目次は、 受太刀ーー小説 堀池武夫 詩壇 一節ぎり 辻孝三郎 その朝 岸美登里 うれひ しろ・…

大陸講談社『ますらを』の編集者海津良彦

講談社をスピンアウトしたメンバーが創立した満洲雑誌社の東京支社にいた野間清三が大陸講談社名で発行した『ますらを』については、「大陸講談社の『ますらを』と満洲雑誌社の『満洲良男』」で詳しく紹介したところである。この『ますらを』の編集者海津良…

柳瀬正夢と柴田宵曲の出会い

「柴田宵曲翁日録抄(8)」『日本古書通信』昭和57年2月号に柳瀬正夢が出てきて驚いた。 (大正十一年) 十二月二十八日 雨後霽 (略)亜石氏へ電話かけ、秋蘿氏と共に読売に寄る。柳瀬正夢氏に逢ふ。(略) 当時柴田は数え26歳、柳瀬は数え23歳。どちらもまだ無名の…

警視庁の検閲官が三角寛に検閲に関するヒアリング

金箔書房で『覆刻月刊随筆博浪沙』第一分冊(博浪沙覆刻刊行会、昭和56年)を200円で。第二分冊も同額で購入。「日本の古本屋」で調べると、本来は函付で第四分冊まであるようだ。第一分冊は『随筆博浪沙』(博浪社)の昭和13年8月号から14年6月号までの合冊版。…