神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治

明治44年創刊の『鉄道画報』

斎藤昌三の『現代筆禍文献大年表』によると、大正2年9月『鉄道画報』は風俗壊乱を理由として発禁。調べてみると、大正元年12月15日付東京朝日新聞の「近刊雑誌」に「鐵道畫報(二の一二)」とあり、明治44年1月に創刊された雑誌のようだ。少なくとも、明治44…

紅葉門下篠原嶺葉の末路

黒岩比佐子さんの『古書の森 逍遙』で書籍コード083は、篠原嶺葉『家庭小説 新不如帰』(大学館、明治39年8月初版、40年4月6版)。嶺葉については、ヨコジュンさんも「近代日本奇想小説史 または、失われたナンジャモンジャを求めて」の「第68回 奇想小説の…

明治期のグラフ誌の発行部数

黒岩比佐子『編集者国木田独歩の時代』によると、明治期にグラフ誌は26誌創刊されている*1。その一回当たりの発行部数について調べてみると、 ・明治32年 風俗画報 3,509*2 (「保証金ヲ要スル定期刊行雑誌配布部数 明治三十二年中」『明治三十二年警視庁…

謎の樋口二葉

樋口二葉というふざけたような名前の作家がいた。ヨコジュンさんの「樋口一葉のSF童話」『古書ワンダーランド2』は、某古書店の目録に樋口一葉『理科新お伽』(晴光館書店、明治42年12月)を見付け、一葉のおとぎ話かと思い注文したら、二葉の誤植だった…

日露戦争ふたたび

いよいよ11月から放送が始まるスペシャルドラマ『坂の上の雲』。司馬遼太郎の原作と島田謹二の研究との関係はよく知られていると思うが、芳賀徹先生にも語ってもらおう*1。 芳賀 島田謹二先生が僕の先生だったんですが、先生は大変な海軍マニアで、司馬さん…

ここにも薄井秀一が出てきた。

朝倉文夫の日記は存在するはず*1だが、公刊されてはいない。その一日分だけでもトンデモなく面白い記述がある。『美術週報』2巻7号(大正3年11月15日)所収の朝倉の「一日一日記」によると、 十一月三日(火) 海のローマンスの著者から依頼された「海と人」…

村井弦斎と国木田独歩の時代を生きる小林一三

小林一三の明治36年の日記*1に黒岩比佐子さんが大喜びしそうな記載がある。 明治36年3月15日 朝、上野公園にゆき、屏風画展覧会と東京百美人写真展を見る 十二時帰宅 3月17日 東洋画報第一号を買ふ こういふ雑誌は甚だ有益で趣味があるから面白い 4月4日 東…

キリスト教の日本的変容 海老名弾正・中田重治・宮崎湖処子・徳冨蘆花・巌本善治

勝本清一郎の『座談会明治文学史』での発言。 (略)明治大正時代にキリスト教思想を、日本の神道思想に妥協させる考え方の流れが一つあるわけですね。海老名弾正が、天御中主之神とエホバを同一視したり、ホーリネス教会の中田重治の日本人ユダヤ民族説だの…

もう一人の少年も見た日比谷焼打ち事件

黒岩さんの講演が、30日に開催される。「一九〇五年、戒厳令下の東京」(夏の文学教室「「東京」をめぐる物語 Part 2」)がそれ。女史の『日露戦争勝利のあとの誤算』で、麻布中学三年生だった小林俊三(後に、弁護士、最高裁判事)の日比谷焼打ち事件目撃談…

 日露戦争従軍記者としての中山太郎

中山太郎「憶出の人々」(『書物展望』第10巻第12号、昭和15年12月1日)によると、 私が、大阪の新聞へ行くことがきまると、東日の松内冷洋氏から、岩野泡鳴君が樺太の蟹の罐詰で失敗し困つてゐるので入社させてくれないかとの話で、私は泡鳴氏に会ひ月給や…

天下之奇人山田一郎と長澤雄楯

奇人にしてジャーナリストであった山田一郎というと、黒岩さんの好きそうな人物だが、わすも高島俊男『天下之記者 「奇人」山田一郎とその時代』(文春新書)を立ち読みしてみた。催眠術に関する著作もある掛川病院長の山崎増造(一昨年7月12日参照)が出て…

最初から結論ありきの露探事件判決

最初の露探容疑者長田秋濤が訴えた裁判の判事早川早次と、市島春城の接触については、昨年10月9日に言及したところ。市島の回想に驚くべきことが書いてあった。 「豪快児長田秋濤」(『余生児戯』冨山房、昭和14年11月)によると、 (前略)不謹慎と放縦は彼…

森茉莉と豊島与志雄

昨年10月14日*1に言及した森茉莉が山田珠樹と離婚後、翻訳の件で岸田国士に相談したときに紹介されたという「近くに住んでゐた貴志讃次」。岸田と親しいフランス文学者としては、豊島与志雄がいるのだが、豊島は当時千駄木に住み、岸田は阿佐ヶ谷。「近く」…

早稲田よい処、目白を受けて魔風恋風そよそよと

『滑稽新聞』151号(明治40年11月20日)中の「鋏と糊」は『神戸新聞』を転載している。 ・星菫党の本部 (前略)試みに俚謠子の歌ふ所を聞け「早稲田よい処、目白を受けて魔風恋風そよゝゝと」多言するを須(もち)ゐず、此一首中に早稲田の特色は、実に余薀…

志賀直哉と露探

志賀直哉の日記『志賀直哉全集』第11巻に「露探」が出てきた。 明治37年5月25日 此日、very bad newsを得たり それは磤菊の不品行にて無節操にて、門左九といふ露探と関係したりなど 又金にいやしきことなどあらゆる悪口百花新報*1に出たりと立花持ち来る、…

下岡蓮杖、浅草に死す

下岡蓮杖は大正3年3月3日92歳で亡くなっている。 ジョン万次郎の長男中浜東一郎の日記*1に下岡の名前が出てきた。 大正2年12月23日 浅草第五区に下岡蓮杖氏を訪ふ。九十一才なり。 3年2月25日 浅草五区に住する下岡蓮杖氏病篤しと聞き、今日午…

日本写真史に一石を投じる発見か

田辺聖子の祖父・父は写真館を営んでいたことは、NHKドラマ「芋たこなんきん」でよく知られることとなった。 田辺の「ハガとアイスクリン」(『新潮』平成9年1月号、『田辺聖子全集』第24巻)によると、 私のウチの写真館は祖父が明治三十年代後半に…

宮武外骨の露探攻撃

『滑稽新聞』において激しい人物攻撃を行った宮武外骨。村井弦斎に対しては、『食道楽』のパロディを掲載するほか、それほど手厳しかったわけではなかったことについては、黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』に詳しい。外骨は、いわゆる「露探」について…

最初の露探容疑者長田秋濤(その3)

外骨の『滑稽新聞』56号(明治36年9月5日発行)によると、長田と同時期にもう一人露西亜の犬と疑われた人がいたらしい。 露国の犬 是は其一名を売国奴ともいふ(中略)夫に近頃長田秋濤といふハイカラ文士や、恒屋盛服といふデモ政治屋等が、いつも露国公使…

最初の露探容疑者長田秋濤(その2)

10月9日に紹介した市島春城の日記の明治36年11月4日の条に「就寝後早川[早治]、秋濤事件ニ関し被告ニ無罪之判決を与へし始末を云々す」とあった。素直に読めば、早川という人は、権藤震二を被告とする事件で無罪判決を下した人と読めるのだが、まさか裁判官…

最初の露探容疑者長田秋濤

日露戦争期に露西亜(ロシア)の軍事探偵(スパイ)のことを「露探」と呼んだが、その疑惑を受けた最初の人物は、長田秋濤であった。長田や秋山定輔など露探の容疑をかけられた人達については、奥武則『露探』(中央公論新社、2007年8月)に詳しい。 同書の…

明治37年の睡眠術狂言

明治36年前後には、催眠術ブームがあったという(昨年の7月10日参照)。これもその一つか。 明治37年5月4日 薄晴。六十一度。常盤座水野一座すいみん術狂言。おみね 織雄三人ニテ見物。 引用は、『梅若実日記』第7巻(八木書店、2003年12月)による。梅若は…

 「黒岩涙香展」と「貸本屋鎌倉文庫展」と「小島烏水展」

横浜や鎌倉の展覧会は面白そう。日本新聞博物館(横浜市)では2月17日〜4月22日に「言葉の戦士涙香と定輔」展。黒岩涙香は知っているけれど、「二六新報」の秋山定輔は知らなかったよ。 鎌倉文学館では、4月22日までで「貸本屋鎌倉文庫とその時代」…

山本鼎が渡航中に出会った人々

山本鼎の「渡航日記」*1には、どこかで聞いたことのあるような人名がずらりと登場する。 明治45年7月16日 此処で米国産の手品師の一行や、臭いきたない支那人共がのり込むだので、阪田、沢木*2の両君は甲板のスモーキング・ルームに逃け出した。予も床…

ヨコジュンもビックリ!?岩野泡鳴の日記に薄井秀一登場

ヨコジュンさんが、『明治時代は謎だらけ』などで、夏目漱石に山中峯太郎を紹介した人物として、その足跡を探求した東京朝日新聞記者薄井秀一。 その薄井を岩野泡鳴の日記*1大正6年4月3日の条に発見。 新潮、小此木、前島、天弦、中央新聞を訪ふ。薄井(秀)…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その3)

3 決戦!カフェーパウリスタ ここまで1勝1敗の両者の戦い。いよいよカフェーパウリスタで決戦。 鴎外は、 大正6年3月24日 與類往銀座。Café Paulistaに立ち寄る。 小泉は、 明治45年1月19日 阿部、久保田の二人と小山内さんの時間が済んだあと、はじめて…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その2)

2 カフェーライオンで第2戦 森鴎外は、 明治44年12月26日 築地精養軒にて陸軍省忘年会を開く。予も往く。始てCafé Lyonに往きて見る。 小泉信三は、 明治44年9月1日 三河屋から銀座に廻ってカフェライオンに入って見た。 これは、明らかに小泉の勝利である…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その1)

明治44年銀座に相次いで、オープンしたカフェー、プランタン、ライオン、パウリスタ。当時の日記が残る森鴎外、小泉信三の日記を使って、どちらが先に入店したか調べてみた。 1 初戦はカフェープランタン 鴎外*1は、 明治44年5月20日 亀井伯夫人洋行の途に…

中村正直を食いつぶした神保町珊瑚閣の息子

南方熊楠の大正8年9月3日上松蓊宛書簡*1で、中村一吉という面白そうな人物に出会った。 中村一吉氏(珊瑚閣と申す表神保町辺の書肆主人、中村正直先生を世話せしことあり。その恩を謝するため先生一女あるに約束通り珊瑚閣の悴を婚わせ嗣子とせしなり。この…

寺田寅彦と謎の本郷カフエー

『日本の名随筆別巻3 珈琲』中の寺田寅彦「コーヒー哲学序説」*1によると、 ドイツに留学するまでの間におけるコーヒーと自分との交渉についてはほとんどこれという事項は記憶に残っていないようである。(略) 西洋から帰ってからは、日曜に銀座の風月へよ…