谷崎潤一郎が通ったというサンマー英学塾。J・サマーズの未亡人エレン夫人、次女キャサリン、三女エレン(リリー)が教師を務めていたのだが、跡見花蹊日記にそれらしい人の名前が出てくる。
26年8月7日 サンマ氏より砂糖一箱。
9月4日 サンマー氏より棒砂糖。
27年3月16日 来客、成田菊。此度英学全廃ニ付、サンマース・カセ、レヽン、工藤氏、教員解雇ス。
夫のジェイムズは明治24年10月没。夫の死後も夫人たちと娘たちで英学塾を経営し、明治40年に夫人が亡くなるまで塾を続けたという。27年3月16日の条に出てくる「成田菊」とは何者だ?
ググったら、「此度英学全廃ニ付、サンマース・カセ、レヽン、工藤氏、教員解雇ス」は、跡見女学校自身の事のようだ。→「http://www.atomi.ac.jp/kikaku/130/AG130_file03.pdf」
(参考)『近代文学研究叢書』第2巻
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「書物蔵」さんが、早速鬼塚明治について調べてくれた。ありがたう。→「http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20080525」