神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 戦時下の極楽とんぼ(その4)


漢口会の田中軍吉らしき人物が高見順の日記に出てくる。

昭和18年5月2日 五時半より鎌倉、二楽荘の会。中山義秀夫妻、小生の移転歓迎、川上喜久子さんの帰還祝い、鎌倉ペン・クラブ主催。
行くと、小林秀雄と島田晋作がいる、島田氏はすでに酔っている。
里見さん(編註=里見紝)、久米さん(編註=久米正雄)、大佛さん(編註=大佛次郎)、永井龍男深田久弥、佐藤正彰、津村信夫、大島十九郎、福永恭助、西村酔香、村田さん(編註=村田良策)、清水昆横山隆一、田中文吉氏。
(略)
里見、久米、大佛といった人々が、酔うと青年のように論ずる。さすが文学者だと思う。
(略)
会のはじまった頃だったが、大佛次郎里見紝に、時世の関係で書くものにいろいろ掣肘があるが、そういう点でどうかという意味のことをいうと、
「書く方は別に困らないが、買う方が困るようだね」
里見紝がいった。笑いながらの答えなので、みんな笑ったが、立派な言葉だった。しかしこの場合は、大佛さんが、ちょっと気の毒な立場に廻された。


最後の一節の意味がよくわからないが、里見の全集の年譜に昭和17年4月、「リベラルな立場から時局を批判した「風炎」を「日本評論」(翌年五月まで、前篇完結、以下中絶)に発表」とあることと関係あるか。


二楽荘の会に集まったメンバーは、作家、評論家、漫画家などだが、田中文吉なる人の正体がわからない。もしかしたら、田中軍吉の誤記かと思ったりもしている*1。田中軍吉と高見順が知り合いだったことは、高見の日記の昭和20年9月9日の条に「文庫で出版企画の相談。田中氏来る。首相宮殿下がかつて連隊長のとき連隊旗手たりし人。側近にあるとかで気焔万丈」とあるので、間違いない。


(参考)田中軍吉の経歴は4月27日

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文藝春秋』6月号の小谷野敦「『日本売春史』の周辺」は気づいていますた。

*1:小谷野敦氏の教示によると、里見と愛妾お良さんの往復書簡『月明の径』でも、「田中文吉」と記載されているらしい。となると、誤記というより、別名か。