神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治42年早稲田大学教授金子馬治のオカルト授業

 『三富朽葉全集』2巻(牧神社、昭和53年3月)所収の明治42年11月5日付け増田篤夫宛書簡に面白い記述があった。

教室が暗かつた。金子先生が説くルネッサンス時代の接神術とやら、魔術とやら、其処此処に実現されるやうな気がする。
金子先生はずんずん錬金術といふ奇怪な神秘を語つてゆく。ぱつと電気がついた。それが心に印象を与へた。

 三富は明治44年早稲田大学英文学科卒。「金子先生」は、金子馬治教授と思われる。金子が教えたルネッサンス期の接神術とか魔術、錬金術パラケルススやアグリッパとかだろうか。さすがに横山茂雄さんが『神の聖なる天使たち:ジョン・ディーの精霊召喚一五八一~一六〇七』(研究社、平成28年2月)を出したジョン・ディーではないだろう。大正期における早稲田大学の三大オカルト教師については、「大正期早稲田大学の三大オカルト教師 - 神保町系オタオタ日記」参照。

秋田県立秋田図書館横手分館旧蔵の『秋田考古会々誌』(秋田考古会)ーー柳田國男が顧問を務めた秋田考古会ーー

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 京都古書会館で開催された京都まちなか古本市では、紐閉じされた『秋田考古会々誌』1巻2号,大正14年11月から2巻1号,昭和3年2月までを入手。福田屋書店の和本の棚を念のためチエックしたら、紛れていた。500円。秋田県立図書館が1巻1号,大正14年8月から3巻6号,昭和7年8月まで所蔵している。1巻2号の「編輯後記」によると、「創刊号の謄字刷が甚だ不評判だつたので本号が[ママ]ら印刷することになりました」とある。謄写版の創刊号も欲しかった。
 斎藤忠『郷土の好古家・考古学者たち 東日本編』(雄山閣出版、平成12年9月)によれば、創刊号には深沢多市(明治7年-昭和9年)の「新城館址と古鏡との研究」や武藤一郎の「山北に於ける考古資料」などを掲載。また、『日本民俗学大系』11巻(平凡社、昭和33年10月)によると、秋田考古会は、大正14年設立で会長は吉村定吉、幹事は武藤、深沢である。会長の吉村は、『図書館人物事典』(日外アソシエーツ)に立項されていて、明治19年生まれ、大正13年から昭和5年まで秋田県立図書館長であった。芸者の自主勉強会「のぞみの会」を読書会形式で指導したとあるので、ユニークな館長だったのだろう。
 本誌1巻6号,昭和2年7月の「会報」には、春季総会について「午後から講演に移つたが土俗学の泰斗柳田國男先生が男鹿に赴かるゝ途上本会に臨席されたを機とし講演を御願せしに早速御承知下され本県に尤も縁故の深い菅江真澄翁に就ての有益なる講演があつた」とある。『柳田國男全集』別巻1(筑摩書房平成31年3月)の年譜(小田富英作成)を見ると、これは昭和2年5月15日のことで、「菅江真澄百年祭を前にして」を講演。翌3年9月23日には、菅江真澄百年祭に参列後、秋田図書館で記念講演「県の恩人たる真澄翁の事共」を行ったとある。こうした関係の中、柳田は秋田考古会の顧問となっている。
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 他の顧問である三宅米吉、喜田貞吉、高橋健自の文学博士の肩書を見ると、柳田が博士でなかったことをあらためて意識してしまう。
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 入手した会誌には、「秋田県立秋*1田図書館横手分館」の蔵書印が押されていた。『近代日本図書館の歩み 地方篇』(日本図書館協会、平成4年3月)によれば、明治36年9月平鹿郡立図書館設立後、大正12年郡制廃止により、県立図書館横手分館となる。更に、昭和7年3月分館が廃止され、地元町に移管された。横手町立図書館の蔵書印は押されていない。県立図書館から移管される時に廃棄されたのだろうか。根拠はないが、移管後に町立図書館の蔵書印が押されないまま所蔵され続け、ある程度経ってから廃棄されて古書市場に流出したような気がする。

*1:実際は、火偏に禾の異体字

京都まちなか古本市の尚学堂書店から梅原真隆・顯真学苑旧蔵の『悲眼院初代院長故渡辺元一先生の面影』

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 京都古書会館では10月9日から11日まで「京都まちなか古本市」が開催された。古書ダンデライオンや尚学堂書店などに梅原真隆及び梅原が創設した顯真学苑旧蔵の本が出ていたので、それを中心に購入。今回紹介する『悲眼院初代院長故渡辺元一先生の面影』(高橋慈本、昭和11年5月)は、尚学堂書店から1,000円で。17頁の小冊子。初日からあったものの買うのを迷って、2回目に行った最終日に購入。国会図書館サーチでは、どこの図書館にも無いようだ。ただし、岡山県立図書館が6頁の『故悲眼院長渡辺元一氏』(発行者・発行年不明)を所蔵している。
 岡山県小田郡北川村(現笠岡市)に設立された悲眼院については、中西直樹・髙石史人・菊池正治『戦前期仏教社会事業の研究』(不二出版、平成25年8月)に出てくる。

(略)[古義真言宗祖風宣揚会の]一期事業の一環として創刊された『六大新報』では、社会事業に関する論説が掲載されるとともに、済世病院・讃岐学園・真龍女学校・悲眼院・鶏鳴学館など、古義真言宗僧侶が関わった慈善事業に関する情報を宗内に伝え、その事業展開の活性化を促す役割を果たした。(略)三期事業として東寺に開院した済世病院は、模範的仏教慈善病院として仏教界に大きな影響を与え、真言宗では大正期に岡山悲眼院・信貴山成福院積善会医院などの救療施設が開設された。
[ ]内は、引用者による注

 「京阪書房で小林参三郎『生命の神秘』を買ったら『京都新聞』に「静坐社」の記事が - 神保町系オタオタ日記」や「福来友吉と真言宗の関係について研究を期待するーー知恩寺の古本まつりで見つけた『六大新報』ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した済世病院と並ぶ古義真言宗僧侶による救療施設であった。本書によると、渡辺は慶應3年1月生まれ、大正13年4月27日没。悲眼院の設立については、次のようにある。

大正三年小田郡北川村走出薬師へ、真言宗僧侶高橋慈本、釈大空、長尾円澄、桑本真定[、]丸山祥憧諸師と謀り、救療事業悲眼院を創設し、経営方面を寺院側に一任し、医務方面を担任し院長となつて、前後十年間無報酬で施療に従事せられた。

 渡辺と梅原の関係についても記載があった。

(略)家は真言宗であつても、真宗の人達の指導で熱烈なる真宗の信者であつた。それは法友白印津田明導師の導引が序で、近角常観師、梅原真隆師、暁烏敏師などの法話が助縁となり、その信仰を深めたのであるけれど、最も先生をして真宗信者たらしめたのは清沢満之師の著書と、九州の東洋円城、京都の足利浄円の二師であつた、[ママ]就中足利師を敬慕し平生の行業は悉く足利師に私淑して居られた。最も晩年は弘法大師を信仰し(略)悲眼院が身心両面の救療を思ひたつたのも先生のこうした信仰が基となつて居る。(略)

 近角や足利も色んな所に名前が出てきますね。発行者の高橋の肩書は、悲眼院専務理事。渡辺が亡くなった後も、梅原と交流があったのだろうか。
参考:「梅原真隆・顕真学苑旧蔵の関昌祐編著『死後はどうなる?:心霊学説』(霊光洞本部、大正15年) - 神保町系オタオタ日記
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追記:樅野志郎『悲眼院:福祉の真髄に迫る』(吉備人出版、令和元年8月)が刊行されている。

悲眼院 福祉の真髄に迫る

悲眼院 福祉の真髄に迫る

近代の仏教者達と国家主義団体大亜細亜建設社ーー笠木良明のもとに集まる多田等観・山辺習学・足利浄円・中井玄道ーー

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 私の両親は福井出身で、熱心な浄土真宗の信者であった。しかし、息子である私の世代になると、さっぱり関心はなくなっている。仏教については、教科書で学んだ程度の知識しかない。それでも、個別の仏教関係者、たとえばシルクロード探検の関係で大谷光瑞、妖怪研究の関係で井上円了あたりには関心があって、関連書はかなり読んだものである。最近は、近代仏教の研究者に何回か会う機会があったおかげで、他の仏教者の名前も随分覚えるようになった。そうした中で、大谷栄一・吉永進一・近藤俊太郎編『近代仏教スタディーズ』(法藏館平成28年4月)が初学者のガイドブックとして、読み安く、近代仏教史の奥深さも味わえる好著であった。「初心者のための人脈相関図」というイラスト入りの画期的な一節もある。例えば、「西本願寺系」の一部は次のようなものである。
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 さて、近代仏教の研究者は、ここに出てくる中井玄道、足利浄円、三島海雲、宇野円空、渡辺海旭らが関与した国家主義団体があることに気付いているだろうか。「大亜細亜建設社の賛助員 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した笠木良明の大亜細亜建設社である。同団体については、国会デジコレで読める『全国国家主義団体一覧:昭和十六年十月現在』に立項されている。

亜細亜建設社
創立 昭和八年四月
性格 急進日本主義陣営ノ大陸政策遂行ヲ目的トスル団体デアル
綱領 
 目的 世界ノ為ニ大道ヲ開闡シ 政治的覇道ヲ超剋シ、経済的覇道ヲ清算シテ、真誠平和ノ基ヲ開ク
 実践 道ノ興起ハ世界維新ノ初メニシテ終リナルヲ決着シ 近ク一郷一村ノ道統自治ヲ実現シ、之ヲ推シテ遠キニ及ビ、大同維新ヲ完成ス
役員 主幹 笠木良明
   委員 村井修*1、斎藤源内、児玉誉士夫、伊藤三郎、奥戸足百、小黒将永、高村泰輔、大橋賢
会員 百名
活動状況 「大亜細亜」(月刊)三千部発行

 どういう団体かはよくわからないが、児玉誉士夫が幹部の一人であるような団体である。機関誌『大亜細亜』創刊号(昭和8年5月)は未見だが、2巻8号(昭和9年8月)の賛助員名簿には87名挙がっていて、多田等観*2、足利、中井の名前がある。仏教関係者としては他に、山辺習学、真渓涙骨、星野直翁、大峡秀栄、田島徳音、間宮英宗、小林正盛、宮本正尊がいる。神道関係者には、今泉定助、神崎一作、日高丙子郎、千家尊建、太田外世雄。木村悠之介氏が見たら、もっと見つかるかもしれない。イスラム教関係は、田中逸平、須田正継。もちろん、鹿子木員信、田鍋安之助、若宮卯之助といった国家主義者や笠木が満鉄調査部にいた関係で衛藤利夫など満洲人脈に属する人物も多い。変わったところでは、長谷川淑夫(長谷川四兄弟の父)、辰野隆、土井林吉(土井晩翠の本名)、長尾甲(長尾雨山の本名)、朝倉文夫*3、酒井由夫*4、三田村玄龍(三田村鳶魚の本名)、寒川陽光(寒川鼠骨の本名)の名前がある。なお、同号の編輯発行兼印刷人は馬場園義馬で、北一輝の門下生として後の二・二六事件後に処刑直前の北と最後の面会をする人物である。
 渡辺海旭は昭和8年1月に亡くなっているので、賛助員名簿に名前はない。ただ、伊藤武雄『満鉄に生きて』(勁草書房、昭和39年9月)によると、

 渡辺海旭、藤井行勝など日蓮行者は彼(笠木良明ーー引用者注)の師匠格らしいが、その道では「東亜青年居士会」を主宰し、ついで「大雄峯会(狩庚大雄峯)を結成して、満洲国建設事業には、その一統をひきいて乗りこむのです。「昭和維新」を外地から遂行していくつもりだったかと思われました。

という。また、「日本の古本屋」で売り切れとなっているが、『大亜細亜』創刊号の出品情報として渡辺の名前が出ている。遺稿だろうか。
 2巻8号以後、1度でも賛助員名簿に名前が出る人物としては、仏教関係者として宇野円空三島海雲、沢木興道、横山雪堂。その他、二木謙三加藤一夫、クルバンガリー、増田正雄*5桜沢如一*6、山本英輔*7、川島浪速、登張信一郎(登張竹風の本名)など気になる人物も登場。多田、中井、足利の3人は11巻6号(昭和18年8月)の段階でも名簿に名前があり、相当熱心な賛助員だったことがわかる。大亜細亜建設社は敗戦後公職追放の対象となる団体に指定されたので、賛助員でなく役員になっていれば、公職追放の対象になっていたおそれがある。ただし、上記『全国国家主義団体一覧』上の役員で大亜細亜建設社役員を理由として公職追放になっているのは、笠木だけである。また、『公職追放に関する覚書該当者名簿』をざっと読んでみたが、大亜細亜建設社役員を理由として公職追放になった者は、やはり笠木だけのようだ。笠木らの公職追放該当事項は、次のとおりである。

笠木良明 大亜細亜建設代表者主幹興亜青年運動本部要職者行地社要職者
児玉誉士夫 アジア青年社代表主幹国粋同盟東亜局長総務国粋大衆党東亜部長聖戦貫徹同盟要職者興亜青年運動本部代表者著書
奥戸足百 アジア青年社同人興亜青年運動本部要職者維新公論社主幹者勤皇まことむすび中央世話人聖戦貫徹同盟主幹
小黒将永 興亜青年運動本部要職者
馬場園義馬 独立青年社顧問

 足利や中井がどの程度大亜細亜建設社に関与していたかは、不明である。ただ、足利は『大亜細亜』3巻5号(昭和10年5月)の「一隅者の念願」に、

 K先生
 私は大亜細亜の創刊号の冠頭言を読みました時、これは全人類の願を代表するものであると思ひました。そして幾度びか之を繰返して読んで快哉を叫びました。その当時私はある場所で山辺習学先生に会ひました。先生は口を極めてあの冠頭言を称讃して居られました。(略)

と書いているので、単に名義を貸しただけの関係でないことはわかる。吉永進一氏は、『近代仏教スタディーズ』の「はじめに」に「ぜひ本書を活用して路地の奥まで入り込み、近代史を仏教の側から路上観察していただきたい」と書いている。私も『仏教スタディーズ』を片手に、近代仏教史という迷宮都市の路地裏に入り込んだようだ。

*1:新野和暢『皇道仏教と大陸布教:十五年戦争期の宗教と国家』(社会評論社平成26年2月)によると、太田外世雄編『太夷宮鎮座祭』(太夷講、昭和15年12月)に昭和15年7月の鎮座祭に川島浪速らと共に粛親王府の村井修が参列したことが記載されている。また、足利が祝辞を寄せている。

*2:名簿では、「多々等観」と誤植

*3:三角寛に提供された『ウエツフミ』の出所 - 神保町系オタオタ日記」参照

*4:東京精神分析学研究所創立期のメンバー - 神保町系オタオタ日記」参照

*5:国際政経学会常務理事増田正雄の敗戦前後 - 神保町系オタオタ日記」参照

*6:桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その1) - 神保町系オタオタ日記」参照

*7:海軍大将山本英輔のトンデモ遍歴 - 神保町系オタオタ日記」参照

『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)の栗田英彦「日本主義の主体性と抗争ーー原理日本社・京都学派・日本神話派ーー」への補足

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 御恵投いただいた石井公成監修、近藤俊太郎・名和達宣編『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)を読んでみました。巻頭の石井先生の総論「日本主義と仏教」が極めて行き届いた論文で圧巻でした。近代日本の仏教者・知識人と日本主義との関わりを分析した各論15の論文も刺激的なものが多かった。近代仏教の研究者に限らず、思想史や近代史に関心がある研究者や一般の読書人も是非読んでいただきたいものである。
 さて、人の論文に補足を書くのが、私の楽しみでもあり、敬意の表明でもある。今回は、栗田英彦先生の「日本主義の主体性と抗争ーー原理日本社・京都学派・日本神話派ーー」に補足してみよう。戦争末期に京都学派を抑えて思想的ヘゲモニーを握ったという日本神話派の佐藤通次に焦点を当てた論文である。佐藤は小宮山登編『創造的日本学:藤沢親雄遺稿』(日本文化連合会、昭和39年2月)に「藤沢さんとの交遊」を寄稿したり、片山杜秀『近代日本の右翼思想』(講談社、平成19年9月)に三井甲之と並んで取り上げられているという。私はどちらも読んだが、佐藤がこれほど注目すべき人物とは全然気付かなかったので感心した。
 藤澤は、従来偽史マニアや柳田国男との関係で大塚英志氏らが注目するぐらいであった。しかし、近年多様な研究者が言及するようになり、栗田先生も

藤沢は九大事件の当事者の一人で、契丹古伝や竹内文献などの偽史研究者としても知られる。佐藤に神道などの日本文化への目を開かせたのは彼だろう。(略)

と言及している。栗田先生も藤沢親雄研究に参戦されるとは、藤沢オタクの私としては頼もしい限りである。
 論文中で気になったのが、「言論報国会のメンバーは、敗戦後例外なく公職追放となった」という一文である。この「メンバー」は「役員・会員」と読まれかねない。「昭和二十二年勅令第一号公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令の施行に関する命令」(昭和22年閣令内務省令第1号)別表第1の3で、時期の如何を問わず公職追放に関する覚書該当者となるのは、大日本言論報国会の1創立者、役員又は理事であった者、2要職を占めた者、3一切の刊行物又は機関誌紙の編集者、4自発的に多額の寄附をした者である。単に大日本言論報国会の会員であっただけでは、公職追放とはならない。おそらく「メンバー」は論文で言及したメンバーという意味であろうが、大日本言論報国会の役員だけでなく、日本神話派の田中忠雄を同会の会員として言及している。役員でない田中は当然公職追放になっていないはずで、『公職追放に関する覚書該当者名簿』(以下「名簿」という)に登場しない。このため、「例外なく公職追放」というのは、不正確な表現だろう。ちなみに、論文中に登場する人物の公職追放該当事項を名簿から拾うと、

・大日本言論報国会関係
徳富蘇峰(徳富猪一郎) 言論報国会々長
鹿子木員信 言論報国会専務理事正規海軍将校著書
津久井龍雄 推薦議員著書
斎藤忠 言論報国会常務理事著書
野村重臣 赤誠会要職者言論報国会常務理事
井沢弘*1 大日本言論報国会常務理事
斎藤しょう*2 日本出版会理事書籍部長著書大日本言論報国会理事
佐藤通次 著書大日本言論報国会理事
大串兎代夫 大日本言論報国会理事著書
高山岩男 記載なし*3
高坂正顯 言論報国会理事
・原理日本社関係
三井甲之 著書
蓑田胸喜 国体擁護連合会委員原理日本社主幹者
国民精神文化研究所関係
藤沢親雄 翼賛中央本部興亜局庶務部長東亜局庶務部長著書
紀平正美 著書

 栗田論文の最後には、今後の課題として、「日本神話派の思想も戦後という状況下で転形を被っているはずであり、それを見極めなくてはならない。また、佐藤以外の人物や、周辺人脈などまだまだ明らかにすべきことは多い」とある。研究の進展を期待しております。
 あと関連して、飯島孝良「禅・華厳と日本主義ーー市川白弦と紀平正美の比較分析を通じてーー」中の公職追放に関する記述にも補足しておこう。「戦後、GHQによって国民精神文化研究所は解散、紀平をはじめとした所員もことごとく公職を追放された」とある。国民精神文化研究所昭和18年11月に国民錬成所と統合されて教学錬成所となっているので、前段は不正確である。後段も前記命令別表第1の7で指定の基準として、昭和12年7月7日と16年12月7日との間における会長、専務・常務理事、重要理事、編集局長等が示されている。昭和12年7月より前の所員は、公職追放とならない。「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎 - 神保町系オタオタ日記」参照

*1:名簿では、「伊沢弘」

*2:日偏に向

*3:大日本言論報国会理事で公職追放になっているが、名簿から漏れている。

「本おや」で『ほんまに』14号(くとうてん、平成23年)を入手ーー「へちま倶楽部と貫一」掲載ーー

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 大阪の「本は人生のおやつです!!」(本おや)に取り寄せを頼んでいた雑誌『ほんまに』14号(くとうてん、平成23年11月)を入手。竹十主人「湊東古書四時雑記 へちま倶楽部と貫一」が載っているので、読みたかったのである。西村貫一に関して目新しい内容としては、
阪神大石(神戸市外西灘村河原)に別邸を建築、『大石の田園生活』なる小冊子がある。
・欧米漫遊から帰国後、水谷鋏也らと同人誌『アンテーク』を創刊したが、貫一の小説中の性描写により発禁
森鴎外に幾つか原稿を送り、面会の機会を得たものの、文豪を前に生来の生意気が災いして悪い結果に。ただし、後年子息の森於菟とは昵懇になった。
 同人誌の発禁については、斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』(粋古堂書店、昭和7年11月)では、確認できなかった。参考文献の雑誌『金曜』を全48冊としているので、地元でも49号が発行されていたことは知られていないようだ。→「へちま倶楽部の西村貫一と雑誌『金曜』(へちま文庫)ーー『金曜』の終刊時期はいつかーー - 神保町系オタオタ日記」参照
 本誌には、他に牛津太郎「本のある街角から」第8回として、「黒岩比佐子さんの肖像」掲載。牛津大学で修行した某先生だろう。前年に亡くなり一周忌を迎える黒岩さんを偲ぶ記事。黒岩さんが善行堂を訪ねた時に、先生が撮影された写真が載っている。この写真は、善行堂の壁に今も貼られている。
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いもづる同人にして我楽他宗第六番札所、藤浪吟荘の藤浪銀蔵

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 いきなり似顔絵をアップ。拙ブログの読者の数名は、書砦・梁山泊京都店の島元さんと思っただろう。しかし、別人で藤浪銀蔵という人の自画像である。数年前モズブックスから800円で入手した絵葉書の裏面である。Twitterでヲガクズ氏(@wogakuzu)が、今月3日に四天王寺秋の大古本祭りで見つけた昭和12年5月の中山香橘宛田中與一郎の絵葉書を紹介していた。それが、藤浪の藤浪吟荘作成であった。
 藤浪については、かの名著山口昌男内田魯庵山脈』の「人名索引」では、「藤波[ママ]銀蔵(吟荘、陶老)」で挙がっている。『以茂図流』*1改巻5輯,大正13年7月の「当世超人非超人略伝(一)」や芦湖山人「日本近代畸人録ーー箱根趣味塚由来」『グロテスク』昭和4年5月号で紹介されているようだ。また、三田平凡寺の我楽他宗の一員で、第六番平凡山歓陶寺の札所であった。
 経歴は、冒頭で言及した絵葉書の表面下段に載っていた。慶應3年5月「武蔵隅田川の東岸向島寺島村」生まれ。生業は、木版錦絵手刷業。蒐集分野は、「螳ろう*2(カマキリ)但し玩具。陶。[ママ]磁焼物」。号は、刀弄、松岸、歓陶爺。住所は、大阪市西淀川区海老江町上2丁目である。趣味人の人物情報が載った絵葉書を一時期買っていたが、役に立つものである。

*1:正しくは、『以毛図流』

*2:虫偏に良