神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

三人の加藤六蔵

1 加藤六蔵(1858-1909)愛知県出身で衆議院議員。 2 加藤六蔵(1891-1990)神奈川県出身で新有社社長、文藝春秋社監査役。 3 加藤六蔵(?-?) 国会図書館員(?)二人目の加藤は、志賀直哉や里見とんの知人だったが、昭和3年に久米正雄らと別府温泉に…

『出版書籍商人物事典第二巻』に生活社の鐵村大二

金沢文圃閣から8月に刊行された『出版書籍商人物事典』の第二巻に生活社の鐵村大二が出てきた*1。早大英文科(正しくは独文科)を出て興文社の編集部に入り、その後柳沼澤介に引かれて東京社に入ったとある。興文社に一時在籍したというのは新事実であるが、…

吉田巌の催眠術修行前史

『吉田巌日記』は索引もないので、使い勝手が悪い。吉田と催眠術については、今月12日に言及したが、そのきっかけはどうやら明治39年に遡ることが判明した*1。 明治39年7月17日 まっしぐらに中村町をわって木崎叔父さんの宅についた。(略)二階で休みながら…

黒岩比佐子さんの「古書の森日記」での愚痴

中之島図書館に『お茶の水図書館設立60周年記念講演会記録』(財団法人石川文化事業財団、平成21年3月)があった。20年12月13日に池坊お茶の水学院講堂で開催された黒岩比佐子さんと穂村弘氏の講演と対談「読書の楽しみ」が収録されている。講演の記録を読ん…

皆川博子さんの父塩谷信男と竹内文献

皆川博子さんの父塩谷信男の弟は、塩谷勉といい、九州大学農学部教授であった。心霊研究家でもあり、『霊は生きている』(地球社、平成元年11月)という著作がある。同書の「私と心霊・五十年前」*1によると、信男は、昭和6年渋谷に内科医院を開業後、西洋医…

日経の春秋欄に黒岩比佐子さん

今日の日経の一面「春秋」欄は、黒岩比佐子さんの話だ。要約すると、 4年前の今頃、黒岩さんから小欄あてに丁寧なお便りをいただいた。弦斎の『食道楽』に触れたコラムについての感想であった。弦斎の評伝で大きな賞を得たばかりであった。早速お会いしたと…

志水一夫さん、失礼しました

何度かコメントをいただいたreveal氏とは、昨年7月に亡くなられた志水一夫さん(この人も慶應文学部だ)だったという。ちょっと、怪しい人かと警戒してコメントに返事をしてませんでした。ご冥福をお祈りします。 reveal 2008/10/11 17:37(2008年6月25日参…

東京古書会館に群れるオッサン

黒岩さんの母校の本を読んでみた。佐藤道生編『名だたる蔵書家、隠れた蔵書家』(慶應義塾大学出版会、2010年11月)。このうち、石川透「赤木文庫・横山重」に面白い記述があった。 私は、毎週金曜日の午前十時には、神田の東京古書会館に赴く。(略)以前は…

黒岩比佐子さんへの遅すぎた報告

村井弦斎は、晩年一元同化力という霊術に頼った。これを開発したのは中尾弘明だが、その門人水村昌吉については、黒岩比佐子さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』に、 弦斎が一元同化力を知るきっかけになったのが、この水村昌吉という人物である。弦斎の「婦…

黒岩比佐子さんが秘蔵していた弦斎の胃腸薬のパッケージは300円で売っていた

6月20日〜26日東京古書会館で開催された「作家・黒岩比佐子が魅せられた明治の愛しき雑書たち−日露戦争・独歩・弦斎」に展示されていた村井弦斎の開発した胃腸薬のパッケージには、「よくこんなものまで残っていたな」と驚いた人も多いだろう。これについて…

黒岩比佐子さんと柴田流星

松崎天民『東京の女』(隆文館、明治43年1月)が発禁になったという噂については、同題の柴田流星『東京の女』(洛陽堂、明治44年9月)が発禁となったこととの混同だと、書物蔵氏によりおおむね確認された。→「坪内祐三氏の「『東京の女』をめぐる謎」の質問…

黒岩比佐子さんの次作

昨日の深川いっぷくからの放送「緊急追悼番組 黒岩比佐子さんとの日々――担当編集者3人が語る」は、予定の時間になっても配信されないし、開始されても当初は受信状態が悪かったが、内容的には興味深い話が多かった。見ていたのは130〜150人だった。黒岩さん…

性科学者澤田順次郎の弟、澤田俊治という名の奇人

『吉田巌日記第九』によると、ある朝、吉田が教員を務める帯広の伏古第二尋常小学校に、指の皆ぬけ出た足袋に草鞋をはいた、年の頃22、3位のみすぼらしき工夫体の男が現れた。「東京赤坂区青山南町五−九七 化石採集及研究旅行者 澤田俊治」と名乗る「無銭…

誰ぞのおかげでちょっこし元気になったが

『日本古書通信』11月号巻頭は、休刊となった『彷書月刊』に連載していた岡崎武志氏のライフワーク「均一小僧の気まぐれ古書店紀行」が「昨日も今日も古本さんぽ」と題名を変えての第1回。題字・カットは石丸澄子さん。今回は、「秋とくれば温泉に古本だ」と…

黒岩比佐子さんの最後の一冊

黒岩比佐子さんから初めてコメントをもらったのは、2006年3月7日のことだった。 Hisako 2006/03/07 22:36 初めまして。拙著(弦斎の評伝)について過分なお言葉をいただき、恐縮しています。桜沢如一についてはくわしく調べる余裕がなかったことと、マクロビ…

国語調査委員会残務取扱嘱託時代の山田孝雄

山田孝雄は、明治40年2月28日文部省国語調査委員会補助委員を嘱託され、大正2年6月13日同委員会官制廃止により残務取扱を嘱託されている。この時期の山田が、岩野泡鳴の日記に出てきた。 大正2年7月8日 田代氏を訪ひ、その紹介で山田孝雄氏と会ふ。近頃珍ら…

長谷川利行の「カフェ・パウリスタ」

東京国立近代美術館で所蔵作品展「近代日本の美術」が12月19日まで開催中。「長谷川利行特集コーナー」では「カフェ・パウリスタ」を展示。ホームページに、 テレビ番組「開運! なんでも鑑定団」がきっかけとなり発見された、長谷川利行(1891-1940)の《カ…

別府温泉と久米正雄・松崎天民

東京日日新聞の記者佐藤巌の『新聞遍路』(松山房、昭和6年12月)に、 大正十二年三月、文壇に盛名ある久米正雄、里見弓享、加能作次郎、田中純、松崎天民、岡栄一郎、山中忠雄の諸氏を案内し、私が東道役となつて別府温泉に遊んだ。また昭和三年十月には同…

皆川博子さんの父塩谷信男の経歴

皆川博子さんの父は、塩谷信男と聞き、唖然とする。 『第十四版大衆人事録 東京篇』(昭和17年10月)によれば、 塩谷信男 医博 塩谷病院長 内科医 渋谷区美竹町39 [閲歴]宮城県信一長男、明治35年3月24日生る。大正15年東大医学部卒業、京城大医学部助手拝命…

佐野洋子の父、満鉄調査部の佐野利一

亡くなられた佐野洋子に関心はないのだが、11月9日の読売新聞で、三木卓氏が「さようなら佐野洋子さん」として、洋子の父佐野利一について、満鉄調査部出身で東洋史が専門と書いていた。戦後は、三木氏の入学した静岡高校で世界史の先生をしていたという。ま…

皆川博子さんのあやす〜ぃ父親は、帝大出の医者だった。

皆川博子「動詞的人生 憑く」『図書』2001年2月号によると、 医者である父がいつから心霊研究に関心を持つようになったのか、いんちきな心霊現象をなぜ無批判に受け入れたのか、あらためて訊ねたことはないのだが、戦前、私が学齢前のころからすでに我が家に…

読売新聞社会部長千葉亀雄が記憶する薄井長梧

「モダン・ガール」を日本で最初に使用した北澤秀一について言及した文献としては、従来「近代的女性批判『婦人の国』座談会」*1における次の発言が知られている。 久米(正雄) モダン・ガールつて、普通にいふ当り前の言葉だけれども、モダン・ガール、モ…

アイヌ研究者吉田巌の催眠術修行日記

いやはや、明治・大正期に催眠術にチャレンジした人の日記や回想を幾つか紹介してきたが、それらがかすんでしまうような吉田巌日記第六、第七が出現した。 明治45年7月25日 東洋出版協会より本月二十日郵送の催眠術警報七月号を入手一読、所感ななめならず。…

薄井秀一と別府温泉

東京日日新聞の記者だった佐藤巌の『新聞遍路』(松山房、昭和6年12月)に、松崎天民の「益友」だった*1薄井秀一が出てきた。 大正四年の夏だつた。私は別府温泉が関東方面ではまるで知られず、信州の別所温泉と間違へられる程度だつたので、別府を東京以東…

本間久雄が見た柳原白蓮の晩年

昨日のNHK「歴史秘話ヒストリア」の「華麗なる歌人 愛なき館からの逃避行〜柳原白蓮の生涯〜」は見逃してしまった。 閉鎖中の「ジュンク堂書店日記」さんのお許しを得て、73歳当時の白蓮関係の記事を引用させてもらう。 出たっ!見るも無残な柳原白蓮 200…

久米正雄が撮影した岡本綺堂

久米正雄の趣味としては、ゴルフ、テニス、ダンス、写真、野球などが知られているが、35ミリ映写機も趣味だっとという。おそらく、それで撮影したと思われるのが、次の岡本綺堂の日記*1の記述。 昭和2年4月25日 改造社の芥川君が来て、文学者の日常生活を活…

暁烏敏が妻に贈った二冊の本

黒岩比佐子さんの『パンとペン』258-9頁に、『売文集』(丙午出版社、明治45年5月)の「巻頭の飾」に寄稿した62人の一人として、暁烏敏があがっている。この暁鳥の日記を見ると、 明治36年9月25日 房へ『食道楽』『家庭の新風味』を贈る。 10月16日 『食道楽…

道頓堀にあった謎の古本屋「古本大学」

八木書店から刊行された『新派名優喜多村緑郎日記第一巻』に戦前道頓堀にあった古本屋「古本大学」が出てくる。 昭和7年3月20日 そこで長いこと食事をして、寺嶋氏の東道で「古本大学」へゆく。聞いた通り、空ン洞の古本の見世、ノツクによつて、その古本が…

大正期に健康法・民間療法書を刊行した伊藤尚賢

黒岩比佐子『パンとペン』342頁に『衛生新報』(衛生新報社発行、新橋堂発売)の発行兼編集人で大正年間に健康法や民間療法の本を多数書いた人物として、伊藤尚賢なる人物が登場する。実は、この人は黒岩さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』にも名前が出てい…

「東京の女」、水島幸子

さて、松崎天民『東京の女』(隆文館、明治43年1月)には、水島爾保布の妻水島幸子らしき婦人記者が出てくるので記録しておこう。 婦人画報は画家水野(ママ)某氏の夫人で、水野(ママ)幸子(二十六)と云ふ方あり。落合直文先生の門に学んだ事もあるさう…