神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ヨコジュン

東亜連盟期の石原莞爾と霊術家石川清浦ーークリントン・ゴダール「日蓮主義と日本主義との衝突」『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)を読んでーー

『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)中のクリントン・ゴダール「日蓮主義と日本主義との衝突ーー日中戦争期における東亜連盟運動ーー」を読んでみた。石原莞爾について、「石原という人物のネットワークと、その昭和初期における思想的研究はあまりなされてい…

文学フリマ京都で『天狗倶楽部☆フォーエバー』を発見ーー大正8年高橋箒庵は彌次将軍吉岡信敬に出会ったかーー

みやこめっせの文学フリマ京都をのぞいてきた。いつも思うが、若い人が多いので、私みたいな爺さんが行くとやや場違いの感がある(´・_・`)冷やかしだけで買う積もりは無かったのだが、見本誌コーナーで、すとせかい『天狗倶楽部☆フォーエバー:明治奇人奇行…

カフェープランタンで天狗倶楽部と喧嘩した永井荷風

大河ドラマ「いだてん」に押川春浪らの天狗倶楽部の面々が登場し、話題になっているらしい。テレビを持ってないので、どんな感じなのか分からないがバンカラの雰囲気はうまく出ているだろうか。天狗倶楽部については、「押川春浪率いる天狗倶楽部が立てた天狗塚…

監獄部屋(タコ部屋)撲滅運動家だった中山忠直

『近代日本社会運動史人物大事典』には名前の出てこない中山忠直だが、本人によると監獄部屋(タコ部屋)撲滅運動に尽力したという。『日本に適する政治』(中山忠直、昭和15年11月)によると、 明治から大正十年頃まで、北海道や樺太に監獄部屋とて、人夫を…

微苦笑の人久米正雄とモダーン・ガールの人北澤秀一

長野まで行かなくても、薄井秀一=北澤秀一に関して幾つかの発見があった。東京朝日新聞とは別の死亡広告に、親戚総代として、北澤新作、清水金右衛門、西澤豊三郎、薄井登一郎の名前があった。北澤側の資料から「薄井」が出てきたことになる。あと、東京朝…

久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の友人北澤秀一(その3)

6 北澤秀一としての活躍薄井秀一は大正11年には帰国したと思われる。阿部の日記に、 大正11年4月13日 六時約に従つてライオンに北澤(薄井)小宮をたづね帰つたあとで一人で銀座を散歩して帰宅 とある。実は、この「北澤(薄井)」という記述で、北澤秀一と…

消えた大西小生

薄井秀一=北澤秀一はちと一休み。昔々大西小生という人がいた。いや、今もいるはずだが、主宰していたホームページ「新「アリス」訳解」は2009年以来消滅したままである。小谷野敦『リアリズムの擁護 近現代文学論集』(新曜社、2008年3月)所収の「岡田美…

久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の友人北澤秀一(その2)

1 生年 薄井の生年は不明だが、 ・松崎天民『人間見物』(騒人社書局、昭和2年11月)に北澤秀一は明治11年生まれの天民より若いとある*1 ・米窪太刀雄『海のロマンス』(誠文堂書店・中興館書店、大正3年2月)の「はしがき」で、明治14年生まれの米窪は薄井…

久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の友人北澤秀一(その1)

久米正雄は昭和2年7月第一高等学校以来の親友芥川龍之介を失った。従来知られていないことだが、久米は翌月にも友人を失っている。日本で「モダーン・ガール」という言葉を最初に使った北澤秀一である。北澤の死については、故菅聡子先生が『セクシュアリ…

横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』(ピラールプレス)を編集した川村伸秀の悲しみ

『本の窓』5月号の「私の編集した本」で、川村伸秀氏が横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』について書いている。 柳田(泉)の研究を正統派とするなら、本書は異端の小説研究と位置づけることができる。僕の頭のなかで二つは表裏一体だった。今回、漸くも…

横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』(ピラールプレス)刊行記念トークイベント(横田順彌氏×長山靖生氏×北原尚彦氏)

本書の編集者である司会の川村伸秀氏*1の、「今日この前に黒岩比佐子さん関係のイベントがありましたが、生きておられればこのトークに参加されていたはずです」との挨拶に心の中で泣いた。ヨコジュンさん、長山靖生氏、北原尚彦氏、お疲れさまでした。あり…

横田順彌・黒岩比佐子関連イベント

なんとまあ、今月22日の横田順彌『近代日本奇想小説史』(ピラールプレス)刊行記念トークイベントには、ヨコジュンさん御本人も来場との追加情報が(http://www.tokyodoshoten.co.jp/)。ヨコジュンさんと黒岩さんについては、昨年12月7日参照。 横田順彌『近…

横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』資料展が東京古書会館で

ピラールプレスの「ホームページ」を見てたら、横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』刊行記念のトークイベント「横田順彌と奇想小説の世界」(長山靖生氏×北原尚彦氏)がある1月22日とその前日の21日に、東京古書会館で資料展もあるらしい。黒岩さんも、生…

横田順彌『近代日本奇想小説史』(ピラールプレス)刊行記念トークイベントと追悼・黒岩比佐子さんDVD上映会

東京堂書店で、ヨコジュンさんの『近代日本奇想小説史』(ピラールプレス、2011年1月)の刊行記念トークイベントがある。ヨコジュンさん本人は出られないようだが、楽しみ。←ヨコジュンさん本人も出席との追加情報あり。 『近代日本奇想小説史』(ピラールプレ…

横田順彌 『近代日本奇想小説史 明治篇』が来年1月ピラールプレスから刊行

「匿名」氏のコメント(10月20日参照)で教えていただいたのだが、ヨコジュンさんが『SFマガジン』で連載し休載中の「近代日本奇想小説史 または、失われたナンジャモンジャをもとめて」が、来年1月ピラールプレスから刊行されるようだ→http://www.pilar-…

横田順彌と遠藤無水『社会主義者になった漱石の猫』

黒岩比佐子さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)に売文社分裂事件の経緯を書いたパロディ本として登場する遠藤無水『社会主義者になった漱石の猫』。私がこの本の存在を初めて知ったのは、ヨコジュンさんの『日本SFこてん…

直木三十五を読む横田順彌と會津信吾

筒井康隆氏が、「直木三十五なんて、誰か読んだ?」と揶揄する直木*1だが、横田順彌氏や會津信吾氏は読んでいるのであった。『新・日本SFこてん古典』(徳間文庫、昭和63年8月) の「第四講 意外な作家、意外なSF」で、村田春樹名義の未来戦記『太平洋戦…

紅葉門下篠原嶺葉の末路

黒岩比佐子さんの『古書の森 逍遙』で書籍コード083は、篠原嶺葉『家庭小説 新不如帰』(大学館、明治39年8月初版、40年4月6版)。嶺葉については、ヨコジュンさんも「近代日本奇想小説史 または、失われたナンジャモンジャを求めて」の「第68回 奇想小説の…

中山忠直の父中山忠愛=中山忠也だった

浦西和彦編著『石川近代文学事典』の中山忠直の項に、「父の中山忠也は漢方医学者」とあって、ヨコジュンさんは父は小学校教師の中山忠愛としているので、この項を書いた浦西氏は間違いが多いなあと思ってしまった*1。しかし、よくよく調べると中山忠愛=中…

『近世科学の宝船』の著者高田徳佐は、マッド・サイエンティスト・ライターだったか?

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード163は高田徳佐『子供達へのプレゼント 近世科学の宝船』(慶文社、大正14年2月初版、3月6刷)。黒岩さんのブログへのコメントには「ヨコジュンさんが紹介しているかは思い当たりません(かねてから、ヨコジュンさん…

松崎天民と薄井秀一=北澤秀一

ヨコジュンさんは、どうされておられるだろうか。『明治時代は謎だらけ』であげておられる薄井秀一に関する情報のほかにも、別史料を発見。 松崎天民『人間世間』(磯部甲陽堂、大正4年10月。復刻・クレス出版)に、 国民新聞八王子支局長で、俺の友人である…

肉食系女子本荘幽蘭に食われた堀岡良吉

武林無想庵が、『サニン』の翻訳をするため、比叡山教王院に籠っていた大正4年。この時、宿坊である社会主義者と出会っている。名前を堀岡良吉といったらしいが、あの本荘幽蘭と関係のある男だった。『むさうあん物語40』によると、 二十四の明大生時代、年…

教育講談師本荘幽蘭と妹尾義郎

本荘幽蘭については猫猫先生もどこか*1で詳しいことを知りたいと書いていたと思うが、既にヨコジュンさんが無き『日本及日本人』*2の「明治快人伝 早く生まれすぎた女傑 本荘幽蘭−抄伝−」で連載したところである(ただし、単行本未収録)。そこで知ったのだ…

吉岡信敬彌次将軍の独男宣言

早稲田の吉岡信敬彌次将軍は独男だったらしい。『主婦之友』昭和4年5月号の「独身生活者の座談会」によると、同年3月13日帝国ホテルで開催された座談会に、埴原久和代、河崎夏子、高畠華宵、矢崎千代二、藤井達吉、森律子とともに吉岡が出席して、次のように…

謎の樋口二葉

樋口二葉というふざけたような名前の作家がいた。ヨコジュンさんの「樋口一葉のSF童話」『古書ワンダーランド2』は、某古書店の目録に樋口一葉『理科新お伽』(晴光館書店、明治42年12月)を見付け、一葉のおとぎ話かと思い注文したら、二葉の誤植だった…

ムー大陸と横田順彌

奥泉光『神器―軍艦「橿原」殺人事件』には、天津教もどきの皇祖神霊教やムー大陸が出てくるらしい。ムー大陸については、ヨコジュンさんの「恐怖病」*1にも登場しているが、これが興味深い。明治39年12月23日に、村上濁浪が幸田露伴の家に赴くと、ミュー大陸…

ここにも薄井秀一が出てきた。

朝倉文夫の日記は存在するはず*1だが、公刊されてはいない。その一日分だけでもトンデモなく面白い記述がある。『美術週報』2巻7号(大正3年11月15日)所収の朝倉の「一日一日記」によると、 十一月三日(火) 海のローマンスの著者から依頼された「海と人」…

亡くなる直前の吉岡信敬彌次将軍

晩年の吉岡信敬の状況はよくわかっていないが、徳田秋聲の日記にそれらしい人が出てくる。 昭和15年1月25日 「病院船」といふ赤十字の看護班の一婦人大嶽康子の記録が「女子文苑」で発行され、既に二十万部が売れたといふので出版記念会が東京会館で催され、…

奇絶、怪絶、又壮絶!戦時下の天狗倶楽部

ヨコジュンさんは、『[天狗倶楽部]快傑伝 元気と正義の男たち』(朝日ソノラマ、1993年8月)で、天狗倶楽部について、次のように書いている。 [天狗倶楽部]は、昭和初期まで名前は残っていたようだが、その最盛期は明治末から大正初期で、メンバーは大正四年…

 エヂソンバンド効果あり!

「エヂソンバンド」なる健康器具を坪内逍遥が使っていたことは、一昨年12月27日に言及した。 もう一人使用者を発見したので、報告しておこう。ヨコジュンさん、喜んでくれるかしら。 『青野季吉日記』がそれだが、 昭和14年8月12日 ○夜、姉見舞。姉快活なり…