神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

高島米峰山脈

日本一かと思うほど、あちゅ〜い。 百年ほど前の日本も暑かったようで、大正3年8月13日、高島米峰主催の忘暑会が、神田淡路町多賀羅亭で開かれた。 高島米峰「広長舌荘放言」『新仏教』15巻9号(大正3年9月)によると、 平井君だけは、菜食実験中とあつて、…

 投書雑誌『文庫』の投書家群像

明治28年8月に創刊された投書雑誌『文庫』に、中山太郎が投書していたことは、7月7日に言及したところである。 同誌には、他にも後に著名人となる人達が投稿していた。 40巻3号(明治42年3月1日)の桜沢如一「雪鳥」は、あの桜沢の処女作ではなかろうか。 ま…

藤澤親雄と三浦関造

藤澤親雄「「すめら世界」興国の理論」(『実業之世界』39巻4号、昭和17年4月)で面白発見。本論は、いつもの太古秘史(名前は伏せているが、竹内文献のこと)、契丹古伝、九鬼古文献やチャーチワード大佐の「ミユ大陸論」の話だが、 上海に於て皇道宣布に活…

三人(?)の斎藤忠

『猫を償うに猫をもってせよ』所収の「二人の松井みどり」に、同名異人の人たちが国会図書館のOPACで混同されている例として、松井みどりや斎藤勇が挙がっていた。OPACで斎藤忠(1957−)を見てたら、ここにも混同されている例があるようだ。『斎藤忠著作選集…

 中尾弘明と岡田道一

花火大会に行かず(笑)、しこしこと調べた。 戦前学校衛生に関する著作などを有する医師岡田道一は、戦後は心霊治療に関する著作を幾つか刊行している。そのうち『心霊療法』(ひろば書房*1、昭和30年11月)によると、 この療法は昔から手のひら療法(江口…

 中田邦造と折口信夫(その2)

昭和20年8月15日のその日、日比谷図書館長中田邦造が折口信夫邸にいたことは、6月21日に言及した(7月18日も参照)。それに関する記述が「秋岡日誌」(『秋岡梧郎著作集』)に出ていたので補足。秋岡は日比谷図書館で管理掛長をしていた人物。 昭和20年7月23…

 創刊号コレクター台北帝国大学附属図書館司書裏川大無

中村忠行「書かでもの記」(『山邊道』20号、昭和51年3月)によると、 この様な雰囲気に、吾々も多分に影響された。そして、文化祭の折に、文藝部主催で、明治・大正・昭和の文藝雑誌展を開いた。出品の大部分は、大学の附属図書館に司書をされてゐた裏川大…

 民族研究所の設立メンバー

昭和17年5月19日 民族研究所設立準備委員任命。小山栄三・大川周明・永井柳太郎・岡正雄・古野清人ら 8月20日 民族研究所の外郭団体財団法人民族学協会設立。常任理事古野清人、理事大川周明・高田保馬・中山正善(天理教二代目真柱)・岡正雄・小山栄三ら …

 幻の内閣情報部婦人情報官

佐藤卓己先生の論文に面白ネタ。「連続する情報戦争「十五年戦争」を超える視点」(『岩波講座 アジア・太平洋戦争 第3巻』)によると、朝日新聞昭和14年7月10日の「女性の声」欄で、藤田たき(津田英学塾教授、戦後学長)が内閣情報部に「婦人情報官の任命…

尾崎紅葉に化けた山崎増造

岩波文庫の『明治文学回想集』の索引を見てたら、奇人、山田一郎の名前を発見。早速上巻の市島春城「明治文学初期の追憶」(『早稲田文学』大正14年7月)を見る。 この亭のお福という娘が大の紅葉崇拝で、山人の小説といえば、ナンデモ精読している。私の亡…

中田邦造と横山重

日比谷図書館長中田邦造による図書買上げ事業で、反町茂雄が購入書籍の評価を担当したことは、反町の「猛火の下の古書を救った人」(『日本の古典籍』所収)に詳しい。その中に、昭和20年3月中旬から4月10日までに購入した主な大口の文庫の名と買入れ価格が…

 中田邦造と民間伝承の会

日本民俗学会の前身である民間伝承の会。昭和10年9月3日に初会合が開かれ、同月18日機関誌『民間伝承』創刊。 同誌4巻7号(昭和14年4月1日)の「会員だより」に「石川県 中田邦造*1」からのたよりとして、 一昨年お世話になりました町村誌編纂講習会の講義刊…

もう一人の少年も見た日比谷焼打ち事件

黒岩さんの講演が、30日に開催される。「一九〇五年、戒厳令下の東京」(夏の文学教室「「東京」をめぐる物語 Part 2」)がそれ。女史の『日露戦争勝利のあとの誤算』で、麻布中学三年生だった小林俊三(後に、弁護士、最高裁判事)の日比谷焼打ち事件目撃談…

 中田邦造と沖縄文庫

6月21日に言及した折口信夫と日比谷図書館長中田邦造による沖縄文献収集について、補足しておこう。 朝日新聞昭和20年8月2日に、「永遠に生く沖縄文化/伝承に民俗学者起つ/関係書籍や音盤を蒐集」との見出しで、「戦後の沖縄文化再建の日まで沖縄に代つて…

市河彦太郎と南洋経済懇談会

市河彦太郎の名前を『昭和・アジア主義の実像 帝国日本と台湾・「南洋」・「南支那」』(ミネルヴァ書房、2007年12月)で発見。同書所収の河原林直人「南洋協会と南進政策 南洋経済懇談会に観る利害関係」で、1939年9月14日〜17日開催の南洋協会主催「南洋経…

毛利宮彦と陸軍予科士官学校図書

青木茂『書痴、戦時下の美術書を読む』(平凡社、2006年8月)の次の一節にビビビ。 もひとつ忘れぬうちに。私のところにある清方の随筆選集第三巻*1は陸軍予科士官学校図書の印が捺してある。昭和十八年にこの学校で司書の仕事をしていて職業軍人養成には有…

 限定私家版『細雪』の行方を追え!(その3)

3人目は古川緑波。『古川ロッパ昭和日記』によると、 昭和19年9月20日 昨夜からの「細雪」耽読、食ひものゝ出てくるところが、たまらない。(略) 「細雪」読む了った、やっぱり、いゝものだった、香気の高い果物、チーズスーフレのやうな味。谷崎先生への…

 柳田國男と「偽史」関係者織田善雄

大塚英志氏は、『偽史としての民俗学』で柳田國男の『炭焼日記』に織田善雄なる「偽史」関係者が出てくることを紹介している。 (昭和十九年) 三月一日 水よう 午後曇 散歩を見合せる。 名古屋の織田善雄君より漬物一桶鉄道便にて。その織田君やがて訪来る…

内田貢を知らないか

斎藤忠編著『書簡等からみた史学・考古学の先覚』(雄山閣出版、1998年1月)で、斎藤は、坪井正五郎の「牛込区東五軒町五十四 内田貢」宛書簡(年不明2月23日付け)について、「内田貢という人物については明らかでないが、当時出版事業に関係しており、坪井…

 楢崎皐月の経歴

『大衆人事録』(大衆信用録にあらず)の昭和17年発行分は本当に優れもの。楢崎皐月が出ていた。 楢崎皐月 日本高振電気興業専務 大日本炭油工業(株)取締 淀橋区下落合一ノ五二七 [閲歴]北海道軍次の二男明治卅二年五月九日札幌市に生れ楢崎寛直の養子とな…

限定私家版『細雪』の行方を追え!(その2)

出久根達郎「続・作家の値段」によると、谷崎潤一郎の限定私家版『細雪』上巻の相場は、「署名入りで二十万から二十五万円。署名なしだと、十五万から十八万円かな」という*1。さて、この限定私家版の昭和19年刊行時の寄贈先について。川端康成の日記による…

国民総力朝鮮連盟文化部委員荻山秀雄

『年報日本現代史第7号 戦時下の宣伝と文化』(2001年5月)所収の宮本正明「戦時期朝鮮における「文化」問題−国民総力朝鮮連盟文化部をめぐって−」を見てたら、昭和15年12月に設置された連盟文化部の委員の中に、荻山秀雄の名前があった。 - 『アエラ』にグ…

限定私家版『細雪』の行方を追え!(その1)

小谷野敦『谷崎潤一郎伝』によると、昭和19年7月に発行された限定私家版『細雪』上巻は、宇野浩二、永井荷風、土屋計左右、渋沢秀雄、志賀直哉、舟橋聖一らに恵贈されている。この他に、木下杢太郎にも贈られていたことは、昨年1月15日に言及したところであ…

谷崎潤一郎と松本正雄

『みすず』7月号の田中眞澄「ふるほん行脚」は、第55回「丘を越え東松原−駒場東大前篇」。駒場東大前駅側の河野書店にて松本正雄『過去と記憶−ファシズムと闘った人びと』を百円で拾っている。そして、「この松本が左傾以前に佐藤春夫や谷崎潤一郎の門に出…

中山太郎の出てくる小説

島本久恵『花と松柏』に中山太郎が出てきた。 そしてなお納得の行くように、日露戦後の不況からの成行きで、河井*1、窪田(空穂)、中山(丙子)その他を手始めに羽仁編集長も罷免、間もなく新聞も消えて行ったあらましを言い、 「ところで僕は詩、窪田は歌…

東京朝日新聞の挿絵画家名取春仙

小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』所収の「児童文学をめぐって」に、明治40年朝日新聞の嘱託となり、2年後に正式入社した挿絵画家名取春仙が出てくる。名取が東京朝日新聞で挿絵を書いた連載小説は、小谷野氏が挙げているもののほか、谷崎潤一郎「鬼の面…

幻のリブロポートのシリーズ民間日本学者

予告されたが、結局出なかったリブロポートのシリーズ民間日本学者のうち、読みたかったもの。 梅原北明(阿奈井文彦) 松岡静雄(鶴見良行) 石川淳(田中優子) 宮本常一(左方郁子) 岡田虎二郎(津村喬) 西村伊作(上笙一郎) 狩野亨吉(鈴木正) 他社…

『没収指定図書総目録』で楽しむ

西尾幹二『GHQ焚書図書開封 米占領軍に消された戦前の日本』(徳間書店)。タイトルから予想した内容にかかわる部分が、目次をみると第1章だけと思い、読みもせずに、「買わない方がいいかも」と言ってしまった。 しかし、パラパラ見てみると、多少面白いこ…

 中野三敏先生の「変たいの会」

『図書』7月号の中野三敏「和本教室」第2回「変体仮名のすすめ」によると、 筆者が大学教官の頃、研究室では必ず大学院生から新入生までひっくるめて「変体がなを読む会」という企てを続けていた。略称「変たいの会」、授業の合い間の手抜き仕事ですぐに上…

四方田犬彦の百冊目の著作書物

四方田犬彦の百冊目の著作書物は、実際には『四方田犬彦の引越し人生』とのことだが、当初の予定とは異なるようだ。 『WB』の連載「星とともに走る」第4回「四方田の7戒」によると、 ところが今年になって、わたしもまた100冊目の本を出すことになってし…