神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

内田貢を知らないか


斎藤忠編著『書簡等からみた史学・考古学の先覚』(雄山閣出版、1998年1月)で、斎藤は、坪井正五郎の「牛込区東五軒町五十四 内田貢」宛書簡(年不明2月23日付け)について、「内田貢という人物については明らかでないが、当時出版事業に関係しており、坪井とは親交があったようである。書簡の内容は、『人種字引』という本の出版のことらしい」と解説している。


考古学者の斎藤が内田魯庵(本名・貢)を知らなくても止むを得ないが、編集者は気付かないものだろうか。
魯庵の年譜によると、明治34年9月に丸善の書籍部顧問として入社し『学の燈』(後に『学燈』更に『学鐙』『GAKUTO』と改称)の編輯を兼ねる。同年に牛込区東五軒町五十四に転居し、翌年同区砂土原町三丁目八に転居。これにより、前記書簡は明治35年2月23日付けと推定できる。


内田について、市島春城の日記に面白い記述があるので、併せて紹介。

明治42年8月21日 内田貢来り、図書館雑誌丸善の関係につき云々す。


図書館雑誌丸善の関係」とはなんぞや。


注:タイトルは、「直良信夫を知らないか」(小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社))のパクリ。


追記:内田の年譜の明治40年10月の欄に、「『図書館雑誌』が創刊され(早大図書館内日本文庫協会、翌年日本図書館協会と改称)、特別会員(翌年より編輯委員)となった」とある。

                                                                        • -


日経を見てたら、新なにわ塾叢書『「プガジャ」の時代』(ブレーンセンター)がいつのまにか出てたみたい。3月発行予定(昨年10月12日参照)から少し遅れたようだ。

                                                                        • -


江原絢子・東四柳祥子『近代料理書の世界』(ドメス出版)刊行。勿論、黒岩さんの弦斎本が参考文献として出ていた。