神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

スメラ学塾

東大の博士論文に「神保町系オタオタ日記」登場ーー鈴木聖子『「科学」としての日本音楽研究』にスメラ学塾ーー

国会図書館デジタルコレクションで全文検索の対象範囲が飛躍的に拡大され、研究環境に革命が起きたようだ。例えば、「神保町系オタオタ日記」で検索すると、鈴木聖子氏の博士論文『「科学」としての日本音楽研究:田辺尚雄の雅楽研究と日本音楽史の構築』(東京…

大塚英志『大東亜共栄圏のクールジャパン』(集英社新書)にスメラ学塾

大塚英志『大東亜共栄圏のクールジャパン:「協働」する文化工作』(集英社、令和4年3月)にスメラ学塾が出てくる。「第四章 大東亜共栄圏とユビキタス的情報空間ーーアニメ『桃太郎 海の神兵』と柳田國男」の「四 スメル文化圏と南方言説」である。 (略)「スメラ…

天才的頭脳の仲小路彰も騙された源義経=ジンギスカン説ーー天神さんの古本まつりで入手した『成吉思汗戦史』(戦争文化研究所)からーー

天神さんの古本まつりも本日で終了した。いつものことながら、特に100円均一台が素晴らしかった。今回は、駱駝堂から300円で買った仲小路彰『成吉思汗戦史』(戦争文化研究所発行・世界創造社発売、昭和14年3月)を紹介しよう。「世界興廃大戦史」シリーズの東洋…

昭和17年民族学者杉浦健一が佐藤生活館で南方派遣者(?)向けの講演会ーースメラ学塾の南方指導者講座との関係ーー

山路勝彦編著『日本の人類学:植民地主義、異文化研究、学術調査の歴史』(関西学院大学出版会、平成23年8月)に、民族学者で元南洋庁嘱託の杉浦健一が昭和17年7月3日佐藤生活館で行った講演(民族学よりする原住民に対する対策)の原稿が翻刻されている。同館に…

高木彰彦『日本における地政学の受容と展開』(九州大学出版会)に藤澤親雄とスメラ学塾

藤澤親雄が大正14年日本において最初に地政学を紹介したと、「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その16) - 神保町系オタオタ日記」で言及したところである。ところが、高木彰彦『日本における地政学の受容と展開』(九州大学出版会、令和2年3月)の「第…

岡本拓司『近代日本の科学論』(名古屋大学出版会)で見るスメラ学塾仲小路彰の皇道科学論ーー小島威彦、藤澤親雄、深尾重光らの科学論もーー

様々な分野の研究者がスメラ学塾の関係者に言及するようになったこの頃である。岡本拓司『近代日本の科学論:明治維新から敗戦まで』(名古屋大学出版会、令和3年2月)にも、「スメラ学塾」という言葉は出てこないが、スメラ学塾を率いた仲小路彰、小島威彦やメ…

国民精神文化研究所所員小島威彦の噂話をする住谷悦治

同志社大学人文科学研究所から『住谷悦治日記 一九三三(昭和八)年』(令和2年5月)が刊行された。滝川事件が起きたこの年は、同志社大学教授だった住谷がある青年に金を貸したことにより共産党との関係を疑われ、検挙され辞職する重要な年である。大正3年から…

昭和17年アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展を観た人達ーー高良とみの長女や『情報と謀略』の春日井邦夫氏も観ていたーー

高良真木著・高良留美子編『戦争期少女日記 自由学園・自由画教育・中島飛行機』(教育史料出版会、令和2年2月)に、アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展が出てくる。 (昭和十七年) 九月二十四日(木) (略) 午後から、レオナルド・ダ・ヴィンチ展に一人で行っ…

昆野伸幸『近代日本の国体論:〈皇国史観〉再考』(ぺりかん社)への補足ーースメラ学塾第4期は昭和16年開講ーー

昭和15年に始まったスメラ学塾講座は、少なくとも第5期まで開講された。第4期分までは、『スメラ学塾講座』第1期~第4期(世界創造社)として刊行されている。人気沸騰中(?)で、「日本の古本屋」出品分は、すべて売り切れである。開講期間、開催場所、参加人数…

石井妙子『原節子の真実』(新潮社)への補足ーースメラ学塾は昭和19年2月23日に解散ーー

藤澤親雄を学生時代から追いかけていて、修士論文も藤澤というビックラちょの人が、世の中にはいるらしい。そのうち、スメラ学塾についても修士論文や博士論文を書きましたという人が現れるかもしれない。もっとも、一次史料や新知見を見つけるのは、難しそ…

中公新書に「ムー大陸」登場ーー戸部良一『外務省革新派:世界新秩序の幻影』への補足ーー

外務省革新派の中心人物だった白鳥敏夫には多少関心があるので、戸部良一『外務省革新派:世界新秩序の幻影』(中公新書、平成22年6月)は前から気にはなっていた。しかし、読まないまま10年以上経ってしまった。ところが、小澤実編『近代日本の偽史言説:歴史…

満洲の唐木順三とスメラ学の前波仲尾

古田晁と臼井吉見とともに昭和15年筑摩書房を創業した唐木順三の評伝である澤村修治『唐木順三ーーあめつちとともにーー』が、昨年ミネルヴァ書房から刊行された。読んでみると、トンデモネタがあって驚き。唐木は、昭和5年5月三木清の斡旋で満洲教育専門学…

芳賀徹の父芳賀幸四郎と小島威彦

小島威彦『百年目にあけた玉手箱』は、人名索引があればもっと活用されるだろう。さりげない記述の中にびっくらちょの人物が隠れていた。2巻(創樹社、平成7年1月)140頁の次の一節。 僕は弟の重正の来春に迫った受験が気になって、たまたま高等師範の秀才で共…

小島威彦の第五高等学校時代の同級生群像

小島威彦は、明治36年に現在の神戸市灘区に生まれ、西灘小学校→御影師範附属小学校→海城中学校→第五高等学校→東大文学部(中退)→京大文学部へと進学している。小島と第五高等学校文科甲三ノ組で同級生だった永松定の日記については「小島威彦をしきりに気にす…

小島威彦をしきりに気にする『風車』同人の相良次郎

永松定『二十歳の日記』(河出書房新社、昭和35年6月)に小島威彦が出てくる。 (昭和五年)七月五日 (略) ヴァーニジア・ウルフの本が、三省堂に来ていることをきく。相良、早まった結婚生活に少しあきたらぬようすで、「風車」をやっている連中のことや、小島(…

戦時下のユダヤ研究会と丸山敏雄の日記

久しぶりに驚愕の日記を発見。『丸山敏雄全集』日記篇(社団法人倫理研究所)だが、この日記が凄い。増田正雄のユダヤ研究会、田多井四郎治のウエツブミ研究会、契丹古伝などがボンボン出てくる。未知のトンデモ本にも言及されていてたまげました。とりあえず…

浪江虔の弟板谷敞もアジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会を見ていた

昭和17年上野で開催されたアジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会については、「まだまだあったスメラ学塾関係論文」などで紹介したところである。私の調査により天羽英二、大蔵公望、斎藤茂吉、高松宮、中野重治が観覧したことが判明しているが、『浪江…

伊藤隆先生がスメラ学塾に言及していた

グーグルブックスで発見したのだが、伊藤隆『昭和十年代史断章』(東京大学出版会、1981年9月)でスメラ学塾に言及していた。『矢部貞治日記』銀杏の巻から昭和16年9月1日の条の次の一節を引用している。 末次大将は、この二三日中に東亜建設同志会の会長を辞…

『国史研究室通信』26号(終刊号?)(京都帝国大学文学部国史研究室、昭和17年2月)に吉田三郎が

これまた、三密堂の100円均一台で拾った3冊の『国史研究室通信』のうちの1冊。非売品、35頁。さすがに南部や西部の古書会館でもこれは落ちてないだろう。 本誌は、昭和6年12月創刊で11年に休刊、15年7月に再興して24号を発行。京大文学研究科図書館が創刊号…

佐藤卓己「「メディア流言」の時代」第四回「二・二六事件の『流言蜚語』と太古秘史のデモクラシー」

佐藤先生の『考える人』連載「「メディア流言」の時代」は終了したが、第四回(同誌2014年秋号)に偽史ネタが。 発禁になった中山忠直『我が日本学』(上田屋書店、1939年)や藤沢親雄、更には森田朋子論文「スメラ学塾をめぐる知識人達の軌跡ーー太平洋戦争…

SF作家半村良とムー大陸

仲小路彰がムー大陸を紹介した『上代太平洋圏』(世界創造社、昭和17年5月)を私が知ったのは、藤野七穂「偽史と野望の陥没大陸“ムー大陸“の伝播と日本的受容」『歴史を変えた偽書 大事件に影響を与えた裏文書たち』(ジャパン・ミックス、平成8年6月)と思…

神保町系オタオタ日記に言及した論文

竹内孝治・小川英明「戦時期における哲学者・小島威彦の著作および出版活動とスメラ学塾 坂倉準三とその協働者・小島威彦の日本世界主義思想に関する研究(その1)」『造形学研究所所報』7号(愛知産業大学造形学研究所、2011年)の注で、拙ブログに言及いた…

海城が生んだ怪人と快人

スメラ学塾を創設した小島威彦は、海城中学校出身者だった。小島の自伝『百年目にあけた玉手箱』第一巻によると、 僕の通う海城中学は日露戦争の頃では、海軍の予備門のような学校だったが、日比谷公園の裏に府立一中と並んで、徳川期の大名屋敷の門をそのま…

トンデモだった戦争文化研究所と『戦争文化』

昭和14年3月『戦争文化』が創刊された。編輯兼発行人は麹町区有楽町一ノ四 戦争文化研究所 今藤茂樹。発行所は戦争文化研究所、発売は京橋区銀座西五ノ五菊地ビル内 世界創造社。創刊号の目次は、 グラビア特輯 撮影 深尾重光 日本を繞る世界戦争問題 戦争文…

スメラ学塾対真崎甚三郎

真崎甚三郎の日記にスメラ学塾が出てきた。 昭和16年2月13日 小川冷光、竹内武夫十二時突然来訪、竹内氏上京に付挨拶の為なり。小川氏の談によればすめら塾の徒は名古屋に於て予が池田に脈絡ある如く宣伝しつゝありとて、末次の変質を憤り居れり。 「末次」…

海軍少将小島秀雄

相良守峯の自伝『茫々わが歳月』に、戦後の日独協会創立に関する記述がある。 昭和二十七年 翌る七月四日、戦前にあった日独協会および日独文化協会の両者とも戦争のため立消えとなったので、両者の機能を一つにしたものを作ろうという議が起こり、今日その…

秘められたフランス時代の岡本太郎

猫も杓子も岡本太郎という感じになってきたが、わしも岡本太郎ネタでいこう。 岡本は、昭和5年から15年にかけてフランスに滞在したが、外国人の画家や作家などとの交流については、回想を書いているが、日本人との交流については、ほとんど書いていない。そ…

『筑摩書房の三十年』(和田芳恵)と『筑摩書房それからの四十年』(永江朗)

小谷野敦『現代文学論争』を刊行した筑摩選書から、3月16日に、『筑摩書房の三十年 1940-1970』(和田芳恵)の復刊と、『筑摩書房それからの四十年 1970-2010』(永江朗)の新刊が刊行されるという。昭和15年創業の筑摩書房の前史として、唐木順三とスメラ学…

クラブシュメール(スメラクラブ)が軽井沢でサイクリング

「スメラ」ネタをあちこちで見かけるよき時代になってきました。昨年展覧会のあった坂倉準三展の図録を書籍にした『建築家 坂倉準三 モダニズムを生きる 人間、都市、空間』の60頁には、「日本工芸文化連盟、スメラクラブ」との見出しの記事が載っている。 …

篠沢秀夫とスメラ学塾、なんちゃって

難病と闘っておられる篠沢秀夫氏とスメラ学塾とちょっこし関係があった、というのは嘘なのだが、スメラ学塾の小島威彦の長男と篠沢氏は、学習院で同級生だったようだ。丸山熊雄『一九三〇年代のパリと私』によると、 僕がパリへ帰ってきた時には、小島は日本…