神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

スメラ学塾

満洲の唐木順三とスメラ学の前波仲尾

古田晁と臼井吉見とともに昭和15年筑摩書房を創業した唐木順三の評伝である澤村修治『唐木順三ーーあめつちとともにーー』が、昨年ミネルヴァ書房から刊行された。読んでみると、トンデモネタがあって驚き。唐木は、昭和5年5月三木清の斡旋で満洲教育専門学…

芳賀徹の父芳賀幸四郎と小島威彦

小島威彦『百年目にあけた玉手箱』は、人名索引があればもっと活用されるだろう。さりげない記述の中にびっくらちょの人物が隠れていた。2巻(創樹社、平成7年1月)140頁の次の一節。 僕は弟の重正の来春に迫った受験が気になって、たまたま高等師範の秀才で共…

小島威彦の第五高等学校時代の同級生群像

小島威彦は、明治36年に現在の神戸市灘区に生まれ、西灘小学校→御影師範附属小学校→海城中学校→第五高等学校→東大文学部(中退)→京大文学部へと進学している。小島と第五高等学校文科甲三ノ組で同級生だった永松定の日記については「小島威彦をしきりに気にす…

小島威彦をしきりに気にする『風車』同人の相良次郎

永松定『二十歳の日記』(河出書房新社、昭和35年6月)に小島威彦が出てくる。 (昭和五年)七月五日 (略) ヴァーニジア・ウルフの本が、三省堂に来ていることをきく。相良、早まった結婚生活に少しあきたらぬようすで、「風車」をやっている連中のことや、小島(…

戦時下のユダヤ研究会と丸山敏雄の日記

久しぶりに驚愕の日記を発見。『丸山敏雄全集』日記篇(社団法人倫理研究所)だが、この日記が凄い。増田正雄のユダヤ研究会、田多井四郎治のウエツブミ研究会、契丹古伝などがボンボン出てくる。未知のトンデモ本にも言及されていてたまげました。とりあえず…

浪江虔の弟板谷敞もアジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会を見ていた

昭和17年上野で開催されたアジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会については、「まだまだあったスメラ学塾関係論文」などで紹介したところである。私の調査により天羽英二、大蔵公望、斎藤茂吉、高松宮、中野重治が観覧したことが判明しているが、『浪江…

伊藤隆先生がスメラ学塾に言及していた

グーグルブックスで発見したのだが、伊藤隆『昭和十年代史断章』(東京大学出版会、1981年9月)でスメラ学塾に言及していた。『矢部貞治日記』銀杏の巻から昭和16年9月1日の条の次の一節を引用している。 末次大将は、この二三日中に東亜建設同志会の会長を辞…

『国史研究室通信』26号(終刊号?)(京都帝国大学文学部国史研究室、昭和17年2月)に吉田三郎が

これまた、三密堂の100円均一台で拾った3冊の『国史研究室通信』のうちの1冊。非売品、35頁。さすがに南部や西部の古書会館でもこれは落ちてないだろう。 本誌は、昭和6年12月創刊で11年に休刊、15年7月に再興して24号を発行。京大文学研究科図書館が創刊号…

佐藤卓己「「メディア流言」の時代」第四回「二・二六事件の『流言蜚語』と太古秘史のデモクラシー」

佐藤先生の『考える人』連載「「メディア流言」の時代」は終了したが、第四回(同誌2014年秋号)に偽史ネタが。 発禁になった中山忠直『我が日本学』(上田屋書店、1939年)や藤沢親雄、更には森田朋子論文「スメラ学塾をめぐる知識人達の軌跡ーー太平洋戦争…

SF作家半村良とムー大陸

仲小路彰がムー大陸を紹介した『上代太平洋圏』(世界創造社、昭和17年5月)を私が知ったのは、藤野七穂「偽史と野望の陥没大陸“ムー大陸“の伝播と日本的受容」『歴史を変えた偽書 大事件に影響を与えた裏文書たち』(ジャパン・ミックス、平成8年6月)と思…

神保町系オタオタ日記に言及した論文

竹内孝治・小川英明「戦時期における哲学者・小島威彦の著作および出版活動とスメラ学塾 坂倉準三とその協働者・小島威彦の日本世界主義思想に関する研究(その1)」『造形学研究所所報』7号(愛知産業大学造形学研究所、2011年)の注で、拙ブログに言及いた…

海城が生んだ怪人と快人

スメラ学塾を創設した小島威彦は、海城中学校出身者だった。小島の自伝『百年目にあけた玉手箱』第一巻によると、 僕の通う海城中学は日露戦争の頃では、海軍の予備門のような学校だったが、日比谷公園の裏に府立一中と並んで、徳川期の大名屋敷の門をそのま…

トンデモだった戦争文化研究所と『戦争文化』

昭和14年3月『戦争文化』が創刊された。編輯兼発行人は麹町区有楽町一ノ四 戦争文化研究所 今藤茂樹。発行所は戦争文化研究所、発売は京橋区銀座西五ノ五菊地ビル内 世界創造社。創刊号の目次は、 グラビア特輯 撮影 深尾重光 日本を繞る世界戦争問題 戦争文…

スメラ学塾対真崎甚三郎

真崎甚三郎の日記にスメラ学塾が出てきた。 昭和16年2月13日 小川冷光、竹内武夫十二時突然来訪、竹内氏上京に付挨拶の為なり。小川氏の談によればすめら塾の徒は名古屋に於て予が池田に脈絡ある如く宣伝しつゝありとて、末次の変質を憤り居れり。 「末次」…

海軍少将小島秀雄

相良守峯の自伝『茫々わが歳月』に、戦後の日独協会創立に関する記述がある。 昭和二十七年 翌る七月四日、戦前にあった日独協会および日独文化協会の両者とも戦争のため立消えとなったので、両者の機能を一つにしたものを作ろうという議が起こり、今日その…

秘められたフランス時代の岡本太郎

猫も杓子も岡本太郎という感じになってきたが、わしも岡本太郎ネタでいこう。 岡本は、昭和5年から15年にかけてフランスに滞在したが、外国人の画家や作家などとの交流については、回想を書いているが、日本人との交流については、ほとんど書いていない。そ…

『筑摩書房の三十年』(和田芳恵)と『筑摩書房それからの四十年』(永江朗)

小谷野敦『現代文学論争』を刊行した筑摩選書から、3月16日に、『筑摩書房の三十年 1940-1970』(和田芳恵)の復刊と、『筑摩書房それからの四十年 1970-2010』(永江朗)の新刊が刊行されるという。昭和15年創業の筑摩書房の前史として、唐木順三とスメラ学…

クラブシュメール(スメラクラブ)が軽井沢でサイクリング

「スメラ」ネタをあちこちで見かけるよき時代になってきました。昨年展覧会のあった坂倉準三展の図録を書籍にした『建築家 坂倉準三 モダニズムを生きる 人間、都市、空間』の60頁には、「日本工芸文化連盟、スメラクラブ」との見出しの記事が載っている。 …

篠沢秀夫とスメラ学塾、なんちゃって

難病と闘っておられる篠沢秀夫氏とスメラ学塾とちょっこし関係があった、というのは嘘なのだが、スメラ学塾の小島威彦の長男と篠沢氏は、学習院で同級生だったようだ。丸山熊雄『一九三〇年代のパリと私』によると、 僕がパリへ帰ってきた時には、小島は日本…

坂倉準三邸に集まる若き建築家達

生田勉の日記に、坂倉準三が出てきた。 昭和14年11月29日 坂倉準三氏宅にて、忠霊塔懸賞の為、徹夜。本城和彦、丹下健三、浜口隆三、其の他日大の学生二名。愉し。夫人も徹夜いろいろの心づくし。 11月30日 坂倉さん十一時過ぎ円タクで入江君のも一しょに朝…

間宮不二雄と高嶋辰彦の国防研究室

わしの大東亜トンデモ学と誰ぞの大東亜図書館学。両者をつなぐ接点に間宮不二雄なる人がいた。 前田哲人編『間宮不二雄の印象』所収の高島辰彦「間宮さんの思出」によると、 間宮さんとの交友は昭和十三年、四年頃、私が参謀本部の課長で総力国防研究のため…

松尾尊禱先生と『スメラ学塾講座』

松尾尊禱先生は、戦前、県立鳥取第一中学校に在学中、学徒動員により興亜工業という軍需会社に配属されていた。当時の日記が、「戦中工場学徒動員日記」として、『鳥取地域史研究』10号、2008年2月に掲載されている。 昭和20年7月21日 帰宅後、赤飯を持って…

磯崎新先生、わしのブログを見てちょ。

ほよよ、磯崎新先生もスメラ学塾に注目してた。 坂倉準三特集をした『住宅建築』7月号に書かれた「坂倉準三の居場所2」で、1937年4月毎日新聞主催で開かれた仏・日知識人の座談会に坂倉とともに出席した日本人出席者として、当時パリに遊学していた井上清一…

石川公彌子『<弱さ>と<抵抗>の近代国学 戦時下の柳田國男、保田與重郎、折口信夫』とスメラ学塾

今年も出ました、スメラ学塾に言及した文献が。講談社選書メチエの石川公彌子『<弱さ>と<抵抗>の近代国学 戦時下の柳田國男、保田與重郎、折口信夫』がそれ。森田朋子論文*1に依拠している。目新しい内容としては、保田が「言霊私観」でスメラ学塾を批判…

報知新聞社員にして時代小説家だった片岡貢

片岡貢の経歴が判明した。『大衆文学大系29』(講談社、昭和48年9月)所収の時代小説「小栗主従」(初出は『新青年』昭和16年10月号)の著者片岡貢の略歴として、 片岡貢 明治三十六年(一九〇三)十二月一日、静岡市に生まれた。早稲田実業卒。昭和初年に報…

報知新聞南方調査会

片岡貢の南方調査会について、正体が判明した。『全国国家主義団体一覧 昭和16年10月現在』の「興亜団体」の部に「報知新聞南方調査会」の記載がある*1。 報知新聞南方調査会 麹町区有楽町 報知内綱領目的 本会は亜細亜大陸の南部、太平洲・太平洋南方の諸嶋…

志賀直哉が見たシャルロット・ペリアン女史

シャルロット・ペリアン女史により自伝が刊行されていることは、太田泰人「ル・コルビジュジエ、ペリアン、坂倉準三」(『ル・コルビジュジエと日本』鹿島出版会、1999年3月)で言及されており、邦訳が期待されていたところである。この自伝が今般みすず書房…

セルパン・皇国地政学・ムー大陸

第一書房の『セルパン』は昭和6年5月創刊。岡書院の岡茂雄は『本屋風情』で 私はかつて新村出先生からどういう機会にであったか、物の名をつける時は、ラ行音と撥音とを組み合わせると語呂のいいのができるという風なお話を聞き、同業第一書房の月刊誌『セル…

上山草人と共に踊るスメラ学者井上芳郎

井上芳郎。明治21年生まれ、早稲田大学政治経済科専門部中退後、坪内逍遥主宰の文藝協会研究所第二期生となるも、病気で中退(『慶應義塾図書館史』による。2006年7月8日参照)。「資料翻刻文藝協会研究所日誌」*1に、その井上の名前があった。明治43年7月13…

まだまだあったスメラ学塾関係論文

スメラ学塾に言及した論文をまたまた発見! 谷口英理「「アジア復興 レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会」と戦時下の「レオナルド時代」」(『近代画説』12号、平成15年12月)がそれ。「レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会委員会」について、 委員会会長の末次信正…