神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

村井弦斎

読売新聞「異才列伝」に村井弦斎

読売新聞日曜版の連載「異才列伝」は、松本由佳さんによる「村井弦斎」。 戦前の弦斎は、山中で仙人のような生活も試みる。当時は奇人扱いされたが、震災後の今、身をもって「自然へ帰れ」と訴えた彼の生き方には親近感を覚える。「また一つ、予言*1が当たり…

小泉八雲から見た村井弦斎

黒岩比佐子さんに「関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』(恒文社、1999年5月)に村井弦斎のことが出ている」と教えたことがあった。 黒岩さんの感想(2007年7月5日)は、 Hisako 2007/07/05 10:44 先日教えていただいた関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』の…

黒岩比佐子さんと「くうざん先生」と「神保町のオタどん」のセッション

昨日の放送(http://p-man.tv)*1の中で、春陽堂の円本全集に村井弦斎が収録されたという話があったと思うが、それをめぐって、黒岩比佐子さんと「くうざん先生」とわしとで、話題にしたことがある。江見水蔭の春陽堂編集局宛書簡に、「校正で見ますると、私…

昔「三銭均一食道楽おとわ亭」、今「キッチンジロー」(その3)

PsychomPsychoさん(http://twitter.com/PsychomPsycho)が確認してくれた*1 おとわ亭の所在地だが、戦前の地図でも確認できた。『コレクション・モダン13』(ゆまに書房)で復刻された白木正光編『大東京うまいもの食べあるき記』(丸ノ内出版社、昭和8年4…

昔「三銭均一食道楽おとわ亭」、今「キッチンジロー」(その2)

PsychomPsychoさん(http://twitter.com/PsychomPsycho)が、地元民(?)の力を発揮して調べてくれました。ありがとうございました(その1は、昨年12月23日参照)。 @jyunku やはりキッチン・ジローのビルはおとわ亭の跡地でした。ギャラリーはご親族の方…

黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』の瑕瑾

黒岩比佐子さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)をオールタイムベスト10の一冊に選んだことがある(2007年12月8日参照)*1。これは今でも変わっていない。しかし、その名著にも少しだけ誤りがある。一つ目に関しては、2006年7月13日に「『村井弦…

三省堂書店と「おとわ亭」

このブログのカテゴリーのうち、「谷崎潤一郎」は猫猫先生、「図書館」は誰ぞこと書物蔵氏、「カフェー」は林哲夫氏、「催眠術」・「平井金三」はma-tango氏、「中村古峡」は森洋介氏、「森茉莉」はちわみさん向けにもっぱら書いているのだが、「サンカ」は…

昔「三銭均一食道楽おとわ亭」、今「キッチンジロー」

黒岩比佐子さんの「神保町にあった『食道楽』ゆかりの洋食屋−おとわ亭」『神田神保町古書街2009』(毎日新聞社、2008年12月)によると、 2006年秋、おとわ亭のことをすっかり忘れていた私は、何気なく、すずらん通りから三省堂書店と反対側の路地に入った。…

黒岩比佐子さんへの遅すぎた報告

村井弦斎は、晩年一元同化力という霊術に頼った。これを開発したのは中尾弘明だが、その門人水村昌吉については、黒岩比佐子さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』に、 弦斎が一元同化力を知るきっかけになったのが、この水村昌吉という人物である。弦斎の「婦…

黒岩比佐子さんが秘蔵していた弦斎の胃腸薬のパッケージは300円で売っていた

6月20日〜26日東京古書会館で開催された「作家・黒岩比佐子が魅せられた明治の愛しき雑書たち−日露戦争・独歩・弦斎」に展示されていた村井弦斎の開発した胃腸薬のパッケージには、「よくこんなものまで残っていたな」と驚いた人も多いだろう。これについて…

暁烏敏が妻に贈った二冊の本

黒岩比佐子さんの『パンとペン』258-9頁に、『売文集』(丙午出版社、明治45年5月)の「巻頭の飾」に寄稿した62人の一人として、暁烏敏があがっている。この暁鳥の日記を見ると、 明治36年9月25日 房へ『食道楽』『家庭の新風味』を贈る。 10月16日 『食道楽…

大正期に健康法・民間療法書を刊行した伊藤尚賢

黒岩比佐子『パンとペン』342頁に『衛生新報』(衛生新報社発行、新橋堂発売)の発行兼編集人で大正年間に健康法や民間療法の本を多数書いた人物として、伊藤尚賢なる人物が登場する。実は、この人は黒岩さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』にも名前が出てい…

名曲喫茶田澤畫房の店主田澤學二と看板娘田澤千代子

大正末期に神田にあった田澤畫房という喫茶店については、2009年3月10日に言及して、その後店主や看板娘の名前も判明したが、店主の経歴が不明だったので、それっきり記事にしていなかった。私がぽっくりいっても、林哲夫氏なら再発見することも可能だとは思…

有島武郎と村井弦斎のすれ違い

有島武郎と村井弦斎は、もう少しで出会いそうになった機会があった。大正4年5月6日付け武郎の妻安子(相模国平塚 杏雲堂分院内)宛書簡*1によると、 其後熱の具合如何や あれより絃(ママ)斎方を訪れ候処主人殿は未た睡眠中に而代人出来り候間御申聞の旨尋…

022佐瀬得三『続々 当世活人画』(春陽堂、明治33年4月)への補足

引き続き古書の森を逍遙中。 タイトルの022は、『古書の森 逍遙』で紹介されている220冊の本に振られた書籍コード。220冊すべてへの補足はできないが、いくつかの古本について、補足を書いていこう。佐瀬得三については、同書で明治43年4月『報知新聞』に美…

寒い時はタラコン酒をぐいっと

村井弦斎ゆかりのタラコン湯。とうとう三村竹清の日記中にも発見。 大正10年4月9日 午後入谷東運寺へ行く 桂嶺僧都胃腸あしゝときける故 タラコン酒を呈す 予は 近頃これをのミて いと心地よけれは也 村井衒才[ママ]ても利くもの也 まだまだ寒いが、タラコン…

原阿佐緒の恋愛感を決定づけた村井弦斎の小説

黒岩さんも少しずつ元気を回復しつつあるようなので、強烈な弦斎ネタを投入。 原阿佐緒は石原純との関係で知られる美人のようだが、村井弦斎の小説の愛読者だったという。原の伝記小野勝美『原阿佐緒の生涯』によると、明治36年宮城県立高等女学校三年生に進…

村井弦斎に黙祷

村井弦斎の死に言及した日記は見つからないが、石川武美が『主婦之友』昭和2年9月号の「編輯日誌」で言及していた。 7月30日 村井弦斎氏が逝去。「食道楽」の著以来、氏が日本の家庭生活改善のために努力した功績は、偉大なるものである。今日の日本では、こ…

人間グーグルのオタどん、村井弦斎の長女黒田米子を発見!

昨年神奈文で開催された村井弦斎展のパンフ所収の略年譜によると、長女米子は、明治34年11月生ま。大正12年4月に黒田鎮夫と結婚、昭和9年日本放送協会に入社、教養部で女性向け家庭番組の企画・制作を担当したという。この米子を明治製菓広告課でアドライタ…

「おとわ」のトンカツの出前

村井弦斎の『食道楽』由来の「おとわ亭」を再び発見。 松本克平『日本新劇史』の「踏路社の事前運動」によると、 駿河台の木村(修吉郎)の家は『みなし児』以来、連中の合宿所になっていた。(略)神保町の「いろは寿司」、東京堂裏の「おとわ」にトンカツ…

三浦謹之助と村井弦斎

三浦謹之助は大正天皇の診察を行った医師として著名のようだ。その三浦が村井弦斎と親しかった。『三浦謹之助先生』(三浦謹之助先生生誕百周年記念会準備委員会、昭和39年3月)所収の三浦と緒方富雄の対談によると、 三浦 えゝ、語学ができれば予科に入学で…

柳田國男と浅野和三郎

新聞の訃報欄で見落としたが、猫猫先生によると小林一郎先生が亡くなったらしい。さて、『田山花袋宛柳田国男書簡集』に明治42年12月5日付け柳田の花袋宛書簡が収録されている。この中に「浅野君よりビケラスを返してくれと申来候に付 何とぞ直接に御返送給…

村井弦斎と『少女の友』

『少女の友』が100周年ということで、創刊号が復刻されたのかと思ってしまったが、そうではなかった(http://shojonotomo.jp/)。 馬静『実業之日本社の研究』によると、同誌の創刊号(明治41年2月11日発行)には、「閑院宮女王恭子殿下」「徳川公爵令嬢…

谷崎精二のカフェ修行のきっかけとなった神保町のランポー

ゆまに書房の和田博文編『コレクション・モダン都市文化12 カフェ』所収の関連年表によると、 一九一六(大正五)年 一八九〇年生まれの谷崎精二は『都市風景』(一九三九年)で、「二十六七から卅二三迄私は方々のカフエーを歩き回つた」と、「カフエー修行…

母子で「食道楽」を見る森峰子・潤三郎

森峰子の日記(『増補版森鴎外・母の日記』)によると、 明治38年3月7日 晴、午後一時より歌(哥)舞伎座に弦(玄)斎(斉)芝居見に行く。潤三郎と弐人におもしろく夜(る)八時頃帰宅。 凡例:( )は編者が修正する前の語句 - 黒岩さんが出ているという『…

村井弦斎と国木田独歩の時代を生きる小林一三

小林一三の明治36年の日記*1に黒岩比佐子さんが大喜びしそうな記載がある。 明治36年3月15日 朝、上野公園にゆき、屏風画展覧会と東京百美人写真展を見る 十二時帰宅 3月17日 東洋画報第一号を買ふ こういふ雑誌は甚だ有益で趣味があるから面白い 4月4日 東…

高村光太郎と村井弦斎の「櫻の御所」

高村光太郎も歌舞伎座で村井弦斎原作の「櫻の御所」を見ていた。光太郎の日記「彫塑雑記」によると、 明治37年4月11日 午後一時三十分より開場の歌舞伎座へゆく。(略)狂言は弦斎の櫻の御所、鴎外の日蓮辻説法、二番目は戦争物也。八百蔵の日蓮は案外に見ら…

里見とんと村井弦斎

里見とんも村井弦斎を読んでいたようだ。里見の自伝的小説「二十五歳まで」に弦斎の『飛乗太郎』(春陽堂、明治30年7月)が出てくる。 私と同年の信三といふのが土地の小学校に出て居た。私はこの小年が学校からヒケて来るまで、家で独りでぐづぐづして居た…

菊池寛も使っていたタラコン湯

かの菊池寛も村井弦斎ゆかりのタラコン湯を使っていたらしい。 「原稿とタラコン湯」*1によると、 朝起きると、口を洗つてから、タラコン湯を飲む、自分は、顔を洗ふのが、面倒で仕方がない。(略) タラコン湯と云へば、自分位売薬を飲む人間は恐らくあるま…

佐々木喜善と村井弦斎

佐々木喜善が『岩手毎日新聞』に連載した「紅塵」*1によると、 余等が鍛冶町の新生活が、その心と体に全くの自由と気儘とを与へた。(略) 春であつた。中津川の畔には桜が咲いた。私は、碌に学校にも行かず、六畳の表二階に引込んで夜と昼なく小説を読んで…