6月21日に言及した折口信夫と日比谷図書館長中田邦造による沖縄文献収集について、補足しておこう。
朝日新聞昭和20年8月2日に、「永遠に生く沖縄文化/伝承に民俗学者起つ/関係書籍や音盤を蒐集」との見出しで、「戦後の沖縄文化再建の日まで沖縄に代つてその文化を温存して置かうといふ計画が二十数年来沖縄研究に努力を拂つて来た民俗学者柳田國男氏の主唱で慶大教授折口信夫氏、沖縄出身の言語学者伊波普猷氏等を中心に進められてゐる(略)早くも、柳田國男氏が率先して蔵書の中から沖縄関係のものを挙げて寄贈したのを始めとして都立日比谷図書館長中田邦造氏の奔走で書籍、古文書、写真、絵画、音盤等の蒐集が進みつゝある」とある。
中田の談話(「血闘に報いる道/中田氏の談」の小見出し)も載っていて、「戦後沖縄のことが日本にゐては調べられない等といふことになつては大変だからこの際徹底的に蒐集したいと思ふ、これは帝都の図書館としての当然の責務である」とのこと。敗戦直前でも、クニゾウたん、いい仕事しているだすね。
この頃の柳田と中田については、かつて「ジュンク堂書店日記」さんが、柳田の『炭焼日記』を引用したことがある。再掲させてもらうと、
昭和20年
7月15日 中田邦造君来、文庫疎開の話をして行く。信州高遠がよからうといふ話などをする。加賀豊三郎氏の文庫も引受けた話など、又多くの書庫の焼けたことなど。
7月20日 中田邦造君へ手紙、番地をきく也。
7月24日 夕中田邦造君来、本を疎開する打合、沖縄関係のものを預けることにする。
7月26日 日比谷図書館々員、生徒隊をひきゐて本をとりに来る。沖縄に関係するもの一切、西洋四国の民俗学会誌、民間伝承の会出版物若干、考古学雑誌一揃ひなどわたす。別れの心細いことは本も人も同じ。
8月19日 中田邦造君来、先日の本は四千何百円に買ふといふ。都の役人の一向働かぬといふ話をする。図書館協会の是からの活躍の話など。
9月13日 夜中田邦造氏来。先日の本の金四千七百円持つて来てくれる。
11月4日 中田邦造君来、成城に書庫をつくるといふことその他。
昭和20年7月24日、26日の条に「沖縄」が出てくるね。
柳田が中田らの協力を得て集めた本は、比嘉春潮「年月とともに」*1によると、
「比嘉君来、沖縄人の現状を話しなげく」(二十年七月七日*2)。そういうころ、柳田先生は本を疎開することを考えられ、膨大な蔵書の中から特に大切にされていた沖縄関係の本一切とほか若干とを日比谷図書館にあずけられた。「別れの心細いことは本も人も同じ」とその日の日記には記されているが、やがてこの本をもとに戦後、沖縄文庫が作られ、現地でもあらかた焼失してしまった文献に代わって研究者の貴重な資料となっている。現在は成城大学に保管されている。