神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田國男と浅野和三郎


新聞の訃報欄で見落としたが、猫猫先生によると小林一郎先生が亡くなったらしい。さて、『田山花袋柳田国男書簡集』に明治42年12月5日付け柳田の花袋宛書簡が収録されている。この中に「浅野君よりビケラスを返してくれと申来候に付 何とぞ直接に御返送給はり度候」という一節があるが、小林は、

「浅野君」については不明であるが、江見水蔭の『文士内閣大見立』(明治三十三年二月十九日「太平洋」八号)の中に出てくる浅野馮虚ではないだろうか。参考までにこの時江見水蔭が見立てた「文士内閣」というのは、議長が須藤南翠で、書記官長が長谷川天渓、議員には柳田国男戸川秋骨、宮崎湖処子、馬場孤蝶らも列記されており、花袋は逓信次官で、逓信大臣は江見水蔭となっている。


と解説している。浅野馮虚といっても、普通の人は知らないと思うが、このブログを見に来るはどうも普通の人ではない(笑)人が多いようなので、「ああ、浅野和三郎のことだ」とわかる人が結構いるのだろう。柳田と浅野という組合わせも他では見た覚えはないが、一高、東大では、浅野は柳田の先輩で在学期間も一部重なっている*1。面識があってもおかしくはない。


ちなみに、小林がいう「文士内閣」の「議長」は貴族院議長、「議員」は貴族院議員のことで、衆議院議長村井弦斎、同議員には樋口二葉の名前も見える*2

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どうせ当たりはしないだろうから、適当に言うと、あの人は四十代某出版社社員としておこうか。

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猫猫先生がコメントするとすぐにわかるようになっているらしい。おとろし、おとろし。→「http://hatena-anohito.appspot.com/_hdcomment/jun-jun1965/


http://furyu-tei.appspot.com/」から来る人が異常に多いが、これは何だろう。

*1:浅野は明治24年一高入学、29年東大英文科入学、柳田は26年一高入学、30年東大政治科入学。

*2:小林の『田山花袋研究 博文館時代(一)』27頁。