神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子さんと「くうざん先生」と「神保町のオタどん」のセッション

 昨日の放送(http://p-man.tv*1の中で、春陽堂の円本全集に村井弦斎が収録されたという話があったと思うが、それをめぐって、黒岩比佐子さんと「くうざん先生」とわしとで、話題にしたことがある。江見水蔭春陽堂編集局宛書簡に、「校正で見ますると、私のが後で弦斎君の先の様で、最初公表の予告とは違ふ様ですが(略)最後の『尻尾の有る女』は抜かれてもよろしいが」云々という記述があって、わしが『明治大正文学全集第十五巻 村井弦斎江見水蔭』の話だと推定したことから始まったものである。2006年8月12日参照。
 結局、くうざん先生が同書の箱目次に江見の作品として「尻尾の有る女」があがっていながら、実際には収録されていないことを発見してくれて、同書の話であったことを確認し、謎を解いてくれた(「くうざん、本を見る」参照)のであった。そのときのコメントのやりとりは、わしのブログの方では、

Hisako 2006/08/12 11:24
くうざんさんが先にブログに書いてくださいましたが、これは『明治大正文学全集』の第15巻の件に間違いないでしょう。それにしても、よくこのような書簡を発見されましたね! これが出たとき弦斎はすでに亡くなっているので、春陽堂とのやりとりは未亡人の多嘉子と娘の米子がしたものと思われます。弦斎は文壇からは通俗作家と言われていましたが、江見水蔭もこれまた同様で、この当時の文壇の評価はむしろ弦斎以下だった(人気度では弦斎の方がどう見ても上だったので)と思われます。しかも、弦斎の各作品が結構長いため、人気作品を収録するために、江見水蔭のページを削る結果になったのでしょう。結果として、弦斎篇が355ページ、水蔭篇が198ページになっているので、水蔭としては不満の一つも言いたいところだったと思います。

神保町のオタ 2006/08/12 16:49
ブログの力はすごいなあ。
あっという間に、疑問が解決されてしまった!
まだ、幾つか弦斎ネタはあるけれど、これを上回るネタは今のところ所持せず。

 「くうざん先生」のブログの方では、

Hisako 2006/08/12 11:29
私も『明治大正文学全集』を見て、初めて江見水蔭の作品名が、中身と函とで違っていることに気づきました。ついでに、最初の扉が「江見水蔭・村井絃齋」となっていることにも……。弦齋のゲンの字が違っているのですが、順番は江見水蔭が先になっているのですよね。

kuzan 2006/08/12 14:11
Hisakoさん、コメント有り難うございます。扉の上下関係には気づきませんでした。箱にあって中にないのは「遊牧民」もそうでした。

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新潟に行ったのは、十年くらい前か。新潟市では、郷土資料館、県政記念館、市美術館、会津八一記念館、北方文化博物館新潟分館、新津記念館、長岡市では科学博物館、県立近代美術館とか回ったと思う。新津記念館は、石油王新津恒吉の建てた迎賓館だが、ここで傘を忘れたことがなぜか今でも記憶に残っている。柏崎市の黒船館に行かなかったことが、心残りである。

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青木正美『ある「詩人古本屋」伝 風雲児ドン・ザッキーを探せ』(筑摩書房)が出てた。

ある「詩人古本屋」伝 風雲児ドン・ザッキーを探せ

ある「詩人古本屋」伝 風雲児ドン・ザッキーを探せ

*1:見ていたのは17人程でした。