ゆまに書房の和田博文編『コレクション・モダン都市文化12 カフェ』所収の関連年表によると、
一九一六(大正五)年 一八九〇年生まれの谷崎精二は『都市風景』(一九三九年)で、「二十六七から卅二三迄私は方々のカフエーを歩き回つた」と、「カフエー修行」を次のように回想している。広津和郎に誘われて行った神保町の「ランポウ」が最初で、散歩しながら赤坂カフェや日比谷カフェに入った。(略)
長井総太郎(鶯亭金升の本名)編著『東京食通番附』(豊文館、大正6年2月)*1所収の「(京橋区/神田区)西洋料理店の番附」にも、「神、表神保町ランポー」と出てくる。なお、同番附には、ほかに「神、表神保町 音羽亭」、「京、采女町 食道楽」、「神、裏神保町 カフエーランチヨオン」なども出てくる。
戦後開店の「らんぼお」とは無関係だろうが、どういうカフェーだったのだろうか。
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『ミネルヴァ通信』3月号の「本をめぐる声」は、海文堂書店人文・法経書担当平野義昌氏による「神戸本屋あれこれ」。神戸一の老舗H館が教科書販売所になり、元町通の本屋は海文堂だけになったが、同書店も「消滅危惧店であることは間違いない」と謙遜(?)。