有島武郎と村井弦斎は、もう少しで出会いそうになった機会があった。大正4年5月6日付け武郎の妻安子(相模国平塚 杏雲堂分院内)宛書簡*1によると、
其後熱の具合如何や あれより絃(ママ)斎方を訪れ候処主人殿は未た睡眠中に而代人出来り候間御申聞の旨尋ね申候処「夫れは楢ではありませんたらです」とのことに呆然として開いた口をふさき兼ね申候 一笑一笑 加之タラを飲めは寧ろ利通する由に付君には不適当と存じ説明も委くは聞かす辞し帰申候
「平塚、弦斎、たら」で、ビビビとくるのは、黒岩さんとわすくらいのものか。有島は入院中の妻を見舞った後、タラコン湯*2(タラを楢(なら)と間違えていたようだが)のことを聞きに平塚の弦斎邸を訪問したようだ。残念ながら弦斎は睡眠中で、武郎と弦斎の出会いはなかった。
(参考)2月10日
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今日はまだこちらでは売ってなかった・・・