神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

村井弦斎

神楽坂の食道楽げん喜

ありますた。 昭和5年12月10日 牛込神楽坂食道楽(惣菜)げん喜にて惣菜を買ひ帰る 日記の筆者は坪内逍遥。食道楽と言っても、食堂ではなく惣菜屋さんみたいだから、もしかしたらおとわ亭の支店とは無関係かもしれない。 - 植田康夫『自殺作家文壇史』(北辰…

露伴も傑作と褒めた弦斎の小説

『明星』10号(明治34年1月1日)所収の「露伴雑談」によると、 近頃大和田の『鐵道唱歌』が余程流行して居るさうだが、あれと弦斎の小説は明治の二大傑作だらう、批評家はさう云ふものを捉へて議論するがよい。 露伴が明治の二大傑作の一つという弦斎の小説…

鴎外が弦斎に見せたかった戦争と平和

鴎外の「妄人妄語」『萬年艸』巻第九(明治36年10月31日)に、 ○戦争と平和との中のMarja Dimitrewnaといふ女には、どこやら弦斎の雲岳女史の面影が有る。弦斎にあの辺を読ませて見たいものだ。 とある。 - 国立公文書館では、10月4日から「学びの系譜―江…

 西田天香も試したタラコン湯

京都では多少知られた一燈園の西田天香。ミネルヴァ書房から宮田昌明『西田天香』が出るくらいだから、全国区でもあるかしら。西田の日記というか、覚書に『天華香洞録』というのがあって、その大正13年1月8日の条によると、 胃病にタラコン湯がよくきくとて…

 中尾弘明と岡田道一

花火大会に行かず(笑)、しこしこと調べた。 戦前学校衛生に関する著作などを有する医師岡田道一は、戦後は心霊治療に関する著作を幾つか刊行している。そのうち『心霊療法』(ひろば書房*1、昭和30年11月)によると、 この療法は昔から手のひら療法(江口…

 タラコン湯と平福百穂

平福百穂の大正12年(推定)5月1日付け富木庄助宛書簡*1を見てたら、 たつ*2殿 常服用タラ根湯相勧め申候 タラの根を精製したるものにて、薬種屋ニあり。胃腸のあしきものニ特効ある由、是非々々御試用の事。 ん、「タラ根湯」!? どこかで、聞いたことがあ…

 食養会と三田村鳶魚

三田村鳶魚の日記に食養会が出てきた。 大正2年11月10日 石塚食養所ノ診断ヲ求メ、河田町教会二炷。 櫻澤如一『石塚左玄』所収の年譜によると、食養会は明治40年11月創立、石塚左玄は42年10月没、その後食養会は大正7年3月に社団法人化。 - 岩波書店の無料の…

弦斎に負けた男、福士政吉

「歌う記者」石川啄木の日記に驚くべき記述がある。 明治41年9月16日 三十四年の頃、日報社は呉服町の川越といふ酒屋の隣りにあ[つ]た。主筆はその時から神川福士政吉氏、その昔報知新聞が初めて懸賞小説を募集した時、村井弦斎が一等で此人が二等だつたとい…

後藤末雄と村井弦斎

後藤末雄(明治19年10月生)も村井弦斎の小説を愛読していた。 『生活と心境』(第一書房、昭和14年11月)所収の「僕の読書行路」で、 僕は中学に這入ると盛んに現代小説を読みだした。村井弦斎の小弓の御所・両美人・小猫、中でも小説家を読んで作家の境遇…

 サトウハチローと食道楽おとわ亭

書物奉行氏も読んでいる黒岩比佐子『食育のススメ』に出てくる村井弦斎『食道楽』ゆかりの「おとわ亭」。拙ブログでも店に出入りした著名人について何度か言及したが、またまた発見した。 サトウハチロー『僕の東京地図』(春陽堂文庫出版、昭和15年5月)に…

跡見花蹊と村井弦斎

黒岩比佐子『食育のススメ』(文春新書)の刊行を記念して、弦斎ネタを投入。 跡見学園の前身跡見女学校の創設者跡見花蹊の日記*1に弦斎が出てくる。 大正4年7月22日 来客、姉小路延子、村井弦斎氏細君、石井まよ子、其子たま子。 5年8月17日 村井弦斎氏より…

独歩に続いて弦斎

長山靖生氏はいつも的確な記述をしている。 「日本SFは百五十年になる」『文学』(7・8月号)で 弦斎は一般的に通俗小説の作家とみなされており、『小猫』(明治二十四)は家庭小説の走りとされている。たしかに弦斎の小説は恋愛や家庭生活を扱ったものが…

『江戸川乱歩小説キーワード辞典』に「比佐子」あり

『江戸川乱歩小説キーワード辞典』(東京書籍、平成19年7月)は高いので座り読み。 カフェー、上山草人、山窩、神保町、谷崎潤一郎、図書館、古本屋なども立項されている。 「鳩、ハト」を見ると、6作品に登場しているらしい。そのうち、伝書鳩として登場す…

近づく村井弦斎展

『彷書月刊』10月号の「特集◎本の虫[インタビュー]魯庵のアルバム」で村井弦斎の名前を見た。 堀内 こんなちっちゃな日記が三冊。 河内 大正二年のものと、一九二四年の上半期、下半期ですね。 内田 読めますか? 河内 <九月二十五日、上野へ行く・・・神田…

古本屋の丁稚も通った食道楽おとわ亭

「座談会 戦前古本屋の生活 修行時代の思い出」(『日本古書通信』平成6年4月号)によると、 −当時よく行かれた喫茶店や食堂の思い出は、 (略) 山田 万崎デパートの食堂、三省堂の食堂、おとわ亭、モーリ、それと爼橋を渡るけれど九段食堂という大衆食堂が…

辰野隆と村井弦斎

辰野隆「読書の思い出」『老若問答』(昭和25年12月)に、 「その頃ではないのですか、谷崎さんから露伴を読めとすすめられて、『縁外縁』と『対髑髏』*1を読んだとかいう話ですが・・・」 「それは中学五年時分だった。それもよく解らなかった。ああ、又思…

「食育」の人、村井弦斎を忘れとる!

ジュンク堂書店の『書標』7月号は、「食生活を考える」特集。偶然にしても、タイムリーな企画だね。 もっとも、「「食育」とは」」として「食育」関係の本を紹介しているが、何か欠けている。 そうだ、黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)に…

ドン・ブラウンと村井弦斎

横浜開港資料館編『横浜開港資料館所蔵ドン・ブラウン・コレクション書籍目録』を見ていると、ブラウンは、『Hana』を始め、弦斎の英訳書は軒並み所蔵している。その中で、明治37年にニューヨークのセンチュリー社から刊行された吉田正雄訳の『Kibun Daizin…

久しぶりの村井弦斎

長山靖生『奇想科学の冒険 近代日本を騒がせた夢想家たち』(平凡社新書)で、久しぶりに村井弦斎の名前を見た。当然ながら参考文献として、黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』が挙がっていた。

櫻澤如一と福田把栗

福田把栗という人について、『日本近代文学大事典』を引くと、 福田把栗 ふくだはりつ 慶応元・?〜昭和一九・九・一〇 僧侶、漢詩人、俳人。和歌山県新宮に生れた。名は世耕、詩に静処、絵に古山人の名がある。漢詩人として早くから名を成し漢詩集『逍遥集…

谷崎潤一郎も通ったか「食道楽おとわ亭」

明治43年4月から現在の北沢書店の裏に当たる神田南神保町の裏長屋に住んでいた谷崎潤一郎・精二兄弟。もしかしたら、当時、三省堂の近くにあったという「食道楽おとわ亭」(黒岩比佐子さんの教示によると、正式名称は「三銭均一食道楽おとわ亭」)に行ってい…

岩野泡鳴日記にトンデモネタが!

岩野泡鳴の日記*1は一度紹介したけれど、作家・画家との交流だけでなく、トンデモ系のネタも載っている。 大正7年5月12日 小野崎が蒙古熱心家の西岡士郎氏をつれて来た。 大正7年5月14日 西岡氏より手紙(これによると、西蔵のラマ経文中にジンギス…

『食道楽』、『酒道楽』ときたら、次は何道楽だろう?

岩波文庫の村井弦斎『酒道楽』の実物はまだ見ていないのだが、刊行を祝して同書に解説を書かれた黒岩さんに、弦斎ネタを贈ろう。と言っても、酒道楽そのもののネタはなく、食道楽関係のネタ。 秋田雨雀の日記*1によれば、 大正5年3月10日 生田葵山君とい…

村井弦斎と若山牧水

若山牧水「おもひでの記」*1によると、 いま一人の叔父は村の寺の住職であつた。(中略)私が生れて初めて小説といふものを読んだのはいつもこの叔父の持つて来る絵入郵便報知新聞に載つてゐた村井弦斎作『朝日櫻』といふものであつた。振仮名を拾つて駒雄静…

『食道楽』以外の小説禁止

沼波瓊音『意匠ひろひ』(国書刊行会、2006年8月)中の「時文(明治四十年二月)」*1に、村井弦斎ネタがあった。黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』には出ていなかったと思うが、どこかで読んだ気もする。 文部省が日本中の学校へ学生の読物として適当と…

村井弦斎と野上彌生子

野上彌生子が兄弟に宛てた書簡に村井弦斎の名前を発見す! 大正3年8月22日付け小手川次郎・武馬宛書簡*1によると、 さて昨日実業の[ママ]日本社の渡辺白水(武馬承知)来りいろいろの話の末。白水君この冬より神経痛に病み。いろいろの治療もはかばかしから…

上機嫌のかげに弦斎あり

『文學界』で連載中の、小谷野敦・黒岩比佐子*1のお二人。サントリー学芸賞受賞という共通点の他に、小谷野=谷崎潤一郎、黒岩=村井弦斎というそれぞれの研究対象でつながっている。 黒岩さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』に記されているが、谷崎は弦斎の…

カフェーパウリスタとおとわ亭の時代

『珈琲』*1を飲んでいたら、いや、読んでいたら、おとわ亭に出会った*2。 私が宇野浩二等とカッフェエを歩きまわったのは、それから大分後の事になる、鴻の巣に青い酒、赤い酒を飲んだ連中がカッフェエ第一期生とすれば、我々はさしずめ第二期生と呼ばれるの…

神保町三省堂前のお登和亭

俳人の水原秋櫻子は、一高入学を目指していた中央大学の予備校生時代を次のように回想している(『私の履歴書 文化人2』所収)。 神保町の三省堂の前の横丁に「お登和亭」というのがあった。そのころ評判の村井弦斎の小説「食道楽」の主人公のお登和さんと…

修善寺温泉新井旅館を愛した文人達

黒岩さんには温泉にでもつかりながら、ゆっくり執筆していただきたいものであるが、そういうわけにもいかないようなので代わりに温泉ネタをアップしよう。 芥川龍之介が自殺する二年前の大正14年4月16日、病気療養中の修善寺温泉新井旅館から妻文に宛てて出…