佐々木喜善が『岩手毎日新聞』に連載した「紅塵」*1によると、
余等が鍛冶町の新生活が、その心と体に全くの自由と気儘とを与へた。(略)
春であつた。中津川の畔には桜が咲いた。私は、碌に学校にも行かず、六畳の表二階に引込んで夜と昼なく小説を読んでゐた。その当時は村井弦斎の物ばかり探して読んでゐた。ある日、学校の帰りに唯ある古本屋の店に立ち寄つて見ると、泉鏡花の「照葉狂言」があつた。店の小僧が小説本だと言ふので買つて来た。その当時私等には小説本と言ふ語が妙に遠く聞えてゐた。日本には村井弦斎以外に小説家が無い物と思つてゐた頃である。(略)(六月廿一日の夜)
明治四十二年六月二十九日
佐々木の年譜によると、明治34年の出来事である。当時の佐々木にとって、弦斎は日本で唯一の小説家だったのだ。
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『週刊朝日』で亀和田武が『Sanpo magazine』について書いてた。
田辺聖子文学館「田辺聖子と源氏物語展」は11月8日から。
五井信『日本の作家100人 田山花袋 人と文学』(勉誠出版)はまだ出てない?