このブログのカテゴリーのうち、「谷崎潤一郎」は猫猫先生、「図書館」は誰ぞこと書物蔵氏、「カフェー」は林哲夫氏、「催眠術」・「平井金三」はma-tango氏、「中村古峡」は森洋介氏、「森茉莉」はちわみさん向けにもっぱら書いているのだが、「サンカ」は実は亡くなられた『彷書月刊』の田村治芳氏に向けて書いていたのであった。もっとも、読んでくれているという確証はなかったのだが。
さて、「村井弦斎」・「国木田独歩」・「伝書鳩」 はもちろん黒岩比佐子さんのために書いていたのであった。亡くなられた今となっては、そのカテゴリーを続ける意味はないのだが、天国から見ていてくれているかもしれないと思って記事を続けようか。
すずらん通りから少し脇に入ったところにかつて村井弦斎の『食道楽』ゆかりの「おとわ亭」という店があったということは、嫌というほど書いたと思う。三省堂書店の側にあったわけだが、同書店とのつながりを示す面白い資料があった。門野虎三『金星堂のころ』(ワーク図書、1972年9月)である。
そうしたあるおり、三省堂に出かけて、小売部へ顔を出すと、鈴木省三*1が、わたしの袖を引いて耳打ちしてくれた。
「きょうは、一箱売れたぞ。」
一箱とは千円のことで、その日小売部の売上げが千円あったというのだ。一箱売れると、三省堂の当時の定めで、店の横前にある「おとわ亭」のトンカツが、店員一同にふるまわれることになっていた。それを食いに来いと、鈴木省三は知らせてくれたのである。
この出来事は大正9年頃の話で、門野は当時上方屋書店で書籍の卸しの仕事をしており、鈴木は三省堂小売部の店員だった。三省堂小売部で一定の売上げをあげると、「おとわ亭」のトンカツがふるまわれたとは、これは黒岩さんが大喜びしそうな話である。
(参考)「神保町三省堂前のお登和亭」(2006年8月31日)
「カフェーパウリスタとおとわ亭の時代」(同年9月11日)
「『食道楽』、『酒道楽』ときたら、次は何道楽だろう?」(同年12月17日)
「谷崎潤一郎も通ったか「食道楽おとわ亭」」(2007年1月16日)
「古本屋の丁稚も通った食道楽おとわ亭」(同年8月30日)
「サトウハチローと食道楽おとわ亭」(同年12月25日)
「「おとわ」のトンカツの出前」(一昨年10月3日)
「昔「三銭均一食道楽おとわ亭」、今「キッチンジロー」」(昨年12月23日)