黒岩比佐子さんに「関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』(恒文社、1999年5月)に村井弦斎のことが出ている」と教えたことがあった。
黒岩さんの感想(2007年7月5日)は、
Hisako 2007/07/05 10:44
先日教えていただいた関田かをる『小泉八雲と早稲田大学』の該当箇所を読みました。面白いですね! そんなことがあったとは……。1904年なので、これは間違いなく『HANA』(あるいは『AKOYA』の可能性も)を読んでの八雲の感想でしょう。貴重な資料を教えていただき、感謝いたします。
黒岩さん自身がいつか活用してくださると思っていたが、もうその機会は永遠に失われたので、私が内容を紹介しておこう。明治37年7月6日坪内逍遥が塩澤昌貞と共に小泉八雲を訪問しているが、それに関した記載がある市島春城の『盛夏録』巻三*1同月18日の条に、
話は小泉出(ママ)雲(ハルンの事)のことに移つた。坪内の云ふのは先達て塩澤昌貞を介して同人(八雲)を訪ひ、いろいろの話をして見た(略)
話は更に移つて村井弦斎か大隈伯に勧められ自作の小説を英訳して西洋に遣るに付斧正をハルンに請ふた事に渉つた・・・余は昨夜塩澤より聞こえた話を語つて云ふにはハルンは大体頗る村井の作に感服しない、第一大隈伯の勧など云ふことは序言より省くべし、日本の著名なる一小説家の作となすべからず、趣向も英訳も共に幼稚なれば寧ろ日本の一学生の作として出す方然るべしと評したる由を告けたるに逍遥は唖然として「村井も器量を下けた」と一笑し文学談はここに局を結むであとは雑談に時を移した
とあるという。
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