神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

柴田葵さん詳細年譜

オタどん、柴田葵さん(小谷野敦氏の妻)の詳細年譜を作りかけてみる。しかし、ダンナにしばかれそう(笑)なので、やめる。 追記:しばかれては困るので、オタどん謹慎する。

『戦前期『週刊朝日』総目次』から

昭和6年7月12日〜11月8日 (英訳・尚紅蓮)「安城家の兄弟」 10月1日 <腕輪>(とんだ衣裳哲学) 7年1月1日 <総論>(誌上恋愛大学) 4月17日 (英訳・尚紅蓮)「夜桜」 9月→8月1日 「一家風」 8年6月→8月1日 「渦心」 9年6月3日 <モデル問題で喧嘩>(兄…

さらば日比谷図書館

昨年創立100周年を迎えた日比谷図書館。開館までには、ちょっとしたトラブルがあったようだ。ジョン万次郎の長男中浜東一郎の日記によると、 明治41年4月1日 夜西次郎、秀俊来り曰ふ。日比谷公園内に建築中なる府[ママ]立図書館受負大工高木(大政)は、昨夜…

樋口一葉と顕真術会の久佐賀義孝

和田芳恵の『一葉の日記』は大分昔読んだと思うが、覚えているのは、一葉を妾にしようとした占い師がいたことと、一葉がやたら借金しまくることぐらいだろうか。さて、その占い師久佐賀義孝だが結構面白い人間だったようだ。 同書によると、『京浜実業家名鑑…

太田英茂−本郷教会から食養会経由東方社へ−

戦時中対外宣伝グラフ雑誌『FRONT』を発行した東方社。昭和18年にその事務総長を務めた太田英茂という人がいる。多川精一氏による伝記『広告はわが生涯の仕事に非ず 昭和宣伝広告の先駆者・太田英茂』(岩波書店、2003年11月)という本があって、同書に…

井上哲次郎の遺体を運ぶ串田孫一

串田孫一の日記*1に井上哲次郎が出てきた。 昭和19年12月9日 七日の午前六時六分に井上哲次郎博士逝去。前夜の空襲で疲れ、遅く起きると、寺澤恆信君が知らせに来てくれたので、自転車で表町の家へ行き、夕刻まで玄関番の役を引き受けた。博士の遺体を二階の…

里見とんとカフェ・タイガー

里見とん詳細年譜の昭和3年の項に「この年、「タイガー」にいたお夏(高崎雪子)が銀座にバー「ルパン」を開業、弓享はパトロンではないかと書かれる」と出てくるカフェ・タイガー。里見とこの銀座にあったカフェーについては、酒井眞人『カフエ通』(四六書…

山田珠樹、入院す

『吉野秀雄全集第八巻』所収の昭和18年4月29日付け「厨子町小坪湘南サナトリューム東寮 山田珠樹」宛書簡に、 日曜に御入院住み心地およろしきよし何よりでした とある。「日曜」が直前の日曜日とすると、珠樹が入院したのは4月25日ということになる。珠樹は…

読書協会の松本とは、誰ぞ?

大蔵公望の日記に出てくる読書協会の松本とは・・・ 昭和8年3月27日 九時三〇分、研究室に行く。松本(読書協会)、大長(大森男紹介)、田畑来訪。来月より田畑を室におく事とす。月給三十円。 4月22日 一〇時三〇分、研究室に行く。 来室、長岡、篠崎、阪…

フローレンス・ウェルスと天羽英二

ムー大陸の提唱者チャーチワードの女助手だったとされるフローレンス・ウェルス。天羽英二の日記昭和17年5月31日の条に「米国人 子供ノ先生」とある*1が、「子供ノ先生」を単に職業が教師だという意味と解していたが、天羽の子供の先生だったようだ。 日記の…

荷風生誕130年・没後50年

永井荷風の生誕130年・没後50年ということで、『荷風全集』第二次刊行。新たに別巻一巻(補遺二 資料篇)を増補し、新資料・研究資料を収めるとのこと。 25日発売の『文学』3・4月号も「永井荷風没後50年」特集で、十川信介「荷風の私がたり」、菅聡…

大正期大阪毎日新聞学藝部の豪華メンバー

永代静雄が主宰した新聞及新聞記者社から刊行された『日本記者年鑑』(大正10年10月)は、日本図書センターから『日本新聞年鑑第1巻』として復刻されている。同書で同年9月1日調査の大阪毎日新聞の全社員表を見てみると、学藝部長は薄田淳介、副部長は深江彦…

思想なき藝術家筒井康隆

筒井康隆『乱調文学大辞典』によると、 たにざき-じゅんいちろう【谷崎潤一郎】佐藤春夫に「思想なき芸術家」と評されて以来、それが彼への世評となってしまった。ぼくが作家になったのはこのことを知り、ぼくの大嫌いな「思想」がなくても芸術家にはなり得…

日露戦争ふたたび

いよいよ11月から放送が始まるスペシャルドラマ『坂の上の雲』。司馬遼太郎の原作と島田謹二の研究との関係はよく知られていると思うが、芳賀徹先生にも語ってもらおう*1。 芳賀 島田謹二先生が僕の先生だったんですが、先生は大変な海軍マニアで、司馬さん…

書かれざる西村真次のもう一つの顔

西村真次については、長男の西村朝日太郎による伝記が『日本民俗文化大系(10)』に収録されている。しかし、朝日太郎が その他いかがわしい催眠術療法や、下谷の電話局長夫人で琴の名手であった美貌の誉高いゑん女を強姦して死に至らしめたいわゆる「出歯…

或る愛人

『女性』大正13年7月号に「女性フォトグラム」という企画が掲載されていて、里見とんが撮ったと思われる女性の写真「或る女」が掲載されている。キャプションとして、里見は 時。大正十一年夏八月。 所。相州鎌倉長谷××氏仮寓の一室。 人。□□氏の愛人、某女…

大阪毎日新聞の野村治輔

里見とん伝に大正9年末『人間』の編集から降り、大阪毎日新聞の記者となった野村治輔なる人が出てくる。この野村が、喜多村緑郎の日記に出てきた。 大正15年10月14日 風月でカフエーをのみたいと、川口が云ふので、軽るい料理を少したべて、そこを出る、サン…

まだまだあったスメラ学塾関係論文

スメラ学塾に言及した論文をまたまた発見! 谷口英理「「アジア復興 レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会」と戦時下の「レオナルド時代」」(『近代画説』12号、平成15年12月)がそれ。「レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会委員会」について、 委員会会長の末次信正…

大亜細亜建設社の賛助員

『大亜細亜』4巻6号(大亜細亜建設社、昭和11年6月1日)の「賛助員芳名住所」には、 五百木良三、今泉定助、西晋一郎、若宮卯之助、鹿子木員信、田鍋安之助、多田等観、中山優、ラス・ビハリ・ボース、宇野円空、八角三郎、作田荘一、紀平正美、三田村玄龍(…

杢太郎、小谷野に遇う

木下杢太郎の日記によると、 大正10年4月6日 山下と夜有楽座に呂升を聴く.(近松秋江,和田英作,小谷野に遇ふ.)晩めしは河岸の鮨,浅草大火. 「小谷野」って、誰やねん。 - 「柳原白蓮展」は、今は横浜高島屋で開催中らしい(16日まで)。 専修大学図書館では…

名簿屋中西利八のその後

立命の金丸裕一先生が「名簿屋一代 中西利八」で「足跡が最後に確認できるのは1944(昭和19)年5月、彼が満51歳の春である」とする中西利八。その足跡がもう少しだけたどれた。 『満洲読書新報』82号(関東州読書協会、昭和19年9月15日)の「会員消息」によ…

神田の喫茶田沢画房

場所がはっきりしないが、大正期の神田に田沢画房という喫茶店があった。美作太郎『戦前戦中を歩む 編集者として』によると、大正13年東大法学部に入学後の話として、 今のすずらん通りへつづく九段よりの家並みに、<田沢画房>という喫茶店があった。八坪…

谷崎精二のカフェ修行のきっかけとなった神保町のランポー

ゆまに書房の和田博文編『コレクション・モダン都市文化12 カフェ』所収の関連年表によると、 一九一六(大正五)年 一八九〇年生まれの谷崎精二は『都市風景』(一九三九年)で、「二十六七から卅二三迄私は方々のカフエーを歩き回つた」と、「カフエー修行…

カフェ・ロシアと辻衛

3月5日に言及した画家辻永の弟は、銀座でカフェーを経営していたようだ。 安藤更生『銀座細見』(春陽堂、昭和6年)によると、 ロシヤは今の松坂屋の横、カアネーシヨンといふバアのところにあつた。(略)店主は辻衛氏と云つて、洋画家の辻永さんの弟だつた…

「私を誰だと思ってるんだ!」と、里見とん

小谷野とん氏の里見とん伝によると、里見は「編輯者や、出版社や、一般世間に対して、一番威張つた−といふ感じを与へた」と評されたことがあるという。また、『中央公論』の里見担当編者者が、無礼な編集者だと里見から苦情を言われ、降ろされたこともあると…

里見とんの野球事始

里見とん伝に、大正13年末ころ、久米正雄、加能作次郎、邦枝完二、宇野浩二、広津和郎、間宮茂輔、仲木貞一、佐藤八郎(のちのサトウハチロー)、国木田虎雄、長瀬三吾と野球チーム「藝倶楽部」を結成したとある。また、昭和4年には、久米、サトウハチローら…

里見とんのもう一人の兄佐藤隆三

里見とんの二人の兄、有島武郎・生馬はよく知られているだろうが、もう一人佐藤隆三という人がいる。 この人も秋田雨雀の日記に出てくるので、見てみよう。 昭和7年7月4日 三越に五星会の展覧会。発起人の一人としていってみる。小山内薫君が岡田女史と一緒…

御健在だった諏訪根自子さん

ガセネタの可能性もあるが、毎日新聞によると諏訪根自子(すわ・ねじこ)さんは亡くなっていたようだ。 大阪版平成17年7月13日朝刊11面の「人生流儀」は、「探求と挑戦の70年、バイオリニスト・辻久子さん(79)」を紹介しているが、その中に「一足早く登場…

高村光太郎と木村荘太の決闘に立ち会う谷崎潤一郎

明治43年11月20日の「パンの会」では、色々事件が起きている。小谷野氏の「谷崎潤一郎詳細年譜」によると、 日本橋大伝馬町の三州屋で開かれた「パンの会」の集まりに出席し、永井荷風に会う。ほかに、与謝野鉄幹、蒲原有明、小山内、木下杢太郎、久保田万太…

不詳 田内長太郎

江戸川乱歩は、東京精神分析学研究所の初期のメンバーとして「田内長太郎(ヴァン・ダインの長序を訳した人)」を挙げている*1。この田内、詳しい経歴が不明。乱歩が、『探偵小説『土曜会』通信(2)』(昭和22年3月2日*2)で、「田内長太郎君逝去 往年の“…