神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

森茉莉

森茉莉の帰還

山田珠樹と妻茉莉の帰国については、「山田珠樹・森茉莉夫妻の帰国」で茉莉の年譜にある大正12年8月ではなく同年7月だろうと推測したところである。これは『小金井良精日記 大正篇』(クレス出版、平成27年12月)でも確認できた。 (大正十二年) 七月二十六日 …

山田爵と仏文学者たち

『福永武彦戦後日記』(新潮社、2011)に森茉莉の長男山田爵登場。 (昭和二十年)九月十八日 (略)本郷の渡辺さんの家で山田ジャツク君、草野さん(後に河村君)と四人でもちよりの材料により食事。御飯をたき僕も仲間に加へてもらふ、時に三時。夕方ジャ…

国会図書館の「デジタル化資料(貴重書等)」のお得な使い方

国会図書館のホームページの「電子図書館」の「デジタル化資料(貴重書等)」で「森茉莉」を検索(「館内限定公開資料を含める」にチェック)すると、全集未収録エッセイがザクザク見つかる。ついでに、「平井金三」も検索すると、精神学院の『心の友』とい…

独文学者相良守峯と仏文学者の付き合い

相良守峯『茫々わが歳月』に、渡辺一夫と森茉莉の長男山田爵が出てくるので、紹介しておこう。 昭和二十五年 仏文の渡辺一夫君は篤学をもって鳴る学者で、皆に敬愛されていたが、かたわら絵も描いた。七月下旬、私の肖像を描いてくれるというので、同氏の家…

岡本太郎がフランス時代に日本人とつきあわなかった理由

森茉莉『ドッキリチャンネル1』の「横尾忠則の個展のオープニングナイト、池田満寿夫の芸術と洋服、岡本太郎の画と彫刻と烏」(初出は『週刊新潮』昭和56年)に、 横尾忠則の会に、岡本太郎がいたので挨拶しようと近づくと、よくわからないようなので、(森…

大蔵財務協会で田村隆一の同僚だった山田亨

田村隆一の「青山さん」『僕のピクニック』(朝日新聞社、1988年)でちょっとした発見をした。昭和26年夏から大蔵財務協会に勤め始めた田村。同僚に有吉佐和子がいたが、そのほか、田村のデスクの前に、鎌倉から通う青年がいたという。その青年との会話。 青…

気紛れマリアと疎開先のお嬢さん

『世田谷文学館ニュース』46号(2010年8月1日)の小島千加子さんと菅野昭正館長の対談。森茉莉が喜多方に疎開していた時に仲良くなったという幼いお嬢さんの話が出てくる。 小島 (略)戦争も終わって、いよいよ東京に引き揚げるという時には、きっとお嬢さ…

矢田部一族も

柳田國男の妻孝の長姉順は、植物学者矢田部良吉の妻である。良吉は、『新体詩抄』の編著者の一人としても知られる。良吉の四男達郎は心理学者。普通の人は知らない人だが、森茉莉のファンは皆知っている。茉莉の夫山田珠樹の親友で、茉莉とはパリで親しくな…

森茉莉の死にも泣かなかった栗本薫

栗本薫『光の公女』(グイン・サーガ27)の「あとがき」(1987年7月10日付け)によると、 ふいに思い出したのですが、私にとってこの世で最も懐しい作家の一人である森茉莉さんがついに亡くなりました。『枯葉の寝床』の単行本をさがして狂ったように神田を…

栗本薫の愛した谷崎潤一郎

亡くなられた栗本薫が森茉莉の影響を強く受けたことは本人が何度も書いているが、谷崎潤一郎の著作も愛好していたらしい。『翼あるもの』(文春文庫、1985年5月)の「文庫版のためのあとがき」によると、 私の中には、健全と頽廃、剣と魔法、西洋崇拝と日本…

山田珠樹、入院す

『吉野秀雄全集第八巻』所収の昭和18年4月29日付け「厨子町小坪湘南サナトリューム東寮 山田珠樹」宛書簡に、 日曜に御入院住み心地およろしきよし何よりでした とある。「日曜」が直前の日曜日とすると、珠樹が入院したのは4月25日ということになる。珠樹は…

青木正美と森茉莉『昭和26年当用日記』

ん、「森茉莉街道をゆく」のちわみさんに呼ばれたやうな気がする。 森茉莉の日記を青木正美氏が入手したことは、今月号の『日本古書通信』以前にも、『古本市場掘出し奇譚』(日本古書通信社、1986年10月)に書いている。重複をいとわず、紹介すると、 もう…

園池公致のトイレを借りた森茉莉

『白樺』明治43年9月号(『初期白樺派文学集』)の「編輯室にて」によると、 ○もう四五年前の事であるが、公致が青山から電車で帰つて来ると、妻君と四つ五つの女の子を連れた軍人が、同じ車に乗つて居た。赤坂見附の所で女の子は急に小用を催した。(略)赤…

森茉莉と瀬戸内寂聴

日経の瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』は森茉莉の項。萩原葉子の田村俊子賞授賞式(東慶寺)の時に、寂聴が茉莉に饅頭代を貸してあげたが、結局返してもらえなかったという話。 (参考)萩原が受賞した年ではないが、その前年に秋元松代が阿部光子と同時受賞した…

山田珠樹は最期に誰を思ったか

伝記も年譜もなさそうな仏文学者の山田珠樹。その最期が、神西清の日記に書かれていた。 昭和18年11月24日 この日の午前山田珠樹氏、小坪の療養所に於て急逝さる。廿六日午後東御門の邸にて告別式あり、由里子*1出向きたる旨を後に知れり。先日「仏蘭西中世…

山田珠樹・森茉莉夫妻の帰国

従来大正12年8月とされてきた森茉莉の帰国だが、同年7月以前が正しいようだ。 大正12年7月27日付けと推定される与謝野寛の森潤三郎宛書簡(『与謝野寛晶子書簡集成第二巻』)に、 山田珠樹様御夫婦がめでたく御帰朝になりましたので、千駄木の奥様、電話にて…

森茉莉とファーザー・コンプレックス

大槻憲二が主宰した雑誌『精神分析』に森茉莉が随筆を書いていた。 1巻5号(昭和8年9月10日)所収の「細い葉蔭への欲望」がそれである。同名の作品は、早川茉莉さんが、『ユリイカ』の森茉莉特集に再録したもの(『文学』昭和11年6月号掲載)とほぼ同内容で…

 鴎外全集完成祝賀会と森茉莉

「森茉莉街道をゆく」で『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』人名索引が完成したのを記念して、茉莉ネタを。 斎藤茂吉の日記によると、 昭和14年11月21日 ○午後五時半、鴎外全集完成祝賀会、森潤三郎(牽舟)、マリ、杏奴、類、岩波、小林、佐藤、鈴木三郎…

森茉莉と源氏物語

今年は源氏物語千年紀とやららしいが、全く興味がない。しかし、せっかくなので源氏ネタを。 『折口信夫全集』別巻3所収の座談会「源氏物語研究」によると、 池田(弥三郎) 鴎外先生は源氏をお読みになつたのですか。 小島(政二郎) 私がお目にかゝつたと…

辰野金吾・隆一族の謎(その1)

辰野隆が、今マイブーム。 東京駅などの設計で知られる辰野金吾とその子であるフランス文学者の隆は、「日本の有名一族」とするには、一般的な知名度は低いか。それでも、一族には結構著名な人がいる。隆の姉須磨子はビタミンの鈴木梅太郎夫人、また妻久子の…

山田珠樹と辰野隆のつかのまの火遊び

『新政』第2巻第1号(昭和29年1月5日号)の「新春放談」(辰野隆、湯沢三千男、矢次一夫)が面白い。 辰野 (略)僕が初めてヨーロツパへ行つた時ちようど湯沢も一緒だつた。 湯沢 あの時は大正十年、俺が三十何才、課長の頃だつた。 辰野 四十日間も船で一…

森茉莉『靴の音』出版記念会

森茉莉にかぶれてはいないのだが、茉莉ネタ。従来の年譜には記載がない。 『本間久雄日記』によると、 昭和34年1月18日 五時大隈会館にゆく。森茉莉、安田保雄両氏出版記念会(九日会、表象合同主催)出席のためなり。一場のテーブル・スピーチをする。来会…

司書官山田珠樹

山田珠樹の東京帝国大学附属図書館司書官としての在職期間は、大正14年6月12日〜昭和11年3月30日。 当時の図書館長は姉崎正治が大正12年11月29日〜昭和9年3月30日、高柳賢三が同3月31日〜15年6月14日。 山田と同時期の司書官は、鈴木繁次昭和7年2月20日〜18…

悪の枢軸

豊島与志雄「交遊断片」*1に森茉莉いうところの「悪い仲間」が書かれている。 或るレストーランの二階、辰野隆君と山田珠樹君と鈴木信太郎君と私と、四人で昼食をしていた。この三人は立派なプロフェッサーで、私はその中に交ると、一寸変な気がするのである…

森茉莉と豊島与志雄

昨年10月14日*1に言及した森茉莉が山田珠樹と離婚後、翻訳の件で岸田国士に相談したときに紹介されたという「近くに住んでゐた貴志讃次」。岸田と親しいフランス文学者としては、豊島与志雄がいるのだが、豊島は当時千駄木に住み、岸田は阿佐ヶ谷。「近く」…

東大仏文学教室の若き群像(その2)

前川堅市は中島健蔵の回想(『疾風怒涛の巻 回想の文学1』)に出てた。 東大のフランス文学科の学生名簿の中に小川泰一の名を発見した時、そして彼が、小学校以来わたくしの同級生だった市原豊太と同じ年度の入学と知った時、およそ五年間にわたる空白を感…

東大仏文学教室の若き群像

「森茉莉街道をゆく」11月27日分で紹介されていたジイップ『マドゥモァゼル・ルゥルゥ』の翻訳(崇文堂、昭和8年1月)に協力したという東大仏文出身の前川堅市。 『日本近代文学大事典』などによると、 前川堅市 まえかわけんいち 明治35年1月7日〜昭和40年3…

森類の結婚前後

『森茉莉かぶれ』を読んだ。だからというわけでもないが、弟の森類の結婚前後の様子を幾つかの日記で見かけたので記録しておこう。 昭和16年1月10日 六時森類氏にまねかれ妻と行く。新婚の女、その父母(安宅安五郎夫妻)、小堀四郎、杏奴。まり同座。九時か…

大槻憲二の東京精神分析学研究所

『戦時下日本文化団体事典』第3巻(大空社、1970年7月。底本:『日本文化団体年鑑 昭和十八年版』)に、 東京精神分析学研究所 所在地 東京都本郷区駒込動坂町三二七 役員 所長大槻憲二、編集部員岩倉具栄、長崎文治 組織 会員組織(内部課−研究、講習、治…

何と、貴司山治の展覧会が開催されていたよ

小谷野敦『間宮林蔵の虚実』(教育出版、1998年10月)にも次のように出てくる貴司山治。 昭和十一年五月に、新築地劇団十周年を記念公演として「洋学年代記」という芝居が上演されている。これが実はシーボルト事件と間宮林蔵を扱っているのだ。作者は貴司山…