3月5日に言及した画家辻永の弟は、銀座でカフェーを経営していたようだ。
安藤更生『銀座細見』(春陽堂、昭和6年)によると、
ロシヤは今の松坂屋の横、カアネーシヨンといふバアのところにあつた。(略)店主は辻衛氏と云つて、洋画家の辻永さんの弟だつた。
このカフェーだが、関東大震災で一度壊滅している。秋田雨雀の日記に、
大正12年9月13日 きょう、はじめて東京全市の模様をみた。京橋の方面をもみた。カフエ・ウーロン、ロシア、ライオンなぞは跡形もなかった。
12月1日 資生堂からカフエ・ロシアへよってみた。
とある。震災で壊滅しても、たくましく年末までには再建していたようだ。
しかし、安藤によると、ロシアはその後閉店したらしい。
この家の主人辻衛氏は、美術が好きで、別に有名な望沙留荘を経営して、小美術品の売買をやつて居た。その後身が、今日数寄屋橋畔の共楽美術倶楽部である。後に辻氏はロシヤの方をやめてしまつてこの共楽の方を夫人と共に専門に経営して居たが、不幸自動車が衝突して、奇禍に落命してしまつた。
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本日の日経に、特別編集委員野瀬泰申氏が「「食道楽」(上)を読む」を書いている。
神保町の女荷風。→「http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000440903040001」
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「小さな旅」は、本郷界隈。賄い付きの下宿のおばさんが出てた。今時はやらない気もするが、もう一度学生時代を過ごすならああいう所に住んでみたい気もした。