里見とん伝に、大正13年末ころ、久米正雄、加能作次郎、邦枝完二、宇野浩二、広津和郎、間宮茂輔、仲木貞一、佐藤八郎(のちのサトウハチロー)、国木田虎雄、長瀬三吾と野球チーム「藝倶楽部」を結成したとある。また、昭和4年には、久米、サトウハチローらに加え、大佛次郎、元アマの橋戸頑鉄、野球記者の太田四州らが加わって、「鎌倉老童軍」を結成したという。
里見がいつから野球を始めたか正確な所は不明だが、大正9年10月24日の読売新聞7面には、「新たに出来た文士野球団のナイン=小説家久米正雄君の捕手姿=」と題する見出しで写真*1が掲載され、キャプションには「[写真右から]岡田三郎・竹久夢二・福田辰男・邦枝完二・久米正雄・七尾嘉太郎・田中純・仲木貞一の八氏外に里見弓享氏を加へて九名」とあるので、このころまで遡るようだ。なお、福田は、同書によると、里見宅の近所に住み、一家揃って里見の贔屓で、邦枝の友人だったという。
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『安部公房全集』(新潮社)が完結した。
『【新】校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房)も完結。
小森健太朗『英文学の地下水脈 古典ミステリ研究〜黒岩涙香翻案原典からクイーンまで』(東京創元社)に、書き下ろしで「二人のM・C−神智学ムーブメントと二人の女性心霊主義作家の活躍−」の章あり。『グルジェフの残影』の著者だね。
*1:2枚。久米単独のと八氏の分。なぜか里見は写っていない。