立命の金丸裕一先生が「名簿屋一代 中西利八」で「足跡が最後に確認できるのは1944(昭和19)年5月、彼が満51歳の春である」とする中西利八。その足跡がもう少しだけたどれた。
『満洲読書新報』82号(関東州読書協会、昭和19年9月15日)の「会員消息」によると、
○中西利八氏(満蒙資料協会主幹)「満洲紳士録」満洲に於て続刊計画中のところ弘報処、出版協会の許可を得て七月中旬一先づ帰京した。
この後の動向は不明。帝都への空襲で亡くなったか、大陸との移動の最中に亡くなったか、はたまた、敗戦後も生き延びていたか。
(参考)一昨年9月23日。
金丸裕一「名簿屋一代 中西利八−『中国紳士録』と満蒙資料協会について−」(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/56204.pdf)
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林望『かくもみごとな日本人』(光文社)に村井弦斎登場。参考資料には黒岩女史の弦斎本も。
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『フェノロサ夫人の日本日記』の人名索引を見てたら平井金三あり。もっとも、出てきて当たり前みたい。