神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

樋口一葉と顕真術会の久佐賀義孝

和田芳恵の『一葉の日記』は大分昔読んだと思うが、覚えているのは、一葉を妾にしようとした占い師がいたことと、一葉がやたら借金しまくることぐらいだろうか。さて、その占い師久佐賀義孝だが結構面白い人間だったようだ。


同書によると、『京浜実業家名鑑』(京浜実業新報社、明治40年12月)に、元治元年生で、通称は満吉、

易経を修め大に得る所あり尋で五岳師の補助に依り人類に関する季節学的研究の為朝鮮に渡れり(略)次で支那を経て印度に出で遂ひに米国に遊び到る処名山に登り大沢を渉り気候を験し甚しきは断食を行ひ以て一身を学術研究に委すること多年明治十九年帰朝し東京本郷区に於て顕真術会を創設し以て其の得たる処を弘む君亦予言に妙なり人身の吉凶諸相場の高低一として的中せざるはなし世人以て神となす明治卅四年二月推されて大日本陰陽会の会長となる君著書甚少からず就中「人間哲学」の一書最も世に行はる


とあるという。一葉にちょっかいをかけた人間だが後には神になったらしい。インドや米国を放浪したようだが、信用していいものやら。神智学や催眠術とは関係がなかったと思われる。


山根賢吉「一葉の周辺−『深山木』『花かご』『佐藤観元』−」(『論集樋口一葉』おうふう、平成8年11月)によると、久佐賀とつるんでいた佐藤観元という人物を糾弾する南波登発『奸邪筆誅権大教正佐藤観元之来歴』(陽濤館、明治27年6月)に、久佐賀について、神習教の権少教正の教職を剥奪され、

其後ち久佐賀は本郷真砂町三十二番地に学会を設けて、府下の諸新聞に誇大なる広告を掲げ、其名を顕真術と称して、東洋のメスメリズム杯[ママ]と吹聴して世人を欺き、名を義孝と改めて、佐藤よりも劣りたる判定を為し居れるは、世の人の知る所なり


とあるという。


一方、佐藤は佐藤で面白い人間だったようで、和田の本に「医療師で、患者の股間へ、自分の膝を入れる生気療法で、万病を治すと云い、多くの婦女子を弄んだらしく」とある(柳田泉からの伝聞)。なんとも、うらやましい(笑)、じゃなかった、いかがわしい人物である。

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