神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

山田順子のバー「彼女」

森まゆみの新作『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』(文藝春秋)に、山田順子の章があって、勝本清一郎と別れた後に経営したバーの一つに「彼女」が挙がっていた。斎藤茂吉の日記で「彼女」を見つけたので紹介。 昭和6年1月22日 平福、岩波、僕ト潚々…

由良哲次と小島威彦

由良君美の父哲次は昭和2年京都帝国大学文学部哲学科卒、スメラ学塾の小島威彦は翌年同科卒。共に西田幾多郎の門下生である。西田の日記を見てみよう。 昭和9年3月6日 小島[威彦]来る 由良[哲次]来る 木村道子来る 10年9月8日 小島、仲小路、由本(商大)、…

 宮澤賢治と霊術家佐々木電眼

宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の初稿にあったテレパシー実験の記述が削除されたことは、よく知られているところである。賢治に催眠術を教えたかもしれない人物が、盛岡中学校寄宿舎付近で霊磁療法院を開設していた佐々木電眼である。賢治の大正元年11月3日付け…

漢口会の田中軍吉

里見紝らがメンバーだった漢口会を主唱した田中軍吉は、ある事によって有名な人だった。 『日本陸海軍総合事典 第2版』によると、 田中軍吉 明治38・3・19〜昭和23・1・28 大正14年7月 陸士卒 10月 少尉・近歩3連隊付 昭和3年10月 中尉 6年 3月 東京外語(…

戦時下の極楽とんぼ(その3)

戦争中の食生活というと、一升瓶で米をつくシーンを思い浮かべてしまうが、勿論そういう貧しい人ばかりではなかった。古川ロッパの日記によると、 昭和18年4月15日 ハネると久保田万太郎・里見紝両先生・徳川夢声四人で車、明治座裏の堀川へ。オールド・パア…

 戦時下の極楽とんぼ(その2)

里見紝の兄有島生馬の妻信子は、西園寺公の秘書原田熊雄の妹に当たる。 この里見、生馬、原田の名前が戦時中の西田幾多郎の日記に見える。 昭和19年6月25日 原田[熊雄]来訪 大拙と柳田来訪 里見紝−原田と共に来訪 12月5日 名古屋の川出来訪 里見、有島[生馬]…

 戦時下の極楽とんぼ(その1)

里見紝(さとみとん)については、全集の年譜を見ても、戦時中の動向はあまり記されていない。オタどんが見つけた事実を記録しておこう。まずは、里見と学習院初等科で同級生だった東久邇宮稔彦王の日記(『東久邇日記』)から。 昭和16年8月21日 原田熊雄に…

平井金三と『新小説』

平井金三の「大きな怪物」(『新小説』明治44年12月1日)については、2月15日に言及したけれど、他にも同誌に執筆していた。 「家庭と催眠術」(怪談百物語)(明治43年8月1日) 「気海丹田吸気法」(明治43年10月1日) 「千里眼の能力」(明治44年3月1日) …

幻の幸田露伴日本文学報国会長

戦前、徳富蘇峰が日本文学報国会長に就任しているが、当初は幸田露伴が候補であった。 斎藤茂吉の日記によると、 昭和17年5月22日 ○情報局ノ上田中佐(五部三課長)ヨリ電報アリ、ヨツテ甲田先生ヲ訪ネ、文学報国会々長ノ件ヲ依頼ス。先生、コトワラレル、 5…

 引越魔、谷崎潤一郎

『文章世界』の「現代文士録」で、谷崎の住所を拾うと、 第7巻第3号(明治45年2月15日) 本所区向島中之郷三十一、笹沼別荘内 第8巻第4号(大正2年3月15日) 同上 第9巻第4号(大正3年4月1日) 日本橋区箱崎町四丁目二番地 第10巻第4号(大正4年4月1日) 同…

大川周明と楢崎皐月

辻潤の妹恒の夫で、津田光造という人がいる。アナキストから国家主義者に転向して、戦後は「著書」を理由として公職追放に該当。『大川周明関係文書』に津田の大川宛書簡が収録されているので、見てみよう。昭和29年2月18日付け書簡に、 このたび厚木におけ…

由良君美の国文一族

由良君美の一族について。 山口昌男「飲み歩いた記憶、長年の学友−石井進君、萩原延寿さんのこと」*1によると、 今は亡き英文学者の由良君美氏も大変博学な才人であったが、この由良氏は石井君と従兄弟の関係にあり、「石井の奴は、父親が石井庄司であるから…

 戦前の神代文字論者

平井昌夫「神代文字論争史(三)」(『書物展望』昭和19年3・4月合併号)*1に、戦前の神代文字肯定論者の名前が挙がっている。 昭和になつてからの存在説をとる文献で眼についたのをいくつか列挙すると次の通りである。 高畠康明『神字起源解』(昭和八年五…

 福来友吉夫人辰撃たれる!

福来友吉の夫人で、旧姓町田辰は、相馬黒光の『黙移』に出てくる(一昨年3月2日参照)。 結婚後の詳細は不明だが、新聞記事に登場したことがある。 昭和4年2月21日の東京朝日新聞は、「開演中の宝塚劇場へ/物すごい殺人鬼出現/突如花道でピストルを撃ち/…

中村古峡を激励に行った吉野作造

吉野作造の日記に出てくる中村古峡(本名・蓊)については、一昨年9月4日、昨年9月21日にも紹介したけれど、まだあった。 大正8年8月28日 朝滝精一君夫人の葬式に列スベク築地ニユク 帰りニ荒井ヲ見舞ヒ又品川御殿山の中村蓊君ヲ訪フ 中村はこの前月に『変態…

酒井勝軍と玉利喜造

森鴎外の日記の大正11年2月26日の条に「午餐于九鬼隆一家」とある。阿部次郎の日記を見てたら、この時、面白いことが九鬼家で行われていた。 大正11年2月26日 午餐によばれて九鬼行、森先生その他と同席、玉利博士の邪気霊気説をきゝ日暮上野と四谷見附まで…

 これが解けたら東大に入れる!?

山口昌男による由良君美の悪口がある。 山口の大塚信一宛書簡(昭和50年7月4日着)によると、 ところで、研究会ということで想い出しましたが、由良[君美]師匠はこの頃どうしていますか。この人物も本好きなところはよいが、□□□□□□□で何となく冴えないのはど…

 三太郎の先輩

松宮春一郎の名前を再び見つけた。 大正7年9月1日 午後興亡史論刊行会の松宮春一郎氏来訪、十余年ぶりの対面なり。Wendland:Die hellenistisch-römische kultur の翻訳をたのまれ、心動きて引受しがあとで少しよんで見て自分ぢや出来ないと思ひ、石原と共訳…

暁烏敏と増田正雄

暁烏敏という坊さんがいる。堺利彦『売文集』(丙午出版社、明治45年5月)の「巻頭の飾」に一文を寄せた一人でもある。暁烏の日記に大阪の増田正雄という人物が出てくる。 明治42年の日記の「年賀状往復控 来」では「大阪市西区江戸堀南通五 増田正雄」、43…

 国際政経学会常務理事増田正雄の正体

長い間謎とされてきた増田正雄の経歴が多分判明した。 まず、柳田國男の「大正七年日記」と「大正十一年日記」で増田の名前を探してみる。 大正7年1月30日 △午後増田正雄君来日露実業会社が二千万円に増資することゝ社長がほしいといふこと、 11年1月10日 夕増…

ヒトラー総統との交信に成功

大東亜戦争開戦前から、開戦後に備えてか、ドイツとの交信実験が行われていた。 『神日本』第5巻第3号(神乃日本社、昭和16年3月1日)によると、同年2月17日に同社主催の心霊研究実験会が福来友吉博士と新進気鋭の霊能者森山武彦を中心として行われたという…

海軍大将山本英輔のトンデモ遍歴

山本英輔『真理の光』に、山本が戦前接触したり、本を読んだ霊術家などが記されている。 神田の梅田某という医者(桑原式精神霊動) 大本教(王仁三郎、浅野和三郎) 木村天眞 加藤確治 小玉呑象(易) 石龍子(観相) 池田謙三(易) 中村天風(統一哲医学…

「桃太郎の誕生」の誕生

大槻憲二によると、柳田國男の「桃太郎の誕生」は大槻が纏(まと)めたものであるという。 大槻の「民俗文化の精神分析」(『精神分析』第30巻第4号、昭和47年10月)*1によると、 (略)私もまだ若かった頃に柳田先生に師事したこともあったが、私が民俗学に…

谷崎潤一郎の妻千代と辰野隆

『随筆サンケイ』昭和34年7月号の「随筆寄席」の座談会は、辰野隆、徳川夢声、林髞のレギュラーと大下宇陀児。 辰野 (略)わたくし当時法学士になったばかりなんで、中禅寺湖を見に行こうと、悪い仲間四、五人と前橋まで行ったら、汽車がとまっちゃったんだ…

ファッションとしてのエスペラント

内田魯庵も辰野隆もエスぺランチストだったらしい。 秋田雨雀の日記には、 大正4年5月12日 今日、内田魯庵氏からエスぺラントについてよほど熱情的な手紙を送ってきた。氏もエスペラントをやられるそうだ。 とある。また、『エスペラント便覧』所収の「日本…

中山太郎の後援者

森洋介氏が中山太郎の名前を出してきたので、隠し球を投入しちゃう。 中山太郎『校註諸國風俗問状答』(パルトス社、平成元年11月)所収の中島河太郎「中山太郎伝」*1によると、 大正十五年、早稲田大学校友の関係から永楽クラブの会員になったが、その中で…

アナキスト荒川義英と秋田雨雀

秋田雨雀の日記になぜか若くして亡くなったアナキスト荒川義英の名前が出ている。 大正9年5月23日 夜、築地三丁目の花本で松竹活動会社の相談会があった。実子という芸妓がいた。教育のある、おもしろい女であった。帰りにライオンによると、里見、久米、中…

三浦関造とカラマゾフの兄弟

久保忠夫「日本における『カラマゾフの兄弟』の最初の翻訳者」*1によると、 青山学院の校友会に三浦関造の消息を問い合わせたのは、ことしになってからであった。その返事に「三浦関造氏は七十余才」で益々御壮健にて印度哲学「ヨガ」を研究されております。…

 柳田國男の帰国を歓迎した凄い人達

大正10年12月に一旦ジュネーブから帰国した柳田國男の歓迎会が翌年の1月に開催されている。 一つは年譜に記載のある1月25日開催のエスぺランチストによる帰朝歓迎会である。 もう一つは、『柳田國男全集』第26巻に収録された『同人』第63号(大正11年3月15日…

鈴木大拙と秋田雨雀

鈴木大拙にはあまり関心がなく、はほへほ氏が行った大谷大学博物館の「大拙展」も行かなかったのだが、今にして思えばのぞいておけばよかったか。 秋田雨雀の日記には、鈴木大拙も出てくる。 大正6年9月26日 スエデンボルグや老、孫、曹子などの講義を買い求…